ディアーナのため息

「あれ?サッシャは?」


ディアーナの部屋、お茶の時間である。

今日は父も母も不在のため、ティールームは使わずに部屋でお茶の時間を過ごす事に決めていたディアーナ。カインからの贈り物のお茶も、ティールームの使用人ではなくイルヴァレーノに淹れてもらいたいと思っていた。


「先程呼んできたのですが、もうちょっと、もうちょっとという返事が返るばかりでした」

「本を読んでいるんだね、きっと。お兄様も夢中になって本を読んでいると返事するだけじんになっていたよ」


イルヴァレーノは頷いた。カインは刺繍でも編み物でも夢中になっていると空返事をすることがよくあった。

良くも悪くも集中力が高いカインは自分の世界に入ると周りが見えなくなる所があって、イルヴァレーノはそんな時ひっぱたいて現実に戻していた。もちろん、人前でそんな事は出来ないがカインも人前では周りに気を配ることが出来ていたので人前でカインをひっぱたく事はなかった。


「先に準備をしてしまいましょう。おやつはどうしますか?」

「さっき、バイオリンの帰りにティールームに寄って貰ってきたよ」


そういって、ディアーナはスカートのポケットから布巾に包まれたクッキーを取り出した。


「またそういう…。サッシャに怒られますよ」

「サッシャに見つからないうちにサッと出すから大丈夫だよ」

「そもそも、ポケットに入れたらクッキーがボロボロになってしまいますよ」

「あれぇ…ほんとうだ…」


ディアーナがスカートから出した布巾をローテーブルの上で広げると、お花の形をしたクッキーの花びらがだいぶ折れてしまっていた。

イルヴァレーノはティーセットが仕舞われている棚から小皿を出すと、クッキーを布巾の上から皿の上に移動させた。

布巾に残った小さなかけらたちは、もう一度布巾に包んでベランダまで行くとパラパラとベランダにばらまいた。パンパンと布巾を勢いよく払って小さなカスもふるい落とすと、小さく畳んでテーブルの隅にそっと置いた。

いつもの事なので、ベランダには早速小鳥たちがやってきてクッキーのかけらたちをつまんでいる。


「そろそろ、手からパンくずとかお菓子とか食べてくれるようにならないかなぁ」

「ディアーナ様がジッと動かないでいられるようにならないと難しいですね」


ソファに座ったままディアーナはベランダの外を見つめていた。

カインが作った庭の餌台には、今でも朝食後にパンくずを乗せに行っている。小鳥たちはディアーナが餌台から離れるまで近寄ってこないが、ディアーナはいつか手に乗ってパンくずを食べてくれるようにならないかなぁと夢をみている。

一度、一羽の小鳥が手に乗ろうとした事はあったのだが、ディアーナがその小鳥を捕まえようとして柏手を打つように勢いよく手を閉じてしまったのだ。それ以来、小鳥はディアーナに近寄ってこない。


ディアーナがクッキーくずをつつく小鳥を眺めていたら、良い香りが鼻をくすぐってきた。ベランダから部屋の中へと視線を戻すと、イルヴァレーノがティーカップにお茶を入れてテーブルまで運んで来ていた。


「いい香りだね」

「カイン様の贈ってくださったお茶ですよ。花のような、香ばしいような。不思議な香りですね」


イルヴァレーノはディアーナと自分の前にカップを置くと、自分も向かい側のソファに腰を下ろした。


「サッシャが来る前にはじめてしまいましょう。このままでは、お茶の時間にするまえにクッキーをつまみ食いしたと思われますよ」


ポケットに入れてきたせいで欠けているクッキーに目をやりながらイルヴァレーノがそう言うと、ディアーナはうへぇとお嬢様らしからぬ声を出して口をへの字に曲げた。


「じゃあ、食べちゃおうか」

「はい。いただきましょう」


お茶の時間を部屋で過ごす時は、イルヴァレーノもサッシャもディアーナと一緒に席についてお茶を飲む。

二年前にサッシャがディアーナの専属侍女となったばかりの時に、カインがそういう習慣にしたのだ。


「部屋で過ごすときはイルヴァレーノも一緒にお茶を飲むようにしてるんだ。後ろに立たれていては落ち着かないし、話し相手が居たほうがお茶の時間は楽しいと思わない?サッシャが立って待機していると、イルヴァレーノだけがサボっているみたいにみえて外聞が悪いよね。だから、サッシャも一緒にお茶を飲んでくれると嬉しいんだけどな」


そういってカインはサッシャを座らせたのだ。カインの部屋のソファは一個壊れていて三人しか座れないので、サッシャが来てからはディアーナの部屋でお茶を楽しむようになっていた。


