一騎打ち
「ではお母様、私はお兄様を迎えに行ってまいります」
「……。ええ、お願いね、ディアーナ。私は王妃殿下たちともう少しお話をしてから邸へ戻ります」
カインは母に断りを入れると、その場にいる貴婦人たちに美しく完璧な淑女の礼をして閲覧席を後にした。後はシルリィレーアとエリゼが、この場にいたのはディアーナであると印象に残るような雑談をしてから帰ってくれればこちらの作戦は完了だろう。
イルヴァレーノとサッシャを従えて、早足で見習い騎士たちの集合場所へと急いで向かった。
王宮広場の門の内側、そこには行列を終えて安心したのか朗らかに談笑しあう近衛騎士と王宮騎士や、まじめな顔で情報交換をする領騎士たち、そしてわちゃわちゃと楽しそうに走り回るちびっこ騎士たちの歓声などでにぎわっていた。
カインはぐるりと広場を見渡すと、見習い騎士たちが固まって立っている場所を見つけてそちらへと駆け寄った。
「ジュリアン第一王子殿下、ハッセ様。そしてカインお兄様! お疲れ様でございました」
「おぉ! ディアーナ嬢ではないか! 兄上の雄姿、しかとみておったか? 見逃してはおらぬな? カインは立派であったぞ」
カインが近寄ってねぎらいの声を掛ければ、面白がったジュリアンが大袈裟にカインを褒めて見せた。騎士の格好をしたのがカインであり、ドレスを着ているのはディアーナである。そう印象付けようとしてくれているのかもしれないが、逆に声の大きさで注目を集めてしまっている。
カインは青筋を立てそうになるのをこらえて、苦笑いしながらジュリアンのつま先をかかとで思いきり踏んづけた。
「ふぎゃんっ」
「もちろん、お兄様は素敵でしたわ! 胸を張って堂々としていて立派でした。ジュリアン第一王子殿下にもハッセ様にも負けないくらい騎士らしかったですわよ!」
「おに……、ディアーナがそう言ってくれると、とっても嬉しいよ!」
ジュリアンの悲鳴を無視して、カインはディアーナの手を取ってにぎにぎと握ると、今見てきたディアーナの雄姿をほめたたえた。ディアーナも素直にそれを喜んで、にっこりと微笑んで見せた。
いま、こうして並んで立っていると二人の身長差はほとんどない。まるで双子の兄妹のようにも見えるが、兄の中身が妹で、妹の中身が兄だと思う人はいなそうだった。
踏まれた足を振って痛みを飛ばそうとしているジュリアンと、背中をさすって慰めているハッセを無視し、カインとディアーナがきゃっきゃとはしゃいでいる所に、ちびっこ行列に混ざっていたジャンルーカが走ってやってきた。
それを見たディアーナはジャンルーカに向って一つ頷くと
「では、行きましょうか」
と言ってカインの手を離した。
急に離された手に寂しさを感じつつ、カインが
「どこへ?」
と尋ねれば、すっかり立ち直ったジュリアンが
「近衛騎士団の室内訓練場だ」
と言って先に立って歩き出した。
カイン以外の皆がわかっているのか、ディアーナもジャンルーカもハッセも黙ってその後をついていく。
カインが振り向いてサッシャとイルヴァレーノの顔を見るが、二人も何が行われるのかはわかっていないようだった。
どうも、騎士行列の集合時か行進中になにごとか話があったようだが、ジュリアンは「行ってから説明する」というばかりで、何も教えてはくれなかった。
「ここが、近衛騎士団の室内訓練場だ」
「リムートブレイクには騎士用の室内訓練場とかなかったから新鮮だなぁ」
連れていかれたのは、前世でいうバスケットコート二面が入る大きさの体育館と言った感じの場所だった。もちろん、壁や床は石作りになっているし、屋根に挟まっているバスケットボールもないが。
ハッセがジャンルーカとディアーナから儀礼用の剣をそれぞれ預かり、その間にジュリアンが壁際の傘立てのようなかごから二本の木刀を持って戻ってきた。木でできているが、ガードがきちんとついていて十字型の一般的な西洋剣の形をした木刀だった。
「では、これからジャンルーカと
「え! なんで!?」
ジュリアンが二人に木刀を渡し、ハッセが一本勝負を宣言した。カインはその朗々としたハッセの声に驚き、思わず疑問が口から出てしまった。
「なんで、ジャンルーカ様とディ……お兄様が勝負をするのですか?」
わざわざ誰もいない近衛騎士室内練習場に来たのだから、もうカインとディアーナの入れ替わりをごまかす必要はないのだが、ハッセが「カインとの勝負」と宣言したのを聞いた為、カインはつられてディアーナのふりを続行してしまった。
