貴族の矜持と魔法を使うと言うこと
エルグランダーク公爵家サディス邸の中庭には、ブランコがある。
前住人の置き土産として設置されていたそれは、長いこと使われることもなく放置されてあちこち痛んでいたのだが、幼い少女が引っ越してくるということで張り切った執事によって修繕され、今はきれいになっている。
中庭には、貴族家の庭らしい花壇や生け垣は作られていなかった。ブランコで遊ぶディアーナが、落ちたり転んだりして怪我をしないようにと、芝生とシロツメクサが絨毯のように敷き詰めるように植えられている。
今の季節は冬で、濃い緑色の草が生えているばかりとなっているが、春になれば白い小さな花が沢山咲くらしい。
おそらく、その頃にはもうディアーナはこの邸にはいないだろうけれども。
「うふふふ。さぁ、ジャンルーカ殿下、お手をこちらへ」
「はい。よろしくお願いいたします、エルグランダーク夫人」
エルグランダーク家サディス邸の中庭に、エリゼとジャンルーカが向かい合って立っていた。
ディアーナと友人になって以降、ジャンルーカは良くエルグランダーク邸へと遊びに来ているのだ。
差し出されたジャンルーカの手をそっととると、エリゼは優しくシャラリと揺れるブレスレットを取り外した。
エルグランダーク公爵家サディス邸はサイリユウム国内にあるが、その敷地内はリムートブレイク王国のルールで運用されている。
もともと、貴族の家の中で起こったことは何か訴えでも無い限りは国家権力などに干渉されることは無いので当たり前と言えば当たり前の事ではある。
そういった事情があるため、ジャンルーカは建国祭が終わった後からエルグランダーク邸へと通って魔法の練習をさせてもらっていた。
屋敷に務めている使用人の三分の二ほどは元からサイリユウムの人間であるが、残り三分の一ほどはエリゼがリムートブレイクから連れてきた人間である。当然、その人たちは魔法が普通に使えるのである。
この屋敷の敷地内で、表の通りから見えない場所であればジャンルーカがブレスレットを外し、魔法の練習をしたところで何も問題にならないということである。
中庭の芝生の上、エリゼが指をくるりと回して「水よ」とつぶやくとホロホロと小さな水の玉が空中から現れて足下へと落ちていった。
「高位貴族になればなるほど、あまり魔法は使わないの」
「そうなのですか?」
空中に現れては消えていく水の玉を目で追いながら、ジャンルーカは相づちをうつ。カインからは、高位貴族であるほど魔力が強い傾向にあると教わっていたので、エリゼの言葉を意外に感じたのだった。
「身の回りの世話は、みんな侍女たちがやってくれるでしょう? 魔法を使う必要がないんですの。なんでも自分でやってしまおうというのは、はしたないというか…なんていえばいいかしらね? 貧乏くさい?」
「ああ、確かにそうかもしれません」
ディアーナと友人になり、この屋敷に遊びに来るようになったジャンルーカ。リムートブレイクから来た使用人たちが魔法を使ってエリゼやディアーナの世話をしているのを時々目にしていた。
それは、中庭で遊んだジャンルーカとディアーナの手を拭くために、魔法で水を出してタオルを濡らしていたり、ボールが木の枝に乗ってしまったのを風魔法で落としてくれたりといった些細なことではあったが、そのちょっとした手間が魔法なしでやろうとすると面倒くさいということはわかった。
「でもね、貴族なのに魔法が使えないというのも恥ずかしいことなのですわ。だから、学校でも魔法の授業があるし、大人になってもこっそり練習したりしているのよ」
「使わないのに、使えないと恥ずかしいのですか?」
「矜持というやつですわね。貴族はより強く、より賢くあらねばならぬ。しかしそれをひけらかすのは恥である。といった感じかしら」
エリゼは少しあきれたような顔をしつつ、楽しそうに肩をすくめて見せた。
最後に、両手を上に思い切りあげると、霧のように細かい雨がサァッと中庭に降り注いだ。
「ふふっ。わたくしはね、水の魔法が得意なの。久しぶりに思い切り魔法を使うとやっぱり気持ち良いわね」
エリゼの魔法の雨は、霧のように細かい粒だったのでジャンルーカやディアーナの髪をすこししっとりとさせただけで風とともに消えてしまった。
