寄り道:アルンディラーノのあこがれ

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アルンディラーノには乳母が5人居た。とは言っても同時に5人居たわけではない。


1人目の乳母は、雇われたものの乳の出が悪く、自分の子と2人に乳をやるのは困難だと判断されて退職金を持たされて解雇された。


2人目の乳母は、子どもを産んだものの死産となり育てる子が居ないが乳は出るという触れ込みだった。しかし、不義で出来た子だと判ってしまう容姿の子が産まれた為に孤児院の前に捨てて死産と言っていた事が後に判明し、解雇された。


3人目の乳母も、死産で子を無くした女性だった。今度は王宮もしっかりと死産であることを確認した上で雇ったのだが、子を無くしたショックから立ち直れていなかった女性はアルンディラーノを溺愛し、独占し、王妃殿下にすら抱かせようとしなかったので解雇された。


乳母の条件は子どもを産んで母乳が出ることと、産褥期が終わっていること、貴族であることだったので、最初の募集では王妃殿下より先に出産した人たちだけが募集対象となっていた。


しかし、乳母の交代などで時間が経っていた為に、4人目以降の募集では王妃殿下の懐妊を知ってから子どもを仕込んだ人も対象に入ってきた。

そういった人たちは我が子を王族と同窓にする事で縁を繋ごうという野心ある人物である。

まだ乳児であるアルンディラーノに呪いのように自分への愛を刷り込もうとしたり、隠れて虐待をして従わせようとしたりして解雇された。


碌でもない母乳リレーでも、なんとか1年が過ぎた。離乳食も始まったのでもう乳母ではなく子育て経験の有るものであれば良いと言うことになり、子守役として騎士団副団長であるファビアン・ヴェルファビアの母が指名された。


ファビアンの母は孫であるゲラントとクリスを連れてくる事があった。

ゲラントはアルンディラーノの2つ上、クリスは同じ年であったため、乳兄弟の居ないアルンディラーノの遊び相手になればと思ってのことである。

このクリスが、後に聖騎士ルートの攻略対象となる人物だ。


ゲラントはお兄ちゃんぶりたいお年頃だったのか、アルンディラーノとクリスを良くかわいがったが、何事かあったときにはアルンディラーノを優先した。それを受けてクリスはお兄ちゃんを取られまいとアルンディラーノに対抗する事が多かった。


「僕も僕のお兄ちゃんが欲しい」


ゲラントに可愛がられる事は嬉しかったが、ゲラントは夕方には帰ってしまうし、毎日来るわけではなかった。

その寂しさからお兄様が欲しいとこぼしたこともあったが、弟か妹が出来たらゲラントのようなお兄ちゃんになればよいと諭された。

そう言うことではないと言いたかったが、なんと言えば良いのか解らなくて黙るしかなかった。


やがてゲラントは家庭教師を付けての勉強や父親からの剣術指南が始まったために、祖母に連れられて王宮に来ることが減っていった。

クリスと2人で遊ぶことが増えたが、クリスは何かにつけてゲラントの話をした。


「お兄さまが騎士様から頂いたお菓子を分けてくださった」

「お兄さまが字を習ったのでご本を読んでくださった」

「雷が怖かったけどお兄さまが一緒に寝てくださった」

「お兄さまが」「お兄さまが」「お兄さまが」


やがて、アルンディラーノが4歳になると家庭教師を付けての勉強が始まったため、子守役も付かなくなった。

メイドと護衛の騎士が付いて回るが、雑談をしたり一緒に遊んでくれたりはしなかった。



「お友達が沢山できるわよ」


母である王妃殿下にそう言われて連れて行かれたのは、貴族女性が集まって刺繍をする集会だった。

同じ年頃の子ども達が沢山居て、積み木や絵本などのおもちゃも沢山置かれていた。

よく見るとひとりだけ年が上の少年がいたが、その少年は女性達に混ざって刺繍をしており、子ども達の遊びには混ざらないようだった。


その場で、アルンディラーノは自分の言うことを聞かない女の子の手を強引に引き、突き放して転ばせてしまった。

すると、風のような速さで先ほどの少年が女の子の前に現れて怪我の心配をしていた。

アルンディラーノは、なぜか女の子が言うことを聞かなかった時以上に腹が立った。自分を優先しない事への苛立ちだった。

振り向いた少年の顔はすごく怖かった。幼いアルンディラーノはこんな怒りをぶつけられたのは初めてだった。


「な、なんだよ」


と強がってみたが、頭を掴まれて体は恐怖で震えていた。

青から紫色に変わっていく瞳は綺麗だなと現実逃避までした。



その日の刺繍の会はまもなく解散となり、あまり他の子たちと遊べないまま終わってしまった。

後から聞けば、あの少年は女の子の兄なのだという。


「女の子を転ばせたから、お兄ちゃんが怒ったんだ」


アルンディラーノは、女の子が羨ましくなった。あの子には転んだだけで飛んでくるお兄ちゃんが居るのだ。手のひらの擦り傷に対してあんなにも怒ってくれるお兄ちゃんが居るのだ。


「僕もお兄ちゃんが欲しいな…」


久しぶりに、願いが口から出た。

もう、上の兄弟が後から出来ることはない事をアルンディラーノは理解していた。兄が欲しいという願いは叶うことがないのだと解っていた。


「あの少年を、お兄さまにできる方法がひとつだけありますよ」


そう、アルンディラーノに囁いたのは後ろに控えていたメイドだった。

普段は指示を仰ぐか指示への返事しかしないメイドが話しかけたので驚いてアルンディラーノは振り向いた。


「ディアーナ様とご結婚なさることです。ディアーナ様のお兄様であるカイン様は、夫である王太子殿下のお兄様にもなるのです」



あの女の子は可愛かったがなんだか生意気だったから好きではないけれど、結婚したらあの少年がお兄ちゃんになる。

それはなんだか魅力的な気がした。


自分が転んだときに駆け寄ってくれる少年を想像して。

自分が怪我をしたときに怪我をさせた相手に怒ってくれる少年を想像して。

怒りで瞳の色が変わっていく少年の顔を想像して。


「僕のお兄ちゃんになってくれないかなぁ」


母から仲直りの会があると言われ、ドキドキする。謝罪の仕方や謝罪の受け方を教わっていたが、少年の事を考えていて聞き流していた。

あの少年は妹を溺愛していると教えられた。妹の方とも仲良くしておかないと嫌われてしまうとアルンディラーノは考えて、女の子にもちゃんと謝って仲直りしようと決心した。


仲直りできたら、お兄さまと呼んで良いか聞いてみよう。

ゲラントとクリスが帰って行く時みたいに、手を繋いでくれるだろうか。

良いことをしたときに、褒めてくれるだろうか。

いけないことをしたときに、優しく窘めてくれるだろうか。

褒めるときに、頭を撫でてくれるだろうか。


アルンディラーノの『お兄ちゃん』に対する憧れは膨らむばかりだった。

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また番外編ですみません。

月初のお仕事あけるまでお待ちください。

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