ディアーナのお願い

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午前中のイアニス先生の授業が終わり、昼食を済ませて午後。今日は芸術系の授業が無いのでお茶の時間までディアーナは自由時間である。

サッシャがディアーナの侍女になる前は、ディアーナは空き時間には聖剣アリアードで素振りをしていた。カインと空き時間が合えば、物差しを構えたカインとニーナごっこをしながら体捌きなどを身につけていた。


今は、サッシャに読ませるための世直し物語を一生懸命に書いている。

カインから口頭で伝えられた物語を、ちゃんとした物語として成り立つようにイルヴァレーノと一緒に試行錯誤した。勉強用のプリントの裏や刺繍の会で提出し終わった図案の裏などに書いてはお互いに見せあってダメ出しをしたり、セリフだけ採用したりといったことを繰り返した。

そうして、ようやくコレだ!という物語が出来たのでいよいよ写本用の白本に書き写し始めているところだった。


「間違えるわけにはいかないから、慎重に書かないとね」


サッシャにはサイリユウム語の辞書を買いに行ってもらっている。遅くともお茶の時間には帰ってくるはずなので使える時間は二時間ほど。

カインから聞いた世直し話は三つで、最初は三つとも本にしてサッシャに読ませようと思っていたディアーナだったが、イルヴァレーノに「サッシャも同時に三冊は読めないから、出来上がった物から随時読ませたほうが良い」と言われて考え直した。

今は、ディアーナとイルヴァレーノで手分けして一つずつ書いているところだ。


ディアーナの字だとわからないように、子どもっぽい字にならないように、母エリゼが王妃様から頂いたお茶会の招待状や刺繍の図案の注意文などをお手本にして丁寧にゆっくりと書いている。

そのため、本文はまだ半分ほどしか書かれておらず、完成はまだ先になりそうだった。


見開きで二ページ分書いたところで、ディアーナはつめていた息をふぅと吐き出して椅子の上で伸びをした。

ちょうどその時にドアがノックされたので、どうぞーと椅子から動かずに声だけかけた。

入ってきたのはイルヴァレーノだった。


「ノックしたのが誰なのか確認もせずに『どうぞー』なんて返事をしてはサッシャに怒られますよ」

「ノックの仕方がイル君だったもん」


イルヴァレーノは小言を言いながら部屋に入ってくると後ろ手でドアを閉めた。腕に何かを抱えたまま机の脇までくると、勉強机に並べてあるそで机の上に抱えていた荷物を置いた。

それは一冊の本だった。


「これはなぁに?」


椅子の上でくるりと反転すると、ディアーナは膝の上に手を押して身を乗り出して覗き込んだ。そこには、一冊の本が置かれていた。


「本?」

「ウェインズさんが、ディアーナ様にって」

「パレパントルが?」


執事のパレパントルが、ディアーナに本をくれたことは無い。褒めたり遊んだりしてくれることはあるが、物をパレパントルから貰ったことはなかった。

そで机の上から本を手にとると、パラパラと中身をめくってみる。字が細かくてぎっしり詰まった本だった。

ディアーナは目を細めて本を近づけたり遠ざけたりしながら眺め、本を閉じて表紙を見た。


「優雅な貴婦人のゆうべ」


表紙に書いてあるタイトルを読む。ディアーナはあんまり自分好みの本じゃないなぁと顔をしかめた。まだ九歳のディアーナは字が大きくて難しい言い回しのされていない本を読んでいる。

文学の授業でイアニス先生からことわざや慣用句も習っているが、そういった言葉をよく使っている本は政治の本だったり大人の恋愛が書かれていたりして、あまり好みではなかった。

ディアーナが好きなのは冒険活劇や女の子が元気に活躍する話や動物が出てくる話なので、自然と子ども向けの本を読むことが多かったというのもある。


「少し大人向けのタイトルに見えますが、学園の高学年や卒業したばかりぐらいの若い女性によく読まれているお話らしいですよ」


イルヴァレーノがパレパントルから言われた通りの紹介をする。若干棒読みになっている。イルヴァレーノもこの本に興味が無い様子を隠しもしない。


「ちょうどサッシャが読むような本ってことかなぁ」

「そうですね。そういえば、サッシャも本を読むのが好きということでしたしね」


ディアーナは本をそで机の上に置くと、腕を組んでうぅんと唸る。サッシャと仲良くなり、最終的には世を忍ぶ仮の姿と真の姿の両方を知って貰って味方になってもらいたい。

カインも手紙でお互いを知ることが大事と言っていた。


「ご本を書くのに手一杯だから、あんまり本を読んでいる時間は無いんだけどなぁ…」


インクを乾かしている最中の写本と、閉じて置かれている「優雅な貴婦人のゆうべ」を見比べている。パレパントルが意味のないことをするとも思えない。ディアーナはよく分かっていないが、パレパントルはなんか優しくて怖い人だと思っていた。


「イルくぅん」

「え。嫌ですよ?」


ディアーナが必殺角度で脇に立つイルヴァレーノを見上げる。サッシャがそばに居ないのでイルヴァレーノは遠慮なく眉をひそめて全力で嫌な顔をする。

ディアーナは逆向きに首をコテンと倒してさらに見つめてくる。


「イルくぅぅん」

「…いやですよ」


イルヴァレーノには効かない。カインであれば上半身を三回転させる勢いでねじりながらもちろんだとも!と叫んで了承したに違いない威力があるが、イルヴァレーノには効かなかった。可愛さで何でもゴリ押し出来ると思うような子に育ってはいけない。イルヴァレーノはカインが出来ないことをしようと思って時々ディアーナに冷たくしている。


「イル君の方が、ご本を書くの進んでるじゃんかー」

「そうですけど、それとコレとは話が別ですよ」

「別じゃないよー」


単純に、イルヴァレーノはサッシャと別行動出来る時間がディアーナより多いというだけではあるが、たしかにイルヴァレーノが担当している本の方が進んでいる。


「イル君、お願い。一生のお願い。ね?お勉強もがんばるし、人参を笑って食べられるようにがんばるから、ね?」


ディアーナがイルヴァレーノの手を握ってぷらぷらと振りながら顔を覗き込んでくる。

一生のお願い、と言い出したディアーナは聞き入れるまで手を離さない。強く握られているわけではないから無理に払いのけることも出来るしそうすれば諦めもするのだが、その後にすごいしょんぼりした顔をするのだ。


「一生のお願い何回目ですか。…わかりました。その本を読んで内容をお伝えします」


カインが甘い分、自分は厳しくしないとと思うイルヴァレーノだが、結局は甘いのだ。カインが居ない分、ますます甘くなっているのだが、イルヴァレーノは自分は厳しいと思っている。

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