リベルティ姉ちゃん

目を丸くし、口を半開きにして中途半端な姿勢で立ちすくむカインを目にしてアルディが「ふっ」と鼻から抜けるような空気を吐き出して笑っていた。


「いいから。ほら、顔だして。治すから。リベルティ姉ちゃん。……じっとしてって!」

「イル坊、顔色いいねぇ。頬もふっくらして……髪の毛もつやつやになったねぇ。沢山ご飯食べさせてもらってるんだねぇ」

「さわらないでよ。いいから、じっとしてて!」


衝立の脇から、中を覗き込んでいたアルディが軽い足取りでカインの元まで歩いてきた。入り口の前で立ったままだったカインは、ギギギと錆びた蝶番のような動きでアルディを見上げると、何か言いたいことがあるのだが言う言葉が見つからないといった感じでパクパクと口だけ動かしていた。


「イルヴァレーノはリベルティの知り合いみたいねぇ。世間は狭いわ。カインの乳兄弟なんだっけ?」


アルディが朗らかな笑顔で問いかけてきた。

カインが父の領地視察に付いてくるようになったのは八歳を過ぎてからだ。その時にはもうイルヴァレーノを連れてきていたので、アルディはイルヴァレーノがカインの侍従になった経緯を知らない。ディアーナも懐いていて、仲もよくお互い気安い感じで接している同じ年齢の侍従となれば、普通は乳兄弟だと思って当然である。

そして、公爵家が乳母として雇うのであれば相手は貴族家の夫人である。


「違いますよ叔母様。違うんです。イルヴァレーノは違う……」


違う。イルヴァレーノは孤児だ。怪我して落っこちていた孤児のイルヴァレーノをカインが無理やり自分の侍従にしたのだ。

そのイルヴァレーノが「姉」と慕うのであれば、当然リベルティも孤児のハズだった。百歩譲って、孤児たちに優しく接してくれていた近所のお姉さんという立ち位置だったとしても、平民のハズである。少なくとも貴族ではない。


留学前には月イチぐらいの頻度で孤児院へ行っていたカインも、孤児たちからは「カイン様」と呼ばれていて「カイン兄さま」と呼ばれたことは無いのだ。意外と、孤児たちはそのへんの切り替えはできているのである。


「でも、それじゃあ……おかしいじゃないか。陛下はいったいどこで?」


リベルティとイルヴァレーノの騒がしいやり取りに気を取られていたアルディには、カインのつぶやきは聞こえなかった。


「歳の近い子がいると気が紛れていいのかも知れないわね。怪我の様子と、カインに会えるか聞いてくるからもう少しここで待っていてね、カイン」


アルディはそう声をかけて、もう一度衝立の向こうへ消えていった。

カインからは聞き取れない程度の声で何事かをやり取りした後、アルディが顔だけを出してちょいちょいと手招きをしてきた。カインは、ゆっくりと歩いて衝立の前まで行って立ち止まった。背筋を伸ばして顎を引き、なるべく優雅になるように歩いて衝立の向こうへと足を進める。

衝立の向こうには、ベッドの上でヘッドボードに背を預けて座っている女の子と、その脇に立っているイルヴァレーノがいた。

顔に傷がついていたということだったが、見た感じ肌はきれいな状態だった。キラキラと輝く銀色の髪の毛に、アメジストのような紫の瞳をしたきれいな娘だった。


「はじめまして。カイン様。リベルティと申します。このような姿で申し訳ありません」


ベッドの上のリベルティはヘッドボードから背を離してお辞儀をしようとした。思うように体があがらず、頭だけを下げるようになったが、ぱらりと銀色の細い髪の毛がいく筋か肩から落ちていった。


「あ、そのままで。どうぞ姿勢を楽にしてください。はじめまして、カイン・エルグランダークです。体調すぐれないところに申し訳ありません。リベルティ嬢」


カインは、手を差し出して身を起こすようにジェスチャーをしつつ挨拶を返した。カインの声で頭を上げたリベルティはニカッと笑って白い歯をみせた。明らかに令嬢の笑い方ではない。


「リベルティ嬢なんて、気恥ずかしいです。どうぞ、リベルティとお呼びください、カイン様。貴族に囲まれちゃって緊張しちゃって、だからといって気を使われて一人にされても寂しくて。周りも大人ばっかりだし。っていや、私も子どもとか産んじゃってもう大人なんでしょうけどもね。ね、カイン様。カイン様がイル坊の今のご主人さまなのですってね。イル坊をふくふくと健康そうにしてくれてありがとうございますね。髪の毛もパサパサだったのにこんなにツヤツヤサラサラになって。タレ目もますますたれて来たんじゃないですかね。カイン様のおかげです。本当にありがとうございます」


リベルティが一人で沢山喋っている間に、イルヴァレーノが椅子を二つ持ってきた。ベッドの脇に並べてイルヴァレーノとカインで隣り合って座った。


「ティアニア様の様子を見てきますから。カインは、リベルティをあまり興奮させないようにね」


アルディがそう言って部屋から出ていった。イルヴァレーノがリベルティと知り合いということで、気を利かせたのかも知れない。


「リベルティ、あなたはイルヴァレーノとはどのような関係なのですか?」

「同じ孤児院で育ちました。といっても、かぶっていたのは一年半ぐらいかしら。イル坊が来たときには本当に小さくて無口で無表情でね、その時は孤児の中で一番の最年長が私だったから色々と面倒をみていたのよ。他の子たちがリベルティ姉ちゃんって呼んでいたから、イル坊もリベルティ姉ちゃんって呼ぶようになったのだったかしら。イル坊はとにかくちっちゃくて。手の中のパンを上の子に取られても黙ってぼんやりしてたのよ。時々ふらりと居なくなるし、そうかと思えばいつの間にかぐったりとして戻ってきていたりね。何もしたくないって感じでベチョッと床に潰れてる事がよくあって、それを持ち上げて布団に投げ込むのに一苦労したものよ」

「……」


カインが、一つ質問すると百の答えが返ってくるような勢いでリベルティはしゃべる。旅の疲れとか産後の肥立ちとかを気にしていたのに、口だけみてればとても元気に見えてしまう。表情は明るいが、やはり顔色はあまり良くないように見えた。

イルヴァレーノの顔色は別の意味でどんどん悪くなっていっていた。

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