じゅげむじゅげむ

連れて行かれたのはジュリアンの執務室だった。


「執務室とかお持ちだったんですね」


とカインが失礼なことを漏らしたが、ジュリアンは笑って


「これでも第一王子であるからな」


と答えた。ジャンルーカも「僕の執務室もあるんですよ!使ってませんけど…」と恥ずかしそうにつぶやいていた。


ジュリアンの執務室は、ドアを入った正面に大きな窓があって明るかった。その窓際には来客応対用のソファーセットが設置され、ジュリアンの執務机は右手側に設置されていた。

執務机の背後を含めた左右の壁は一面本棚になっていて、ぎっしりと本が詰まっていた。


「外国人の私を招いて良かったんですか?」


天井まである本棚を見上げながらカインがそう言えば、


「なに、そこにソファーセットがあるのを見ればわかるであろう? 来客対応もここでする事があるのだ。大した機密情報はここには置いておらぬよ」

「そうですか」

「遷都以外に任されている仕事は細々としたものしかないしな。今のところは」


ジュリアンはそう言って執務机に積まれている書類をパラパラとめくって見せた。本棚の前に立つカインからは、その書類の中身が『細々としたもの』かどうかは判断がつかなかった。

ジュリアンに促されてカインがソファーに座ると、ジュリアンはジャンルーカと一緒に部屋を出て行ってしまった。


「どうぞ」

「あ、どうも」


残されたカインに、ハッセはお茶を入れてくれた。そして自分の分のカップをもって向かい側のソファーへと腰を下ろした。

魔物討伐訓練の時に出会って一言二言を交わし、ジャンルーカの家庭教師の為に城へと通う間にすれ違いざまに会釈をする程度の間柄である。


(き、気まずい……)


カインも、公爵家の息子としてしつけ担当のサイラス先生から色々な社交術は教わっているし自身でもさほど苦手にしているわけではない。

いきなりの留学でも、級友たちに問題なく溶け込み仲の良い友人もしっかり作ることができているカインである。しかし、ハッセは初めて会った時の巨大狼を首投げした力強い第一印象と、城内ですれ違った時に会釈だけでスッとすれ違っていく気配の薄さとのギャップがひどく、カインはどう接していいのか測りかねていた。

先ほどまではジュリアンが一緒にいたので、共通の話題もある上にもともとジュリアンが結構しゃべる質なのであまり会話には困る事もなかったのだが。いざ、二人きりになると、何を話題にしていいのかわからなかった。


「あー……。ハッセもそれ、仮縫いの衣装だろう? 着替えに行かなくていいのか? 汚したら悪いし、私は一人にしてもらってもおとなしく待っているから……」

「いえ、お気になさらず」


カインが、いっそ一人きりになりたいと思っての提案もすげなく却下されてしまった。

間が持たず、カインはテーブルに置かれたドーナツのような揚げ菓子を一つつまんで口の中に放り込んだ。


「ジュリアン様は、大したものはここにはないとおっしゃいました。しかし、なくして良い物が積まれているというわけでもないのです。カイン様が何かをなさると思っているわけではありません。何かあった時にカイン様が疑われない為に、ご一緒させていただいているのです」


ハッセが、まじめな顔でカインに向き合う。つまり、万が一何かあった時にカインの無実を証明するためにハッセが残っているのだとハッセは言っているわけだ。

ゴクンと揚げ菓子を飲み込んだカインは、大きく頷いて了解の意を示した。ハッセは表情が少なく常にまじめな顔をしているが、空気が読めないというわけでもないようだ。今の、カインが気まずく思っている状況をちゃんとわかったうえで、二人きりで留守番をしているのである。


「お気遣い、ありがとう」

「いえ。……言いそびれておりました。あの時はジュリアン様を守っていただきありがとうございました」

「あの時」


ハッセとは数えるほどしか面識がない。その上でジュリアンを助けたと言われれば、それは魔獣討伐訓練の時の事である。


「あれは、自分たちのグループを守っただけだよ。それに、チーム戦だった。特に私がジュリアン様を守ったわけでもないし、そもそも最前線で騎士と一緒に魔獣に立ち向かっていたのはジュリアン様ですよ。むしろ、私たちがジュリアン様に助けてもらった感じですよ」


カインは、後衛組と女子を風の結界で守りつつ、足で狼を翻弄しただけである。氷で足止めをしたが、その隙に巨大狼を倒したのは騎士とジュリアンである。


「いいえ。それでも、ありがとうございました」


そういって、改めてハッセは深々と頭を下げた。座ったままで、自分の膝に頭が付きそうである。


「こちらこそ。あの時ハッセが来てくれて助かった。ありがとう」


カインもそういって深々と頭をさげてみせた。気配でカインが頭を下げたことに気が付いたらしいハッセは少し慌てた声で「わかりました。お互い様ということにしましょう」と声をかけてきたので、カインは笑いながら顔を上げた。


それでお互いに気が楽になったからか、お茶を飲みつつぽつぽつと情報交換のような会話を交わした。楽しく盛り上がったという感じはない物の、部屋の中にはもう気まずさのようなものはなくなっていた。


そんな会話の中で、なぜハッセはあまり親しくないカインにも『ハッセ』と略称で呼ばせるのか、という話題になった。お嬢様オブお嬢様であるシルリィレーアすら「ハッセ」と呼んでいる事に若干の違和感を覚えていたカインは前から気になっていたのだ。


「幼いころ、ジュリアン様と庭で騎士ごっこをして遊んでいたことがありました。その時に、私の後ろから大きな虫が飛んできていたのを、ジュリアン様が注意してくださろうとしたのですが……」

「うん」

「私の長い名前を口にしているうちに、虫が私の肩口に止まってしまったのです。そして、刺されてしまいました。毒の強い虫ではなかったのですが派手に腫れてしまい、しばらくかゆくて仕方がなかったんです」

「大変だったね。……それで?」

「もしこれが、逆だったら……と怖くなったのです。ジュリアン様が私に助けを求める際に、私の名前が長いばかりに「助けて!」という単語にたどり着く前に危険な目に遭われてしまうのではないか、と」

「なるほど……。『ハッセ!助けて!』なら一秒ほどで済むもんな」

「ええ。私はジュリアン様の乳兄弟であり、側近であり、護衛です。私の名前ごときでジュリアン様を危険にさらすわけにはいかないのです。そして、私ばかりがジュリアン様に愛称で呼ばれていては、それはそれでまたいらぬ軋轢を生む可能性も考えられます。ですから、すべての人に『ハッセ』と呼んでもらう事にしたのです」

「……さすがに、それは考え過ぎでは」

「ジュリアン様の安全と心の安寧の為には、過ぎるという事はありませんから」


カインがこの話を聞いた時、頭に浮かんだのは前世で有名な落語の一つだった。


「じゅげむじゅげむ……」

「なにか?」

「いや、なんでもない」


自分の名前すら覚えられない男と一部から思われていたとしても、ジュリアン第一で考える男ハッセ。すこし話しただけであるが、皆が言う通り確かに過保護過ぎる男なのかもしれないなとカインは苦笑いをして、冷めたお茶を飲み干した。

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