その様子ににやりと笑ったジュリアンが解説をしてくれた。
「ジャンルーカがディアーナ嬢と仲良くなるためには、カインを倒さねばならぬのだろう? 今のジャンルーカでは剣術でも魔法でも、況してや学力でもカインには勝てぬのでな。苦肉の策だ。たった今、この場にいるカインは、あそこにいる騎士見習いの姿をした者であろう? ジャンルーカは、あのカインにならば勝てるかもしれぬと策をめぐらせたのだ」
「はぁ!?」
つまり、本物のカインにはどうやっても勝てないから、偽物のカインに勝負を挑もうという事だ。
「ディアーナと友達になりたかったら私を倒せと言ったのは、私を納得させろという意味ですよ。あそこにいる私の姿をしたディアーナを倒したところで私が納得するわけがないじゃないですか」
そんなのは、屁理屈である。
「そんなことは、わかっておる。ジャンルーカも、卑怯ではないかと最後まで悩んでおった」
「それなのに、なぜ許可したのですか」
イベントの後で通常業務がないとはいえ、近衛騎士団の室内練習場を貸切るとなれば、ジャンルーカの一存では無理だろう。すでに王族としてある程度の権限を持っているジュリアンの許可がなければこんな一本勝負の場を整えられるわけがないのだ。
木刀と言えども、ぶつかれば痛いし当たり所が悪ければ死ぬことだってある。ディアーナを普通の令嬢だと思っててこの勝負を仕掛けたのであれば、それは卑怯どころの話ではない。
「ディアーナ嬢を心配しておるのか? ジャンルーカも王子として頑張っておるから年齢にしてはなかなかにやるものであるがな、どうせディアーナ嬢もそこそこ強いのであろう? そう心配することもあるまい。ハッセも立ち会っておるから安心せよ」
「なんで、そう思うんです?」
「ハッセが居れば安心な事か? ハッセがとんでもなく強いからだ」
「ちがいます。ディアーナが強いってどうして思うんですか」
ディアーナは、サイリユウムに来てからは常に世を忍ぶ仮の姿で過ごしている。カインの様子に拗ねて見せたり、シグニィシスと騎士の話で盛り上がったり、王女を平手で殴ったりはしたものの、どれも『ちょっとお転婆な令嬢』の範疇をでない程度の事である。
カインが留学するまでの間、自室や慰問先の孤児院などでこっそり剣の練習をしていた事など、隣国の王族に知られるわけもない。
「サイリユウムでは、男女で挨拶を交わす際に手をとるであろう。ディアーナ嬢の手は手入れされていてすべすべできめ細かい肌であったが……睨むでないカイン。挨拶だ。挨拶。きれいな手であったが、皮膚が固く剣だこがあったのだ。小さくだがな。私をごまかせるとおもうでないぞ」
「挨拶の為に取った手から、そんなことまで読み取ったんですか」
サイリユウムの挨拶は、手を取って額をその甲につけるというものだ。スマートに済ませれば三十秒も手を握らずに離すことになる。必要以上に手を握り続ければ失礼となるし、下心があると思われることもある。そんな、たったの三十秒ほどの接触でそこまで情報を得たという事に、女好きでいい加減な発言をするジュリアンもやはりしたたかな王族なのだとカインは改めて感心した。
「はじめ!」
ジュリアンと並んで壁際に立ち、こそこそと話しているウチに場が整ったようで、ハッセの号令が響いた。
向かい合って構えていた二人のうち、ディアーナが先攻して仕掛けた。
四歳で一度だけアルンディラーノと試合をした時と同じように、ディアーナは体の軽さを活かしてスピードで勝負するようだ。体を思いきり倒れる様に前傾姿勢を取り、大きく踏み出した一歩に勢いをつけて剣を振り抜く。ジャンルーカは受けから入るタイプのようで相手の動きをよく見てから動く。体の前に構えていた剣を横に振りつつ一歩下がり、ディアーナの剣をはじく。体の軽いディアーナの剣は簡単に弾かれてしまうが、ディアーナは素直に弾かれたまま剣を引き、そのまま体ごとくるりと回って逆側から遠心力を使ってジャンルーカの横っ腹を狙って打ち込んだ。
ジャンルーカも、ぐるりとディアーナが背中を向けた時点でよんでいたのか、剣を立てて片手で峰をささえ、自分の横っ腹を守るように剣を受けた。
「何をしているのです……これは、どういうこと?」
ハラハラとしながら、試合の様子を見ていたカインの頭上から、聞き覚えのある声が聞こえてきた。冷や汗が背中を流れていくのを感じながら見上げると、そこには母エリゼが立っていた。
「お母様……」
「あなた、まだカインね? ということは、あそこにいるのはディアーナなのね……」
