ラトゥールの葛藤 4

 その頃、学園のいくつかある庭園の一角にディアーナはラトゥールを引っ張り出していた。一見赤い花の咲いている垣根にしか見えない草の塊に向かって手をかざすと、


「座りたいのでベンチになってくださる?」


 と声をかけた。すると、垣根はわさわさと草が分かれていき、木の幹と枝がぐにぐにと複雑に絡み合ってベンチの形に固定した。


「さ、ラトゥール様こちらにおすわりになって。サッシャが髪の毛を整えて綺麗にしますからね」

「長さは昨日と変わらずでようございました」


 ぼんやりと立ちっぱなしのラトゥールをサッシャが肩をおして無理矢理座らせると、うしろに回って櫛で髪をとかし始めた。


「人の通りもあるお庭なら、二人でいてもやましいことはないってわかるでしょう?」

「………」

「使用人控え室に、私と二人っきりになったらお兄様にひどいめに合わされてしまうのよ?」

「………」

「お兄様ってね、とっても過保護なの。私にはとても優しいのだけれど、私に対する悪意にはとっても厳しいのよ」

「………知ってる」


 ようやく答えてくれたラトゥールに、ディアーナはパッと顔を輝かせた。


「ようやくしゃべってくれましたわね。もしかしてお口が無くなっちゃったのかと思いましたわ」

「………」

「髪の毛なんて、また伸びるわ。こうしてきちんと手当をすれば抜け毛や切れ毛も出来にくいでしょう? せっかくだからここから綺麗に伸ばしていくとよろしいですわ」


 またしゃべらなくなったラトゥールに、ディアーナは根気よく話しかけた。せっかく出来た友だちが落ち込んでいるのが、堪らなく残念で仕方が無かったのだ。


「眼鏡だって、また作れば良いよ。こないだお兄様が用意した眼鏡はね、私の石はじきの師匠が呪文を刻んでくれたものなの。とっても手先が器用でね、またお願いすれば作ってくれますわ」


 ラトゥールが何も反応を示さないのを良いことに、サッシャが編み込みを始めている。ディアーナはどうやって慰めれば良いのかわからず、腕を組んでうーんとうなった。


「あ、あの!」


 ディアーナとラトゥールの座るベンチに、息を切らしたアウロラが走り込んできた。


「えっと、ディアーナ様、無事、ですか?」

「? ええ、無事ですわね」


 ラトゥールの髪を侍女に手入れさせつつ、一方通行の会話をしていただけ。そのつもりのディアーナはなぜアウロラにそんなことを聞かれるのか不思議に思ったが、話し相手がもう一人増えたのは喜ばしいことだった。


「アーちゃん、時間があるようならそっちに座ってお話しましょう」


 そういって、ラトゥールの反対隣を指差した。

 走ってきて息がきれていたアウロラは、とりあえず深呼吸をして息を整えると、ドスンとラトゥールの隣に座った。


「ところで、私をアーちゃんって呼んで良いんですか? ここは結構人が通りますよ」


 淑女らしくない行動は、人目の無いところでだけ、と魔法の森の時に言っていたはずだ。


「人は通りますけど、みんな遠巻きにしてるもの。淑女っぽい微笑みだけしておけば言葉遣いなんてわからないわ」

「そういうもんですか」

「そういうものよ」


 中庭に一筋の風が吹き抜けていき、花の香りが通り過ぎていく。


「良かったら、アーちゃんもボタン付け手伝ってくださらない?」


 そう言ってソーイングセットを手渡そうとするディアーナ。みれば、ラトゥールの右袖口のシャツのボタンが取れかけていた。乱暴に手を引かれるか掴まれるかしたのかもしれない。

 アウロラはディアーナから針と糸を受け取ると、ラトゥールの右腕を取って持ち上げた。ボタンを縫いやすいように袖をめくると、青紫色に変色した腕が目に入った。


「何これ! 誰がこんなことやったの!」


 突如として大きな声を出したアウロラに、ディアーナをはじめ中庭の遠くのベンチに座っていた人までが目を開いてアウロラに注目した。


「痛いの痛いの、遠いおやまにぃ~とんでいけ!」


 青紫色になっている腕にそっと手を添え、アウロラお得意の治癒の呪文を唱える。やさしい光がふわりと広がり、やがて腕のあざが消えていく。


「ねえ、もしかして見えないところに他にもあざがあるんじゃないの?」


 いつもにこにこ、ちょっとおとぼけ気味だけどほんわかしているイメージのアウロラが、真面目な顔をしてラトゥールの顔をのぞき込む。


「髪を切られただけじゃ無かったのね!?」


 ラトゥールは何も答えなかったが、それが答えだと言わんばかりにアウロラは激高すると、いきなりラトゥールのブレザーのボタンを外し、中のシャツを力任せに引きちぎった。


「あ、アーちゃん……?」


 ディアーナが目の前の蛮行に固まっているうちにも、アウロラはシャツをひらいてラトゥールの胴を確認する。


「脇腹と、みぞおち、脇………。これ、肋骨イッてねぇだろうな? クソが。『痛いの痛いの、遠いおやまに飛んでけ⁉』『痛いの痛いの、遠いおやまにとんでいけ!』『痛いの痛いの、以下略⁉』」


 アウロラが、どんどんと治癒魔法をかけてラトゥールの青あざを治していく。腹側の治療がおわると、無抵抗のラトゥールをベンチへうつ伏せに押し倒し、背中もシャツをめくり上げては見つけたあざに治癒魔法を架けていった。


「さすがにこんなところでズボンは脱がせないから、ひとまずここまで」


 そういって大きく息を吐いたアウロラは、ラトゥールを起こしてちゃんと椅子に座らせた。


「ディーちゃんがやったんじゃないよね?」

「え、まさか。違うよ?」

「お嬢様がそんなことするわけありませんわ」


 アウロラが半眼でディアーナをにらむが、ディアーナもサッシャも首を横に振って否定する。アウロラも、本気で疑っていたわけではなく、念のための確認だったのかあっさりと引いた。


「ねぇ。見える場所は治したけど、他に痛いところはない? まだ魔力に余裕あるからどんどん治すよ? ラトゥール様、大丈夫?」


 ディアーナからラトゥールへと視線を移したアウロラが、背中をさすりながら優しく声をかける。うつむいたままのラトゥールは、小さく口を開けたものの、声は出てこなかった。


「誰にやられたの? いつから? いつから我慢していたの?」


 アウロラの声に、ラトゥールはうつむいたまま小さく首を横に振った。


「言いたくないんですの? それとも、言えないんですの?」


 ディアーナも、ラトゥールの様子が心配で声をかけるが、やはりラトゥールはうつむいたままだまっていた。

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