ラトゥールの葛藤 2

「エルグランダーク家って諜報部員っていたりするの?」


 邸に戻ったカインは、寝支度を調えているイルヴァレーノに世間話をするように質問をした。


「諜報部員ですか? それは、色んな所に潜入したりして情報を集めてくる人って認識であってますか?」

「うん」


 カインの布団をあらかじめ暖めておくための湯たんぽを布団の中に入れ、よく眠れるハーブの入った袋を枕元にぶら下げてから、イルヴァレーノは振り返った。


「それならいますよ」

「いるんだ?」

「今日の夜は冷え込む予想らしいので、温かいお茶を飲んでから寝てください」


 ソファーに座っているカインの前に、薄紫色をした良い匂いのするお茶が置かれる。そのカップに伸ばしたカインの手に、イルヴァレーノが上から押さえるように手を乗せた。


「諜報部員はいますが、主は旦那様で、頭はウェインズさんです。カイン様の都合では動かせません」

「シャンベリー家の事情を探るのには使えないって事ね」


 カインの言葉に頷いて、イルヴァレーノは手をどけるとソファーの後ろ側に回る。


「俺が動いても良いけど」

「やだよ。イルヴァレーノにヤバいことなんかさせるわけないでしょ」


 イルヴァレーノが、今でも暗器の扱いを練習していたり気配を消して移動する練習をしていたりするのは知っている。いざというときにそれがディアーナやイルヴァレーノ本人の窮地を救うのに役立つ可能性もあるから、それ自体をとがめるつもりはカインにはない。

 しかし、それを自分の為に活用しようという気もカインには無いのだ。


「では、潜入捜査の諜報活動では無く、通いのメイドや職人達から何か情報がないか探ってみます」

「うん、それで十分だよ。ありがとうイルヴァレーノ」


 洗濯メイドや厨房係の下っ端などは、住み込みでは無く通いで雇われている者も多い。そういった人達は買い物先の店主や休日のプライベートで会った友人、または別の貴族家へ働きに出ている家族などと情報交換をしている事が多いので、その情報を聞き出すのだ。

 同じ使用人という立場であり、まだ子どもでもあるイルヴァレーノは厨房の下ごしらえ担当のおばちゃん達に人気があり、遊びに行けばおやつの時間に誘われることが多い。

そこで交されるたわいの無いおしゃべりから使えそうな情報を拾い集めていくと言うことをイルヴァレーノはやっている。


「とりあえず、しばらくは日々日々ラトゥールの身支度を調えてやらなきゃダメかもしれないな」

「毎日となると、カイン様とディアーナお嬢様の時間割が合いませんね。サッシャにお願いしておきますか?」

「サッシャもいるとはいえ、密室にディアーナとラトゥール二人きりになるのは世間体的にダメだろう。かといってディアーナ抜きでやってくれって言ったってサッシャがディアーナから離れたがらないだろうし」

「アルンディラーノ王太子殿下を巻き込んでは? 同じ組なので時間割も一緒ですし……そんな顔しないでください」


 カインの髪を、寝るようにゆるく編んだイルヴァレーノはポンポンと軽く肩を叩いてソファーの前へ移動する。


「ディアーナ様の時間割に合わせて俺も動きますよ。髪の手入れはサッシャの方が上かもしれませんが、髪を編むのは俺の方が上手いですからね」


 アルンディラーノの名前を聞いて、ブーたれた顔をしていたカインの頬を片手でつかみ、力を入れることでさらにカインの口がアヒルのように突き出された。


「ぶっ。不細工」


 パシンとイルヴァレーノの手をたたき落とし、ソファーから立ち上がってベッドへ向かうカインの歩き方は乱暴だ。


「もう寝る! イルヴァレーノは明日学園まで随行したらサッシャと行動を共にすること」

「承知しました」


 イルヴァレーノがわざとらしい程に恭しく一礼をする向こうで、カインが自分で天蓋を閉じた。

 部屋中の灯りを落とし、最後にベッド脇のランタンの光を絞ってイルヴァレーノは部屋を出ようとした。ドアの前で振り向き、薄い天蓋の向こうにこんもりと盛り上がっている布団の影をみて、アヒル顔になってたカインを思い出してまた吹き出した。