「どうしてここに……。あの、先におかえりになるのではなかったのですか」
「ジュリアン王子殿下やジャンルーカ王子殿下と一緒だったと聞いて、ご挨拶してからと思ったのよ……。カイン、ゲンコツじゃすまないですからね」
「……はい」
ここで言い訳しても良い事は何もない。あそこでカインの姿をしたまま、剣をふるっているのがディアーナである事実はどうやったって覆らない。季節が初冬である事を考えてもなお寒すぎる様な冷気を感じつつ、カインは目の前の試合に集中することにした。
何かを察したのか、隣に立っていたはずのジュリアンはいつの間にか五メートルほど向こうへと移動していた。逃げたのだ。
途中、ディアーナは空中で剣を手放すと、くるりと手首を返して逆手で握りなおした。それをぐっと体の後ろへ引けば、ジャンルーカからすっかり剣が見えなくなってしまう。自分自身の腕に重ねて逆手に持った剣を隠し、思いきり振り抜くことでジャンルーカのこめかみを狙ったが、ジャンルーカはしゃがんでそれを回避、そのままディアーナが軸足にしていた足を上げてしゃがんだジャンルーカの頭めがけて回し蹴りを入れようとするが、ジャンルーカが剣の腹でそれをあえて受けて横に転がって受け身を取りつつすぐに立ち上がる。
カインの隣から発せられる冷気の温度がさらに下がるのを感じてカインは身震いをした。
そっとエリゼの様子をうかがうと、エリゼはカインとは反対隣りをちらりと見下ろしていた。
「イル君。後でお話があります」
「……はい。謹んでお伺いいたします」
試合を見ていたエリゼは、くるくると回るように剣を使い、身軽に飛び跳ねて剣をよけるディアーナの姿に、誰がディアーナに戦い方を教えていたのかを察したのだ。イルヴァレーノは眉毛を下げてこれ以上はないというほどに困った顔をつくりつつ小さい声で返事をするので精一杯だった。
そんな感じで打ち合う事数合。実力的にはほぼ互角だったのだが、体力の差でディアーナが先に膝をついた。
「勝者、ジャンルーカ殿下!」
ハッセの掛け声で、その試合は終わったのだった。
ジャンルーカは、手を差し出して偽カインを立たせると、手を引いてジュリアンとカインの元まで歩いてやってきた。二人とも息が上がっているが、怪我はなさそうで楽しそうな顔をしていた。
「カイン(?)に勝ちました! ディアーナ嬢とお友だちになってもいいですね?」
ジャンルーカの言葉に、エリゼがそういう事かと納得しつつも複雑な表情をした。カインが「ディアーナと仲良くなりたければ僕を倒せ」と言った場面にはエリゼもいたのだ。
あの時に、カインなど倒さなくても仲良くしてやってくださいねと、親として声をかけておけばよかったと、後悔しながら思わず目頭を揉んでしまった。カインのディアーナ溺愛言動を、いつのまにか当たり前として受け流してしまっていた自分に猛省した。感情を表に出すのは貴族夫人としてはあまり褒められた行動ではないが、ここには子ども達しかいない。
そういえば、王女をディアーナが平手打ちした時も、頭を爆破させなくてよかったとホッとしたぐらいだったが、よく考えれば王女に平手打ちは相当に不敬な行動である。流してしまった自分自身にゲンコツを落としたい気持ちになり、エリゼは落ち込んだ。
「ご覧になっておりましたか、お兄様! 惜しかったですわよね? ジャンルーカ殿下もお強かったですけれど、私も強くなりましたでしょう?」
「ディアーナ嬢も、とてもお強かったです。兄上から『令嬢と思って甘く見ぬ方が良いぞ』と助言をいただいていなければ、負けていたかもしれません」
「本気で対戦してくださって、どうもありがとうございます。ジャンルーカ殿下! とても楽しかったですわ!」
「僕も、楽しかったです!」
ジャンルーカがディアーナに手を貸して立たせた後、手をつないだままで和気あいあいと楽しそうに試合後の感想を語り合う二人。河原で殴りあった夕焼けの番長同士かよ、と思いつつ、カインは眉尻を下げて情けない顔をする。
ちらりと横をみれば、母のエリゼはもはや何も言う事がないようで張り付けたような笑顔で立っている。
カインは小さくため息を吐いて肩をすくめると、困ったような笑顔を見せた。
「許可も何も、その様子では二人はもうすっかり友達じゃありませんか」
カインのその言葉に、ディアーナとジャンルーカが顔を見合わせると、「ほんとだ!」といって声を出して笑ったのだった。
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