ジャンルーカはその霧を手で受け止めようと手のひらを空中に差し出してみたが、そこには何も残らなかった。
「何もなくとも水がだせるのであれば、日照りによる凶作の恐れがなくなりますか?」
「魔法の使える者が出せる水の量というのは、魔力に比例いたしますの。国民全員の飢えをしのげる量の畑を潤すとなると、普段畑の世話をする領民たちの三倍ぐらいの人数が必要かしらね? それも、気絶してしまうまで魔力を絞り出して、ようやくというところではないかしら」
「カインの様な強大な魔力を持っている人間がいてもですか?」
ジャンルーカの質問に、エリゼはにこりと笑って首を縦に振った。
「こういった、お気に入りの花壇にお水を撒くという程度であれば問題ないのですけどもね。実際、造園なんかを生業にする人たちは水魔法を得意とする人が多いみたいですわね」
「お庭を造る人なら、土魔法かと思いました」
「あら、そういえばそうね」
土をおこし、耕し、平らにして草木を植える土台を作るには土魔法の方が都合が良さそうだと、エリゼも頬に手を添えて首をかしげた。
「お庭をいちから作る人と、維持管理をする人のちがいでしょうか?」
中庭に面したドアから入ってきた執事のダレンが、会話に混ざってきた。
「わたくしは魔法は使えませんが、屋敷を管理する関係で庭師たちと一緒に土いじりをすることもございます。土をおこして整え、レンガを積んで花壇を作り石畳を敷いて散策通路を通すといった事をするものと、植えられた植物を維持管理していくのは全く違う技術でございますから」
「庭師という職業でひとくくりにできないという事だね」
ダレンの言葉に、ジャンルーカも頷いた。
ダレンはしっとりと濡れているジャンルーカとディアーナの髪を観て目を丸くしつつ、邸内へと続くドアを手で指し示した。
「お茶の準備が整いましたので呼びに参りましたが・・・・・・タオルの準備もした方が良さそうでございますね」
ダレンの言葉に、エリゼが「てへっ」という声を出して小さく舌をだしていた。
「カインの魔法が魔物の討伐に貢献したそうですわね」
「兄から聞いております。春にも、魔女の森ですごい魔法を使って魔獣たちをふっとばしていました」
場所を小食堂へと移し、一同は温かいお茶を楽しんでいた。
この部屋には暖炉が設置されていたが、暖房はエリゼがリムートブレイクから取り寄せた魔法道具が使われていた。小さな赤く光るランタンの様な物が、部屋の四隅にぶら下がっており、それが暖かい空気を部屋に満ちさせていた。
話題は、カインのサイリユウムでの魔法の使用に関することになっていた。
一番最近の魔物討伐訓練での活躍や、花祭り休暇中の視察先で魔獣を倒した話などをエリゼがジャンルーカから聞き出していた。
高位貴族はあまり魔法を使わない、という話を先ほどしたばかりだったので、カインの活躍を話せば後々カインが怒られるのでは無いかと心配したジャンルーカであったが、それはどうやら杞憂であったようだった。
「使うべき時に使う分には、かまいませんのよ。というか、そういった人命を助けるという場面で貴族が魔法を使わずにいつ使うのか、という事ですわ」
「お兄様は正義の味方ですものね!」
「それは、ちょっと違うかしら・・・・・・」
和やかな雰囲気の中、ジャンルーカの魔法の練習を兼ねてお茶を飲みつつ燭台のろうそくに魔法で火をともしたり風魔法で消してみたりという遊びをしていた。
そろそろ用意されたお菓子も尽きようという所で、エリゼが思い出したように切り出した。
「王妃殿下から、内々にですが今後この国でも魔法を解禁して魔法使いを育成するという動きがでるだろう、と伺いました」
「僕も、兄上からいつか魔法学校を建てたらその責任者に指名するといわれています」
ジャンルーカの言葉に、エリゼは真面目な顔をして頷いた。
「どうか、ジャンルーカ殿下。庶民、平民の魔法使いが搾取されたり道具のように使われないようにお気遣いくださいませ」
その真剣な顔に、ジャンルーカはゴクリと喉を鳴らして背筋を伸ばしたのだった。
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