「早く寝ろよ!」

「おやすみなさい、カイン様」


 笑い声が聞こえてしまったのか、切れ気味のカインの声に、イルヴァレーノは笑いで震える声で就寝の挨拶を残して、すぐ隣の自分の部屋へと戻っていった。




 エルグランダーク家の諜報部員を使うだとか、イルヴァレーノを潜入させるだとか。そんな話をしていたのがバカみたいに、ラトゥールの家庭の情報はあっさりと手に入れることが出来た。

 クリスが、シャンベリー家の事について詳しかったのだ。


「シャンベリー家って、伯爵家から男爵家まであって、五個? 六個だったかな、ぐらいあるんですよ。それ全部が騎士家系なんですよね。一番身分が高いのが伯爵家ではあるんですけど、三代前ぐらいに騎士として功績を挙げて子爵家から叙爵したって話で、今となってはどこが本家でどこが分家なのか本人達もわからなくなってるそうですよ」

「うわぁ」


 クリスによると、ラトゥールに関しては水曜日の放課後魔法談義の会が始まって以降、身元調査などを進めていたそうだ。一般的なクラスメイトとしての交流の範囲だったら必要無いが、ディアーナやカインを交えてクラスの外で交流し始めたのでちょっと調べてみた、と言うことらしい。


「一応、これでもアル殿下の護衛騎士めざしてますんで」


 とのことである。

 ちなみに、魔法の森の冒険以降仲良くなってきているアウロラについてもクリスが独自で調べたらしいのだが、「評判も良く不審な点は何もなかったが、とにかく変な子って言われてた」との事だった。


「ラトゥールの家はシャンベリー子爵家です。現当主が王宮騎士団に所属していて、ラトゥールの上に兄が三人と姉が二人。上の兄二人はすでにそれぞれ騎士団に所属していて、一番下の兄が王立騎士学校に在籍中です」

「あ、ゲラントか」


 カインの声にクリスが頷く。

 クリスの兄のゲラントは、現在王立騎士学校に通っている。カインの一歳年下で、クリスより二歳年上になる。幼少期の近衛騎士団に混ざっての剣術訓練ではカインとゲラントで良く打ち合いをしていた。


兄上ゲラントに、色々不出来な弟について語っていたらしいですよ。『最近身ぎれいにするようになったんで、やる気が出てきたんだと思って稽古付けてやった』『シャンベリー家に生まれたのに魔法にうつつを抜かす腰抜けだ』『男のくせにチャラチャラと髪の毛のばして生意気だから、騎士らしくなるように切ってやった』って」

「あれは、兄にやられたのか………」


 カインが渋い顔をつくって腕を組む。その目の前に、クリスがすっと折りたたんだ紙を差し出した。


「昼休みじゃあ伝えきれないんで、それにまとめてきました。つっても、兄上に聞いたり父上に聞いたり、家に出入りする騎士にそれとなく探りを入れた程度です。家庭内に潜入捜査したとかじゃないんで間違えてる情報もあるかもしれません。そのつもりでみてください」

「ありがとう、クリス。このことはアル殿下は?」


 テーブルの上に差し出された紙の上に手を置き、するりと自分に寄せるとそのままつまんで制服の胸ポケットへとしまった。


「ああ見えてアル様は正義感がお強いですからね。これを見てシャンベリー家に乗り込まれてもこまります」


 アルンディラーノにはまだ伝えていないと言うことだ。


「騎士団で一緒に訓練し始めた頃、アル様追いかけっことか、城内化石探しとかやったの覚えてますか?」


 クリスが席から立ち上がって、カインを見下ろす形で問いかけた。


「もちろん。どっちもすぐに禁止されちゃったけどね」

「あれ以降、アル様がご両親と朝食をご一緒されるようになったり、簡単なご公務に連れ歩くようになった事、ちゃんと俺は知ってるんですよ」


 アル様の幼なじみですからね、とクリスは笑う。


「期待してます、カイン様。俺と兄上ではアル様の剣にはなれるけど杖にはなれない。アイツはきっと、アル様の良い杖になれる気がするんです」


 言いたいことだけを言って、じゃあと手を挙げてクリスは食堂から出て行ってしまった。


「期待されてますねぇ、カイン様?」

「うるせぇ」


 背後に控えていて見えないはずのイルヴァレーノの表情が、声の調子でにやついているとわかってしまうカインであった。

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