サイリユウムのお茶は、香りが良くて渋みのある濃いめの赤茶色のお茶だった。リムートブレイクのお茶とはだいぶ違っていて、飲んでいて不思議な感じがした。


「このお茶だったら、もっと甘いお菓子でも良さそうだね」

「そうですね。砂糖菓子などを用意してもらいましょう。お茶はもう少しありますから」


ディアーナとイルヴァレーノがクッキーをかじっていると、ノックをしてサッシャが入ってきた。

サッシャはディアーナの部屋と続いている使用人部屋に住んでいるので、隠し扉を使えばすぐに入ってこられるのだが、真面目に一旦廊下に出てからドアをノックして入ってくる。


「遅くなりました。失礼いたします」


サッシャはティーセット用の棚で自分の分のお茶を用意すると、ソファまでゆっくり歩いて来て自分のいつも座る席に腰をおろした。


「とても香りの強いお茶ですね。外国のお茶!という感じがします」

「そうね。我が国のお茶はもう少し香りは少ないし渋みも無いものね」


そういってディアーナは身を乗り出してクッキーをつまむと、ポイと口の中に放り込んだ。

それを見たサッシャがクワッと目を見開いてキッと眉毛を吊り上げた。


「ディアーナ様。クッキーを一口で食べるなどはしたないですよ。それに、大きな口をあけて放り投げるように口に入れるなどいけません」


クッキーの食べ方について叱られてしまった。口に物を入れた状態で返事をすればまた怒られる事はわかっているので、ディアーナは一生懸命もぐもぐと口を動かしてごくんと飲み込むと、お茶を一口含んでくちの中をさっぱりさせた。


「はぁい」

「間の伸びた返事をしてはいけません。はい。と短くはっきりとお返事なさいませ」


「…はい」


サッシャは厳しい。

完璧な侍女に為るためには、主となる令嬢も完璧でなければならないと思っているのかもしれない。

だいぶ打ち解けて来ているし、こうしてお茶の時間も一緒に過ごしてくれてはいるが、味方に引き込むにはもう一歩仲良くなりたいとディアーナは思っていた。


「絵本は読めましたの?」


お嬢様らしく、読書の進捗を聞いてみた。サッシャはつり上がっていた眉毛を下げて、真顔に戻って頷いた。

サッシャはディアーナの令嬢らしくないところを見つけるときつく叱るが、その怒りというか盛り上がった感情というか、そういったものは長続きしない。

反省して、お嬢様らしくやり直せばすぐにフラットな態度に戻る。その気持の切り替えの早さはディアーナも気に入っていた。


母エリゼに付いている侍女のウチ一人に、一度怒り出すとずーっと怒っている女性がいる。そして、別のことで怒った時に過去の失敗まで思い出してそう言えばあの時も、と過去についてまで怒り出すのだ。

普段は温厚で優しい侍女なのだが、エリゼが彼女をディアーナ付きにしようとした時にはディアーナとカインとイルヴァレーノが三人がかりで遠慮という名の拒否をした。


それに比べればサッシャは世を忍ぶ仮の姿を演じていれば優しいし、多少のわがままは聞いてくれる。読書好きというディアーナとの共通の趣味があることも調査で分かった。

ここから、サッシャ取り込み作戦に切り込んでいくという作戦をイルヴァレーノと話し合ってある。


「はい。楽しく読むことが出来ました。ブレイク語の本と読み比べたいので、もう少しお借りしていてもよろしいですか?」

「構いませんわ。読み終えたら、ユウム語で読み聞かせしてくださる?」

「字は読めますが、発音の方は自信がございませんのでご容赦ください」

「あら、残念ね」

「お嬢様とサッシャで、一緒に発音の練習をされたらいかがですか。一緒に勉強する人がいるとくじけにくいと聞いたことがあります」

「それはいい考えね。サッシャどうかしら。すぐは無理かもだけど、発音を教えてくれる人をお父様に探していただきましょう」

「ディアーナ様。『無理かもだけど』はいけません。『すぐには無理かもしれませんけれど』『時間がかかるかもしれませんけれど』と言う方がよろしいでしょう」

「…はい」


サッシャに言葉使いを直されてしまった。せっかく絵本の話題から一緒に言語の練習をしようと誘う話題に繋げられたのにと、ディアーナはちょっとしょんぼりとしてしまった。

イルヴァレーノは少し身を屈めてディアーナの顔を覗き込むと、優しく微笑んだ。


「先程注意された、間延びした返事をしてはいけないというのがもう守れていますね。ディアーナ様は注意されたことはちゃんと出来て偉いですね」


イルヴァレーノがカインのマネをしてディアーナを褒めているのがわかった。ディアーナは少しうつむいて、サッシャから見えない角度でヘニャリと弱った笑顔を見せた。

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