寄り道:カインの苦手なもの
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カインには前世の記憶がある。
カインの前世は地球という星の日本という国に住む30歳手前の男性で、ゲームが好きでゲーム実況動画を配信して小遣い稼ぎをしている人間だった。
30歳手前といえばもう十分な大人であったが、前世ではホヤが大の苦手だった。あの感触も見た目も磯臭さもどれもコレもが嫌悪感の対象でしかなく、居酒屋のメニューで名前を見かけるだけでまゆをしかめるレベルだった。
大人なのに好き嫌いするなんて、と職場のおばちゃんに言われた事もあったが、緑黄色野菜を嫌ってるんじゃ無いんだから良いんだ!と反論していた。
幸いなことに、転生した世界ではまだホヤと出会っていない。
王都からは海が遠いせいもあるし、乙女ゲームの世界であるこの世界にはそもそもホヤが無いのかも知れない。
乙女ゲームとは縁が無さそうな食べ物。それがホヤ。
そして今を生きているカインであるが、緑黄色野菜のひとつであるニンジンがダメになっていた。
前世ではニンジンが苦手なんて事はなかった。むしろ、肉料理に添えられるニンジンのグラッセなんかは大好物だったのだ。
砂糖とバターで甘くコクのある味に仕上げられたグラッセに肉汁とデミグラスソースが絡まった状態は神の食べものだとさえ思っていた。
なのに、カインの舌を通すとどうしても受け付けないのである。
「野菜のくせに甘い」のが許せなくなってしまっているのだ。
これはもう体の相性とか遺伝子のなんかが作用しているとか、そう言うことなんだろうと諦めていた。
暗記ものの勉強が苦手だった前世と違い、勉強はやったらやった分だけ、運動したらした分だけ成長するカインの『攻略対象者』という体を考えれば、前世の記憶はあるもののやはりもう全くの別人なのだなと諦めるしかないのだ。
あの神の食べ物を、もう美味しいと思えなくなってしまったことはとても残念だった。
ニンジンが苦手になったカインにはもう一つの試練があった。
ディアーナもニンジンが苦手だったのだ。
好き嫌いしてはいけないよ、と諭すためには自分が率先してニンジンを食べる必要があった。ディアーナは粒の大きな豆類も嫌いだったが、そちらは時々「次はちゃんと食べるんだよ」「お母様には内緒だよ」と言いながら食べてやる事もできた。
代わりに食べてやることで「お兄様だいすき!」と感謝されるのでカインは諭して食べさせるの半分、代わりに食べるの半分で対応していた。
しかし、ニンジンはダメだった。ニンジンだけはなんとか諭してディアーナ本人に食べさせていた。
自分の分を食べるだけで精一杯だったのだ。
「カイン様も、食べたことを褒めてくれる人がいれば美味しく食べられるようになるんですかね」
「ディアーナだってニンジンや豆が美味しくなってるわけじゃないだろ」
目の前に、オレンジ色をしたクッキーとパウンドケーキが置いてある。
ニンジン嫌いを克服して貰おうと料理人が作ったらしい。母エリゼが先ほど持ってきたのだ。余計なことを……とカインは苦々しく思った。
食事中にも顔に出さずにニンジンを食べていたのだが、料理人にニンジン嫌いがバレてしまったのだ。
謹慎中に自室で食事を取っていた時。食欲が無く食事を残していた時期があったのだが、まんべんなく残していたつもりだったが無意識にニンジンが多く残されていたらしい。
おかずを半分残す。という残し方なら良かったが、おかずの中のニンジンだけ残っていたらしい。無意識だった。
「食べられたら、褒めてあげますよ?」
イルヴァレーノがニヤニヤしながらそばに立って見守っている。
舌打ちをひとつしてジロリとイルヴァレーノを一睨みすると、クッキーをひとつつまみ上げた。
ニンジンの甘いところがダメだっていうのに、クッキーなんて甘いものに加工してどうするって言うのか。持つものは持たざるものの気持ちがわからないのか!などと脳内の思考で悪足掻きして、つまんだクッキーをなかなか口に運べない。
コンコンっバタンっ!
ノックと同時にカインの私室のドアが開いた。
「お兄様ご本を読んで差し上げます!」
「ディアーナ様、ノックをしたら返事を待ってからお入りください」
「はい!」
いつも通りのやりとりをして、ディアーナが部屋へと入ってきた。大きな絵本を抱えていたが、カインの指先に摘ままれたクッキーを見ると目を輝かせた。
「あー!お兄様だけお菓子ズルイ!ディも食べる!」
駆け足でローテーブルまで来たディアーナは、カインとイルヴァレーノが声を掛ける間もなくヒョイと皿からクッキーをつかむと口の中に放り込んだ。
「ディアーナ様、それ…」
「ディ、ディアーナ……大丈夫か?」
ひとつが大きめのニンジンクッキーをモグモグとほっぺたを膨らませて咀嚼していたディアーナは、ゴクンと飲み込むとニコリと笑った。
「美味しいね!オレンジ色は何の色?オレンジ?お花?」
そう言いながら、ディアーナはもう一つクッキーをつかんでまた口に放り込む。
その様子を無言で見つめていたカインとイルヴァレーノは、どちらからともなく顔を合わせた。
「よろしいですか?」
とイルヴァレーノが聞いてくるのでカインが頷くと、イルヴァレーノもクッキーをひとつ取って口に入れた。
しばらく眉間にしわを寄せながらモグモグと口を動かしていたが、やがてゴクンと飲み込むと首を傾げた。
「たぶん、カイン様食べられますよ」
「えぇー…」
カインと同じくニンジンが苦手なはずのディアーナがニコニコと食べているのと、イルヴァレーノが食べられると請け負っている。
さすがにこの状況で食べないというのはカッコ悪い。エイヤっと摘まんだままのクッキーを口に放り込んだ。
咀嚼してみると、ほんのり蜂蜜の甘さが口の中に広がり、小麦の香ばしさがホロリと崩れていって、そしてのどの奥に消えていった。
青臭さなどは何もなかった。
「ニンジンの味がしない…」
「ニンジン嫌いのために、ニンジン入りだけどニンジンを感じさせない工夫をしてくれたのでは?」
「それは…意味なくないか?」
カインもディアーナも、ニンジン嫌いだがいつも残さず食べている。ディアーナはしかめっ面で、カインは表情を隠してだがちゃんと食べている。
こういうのは、どうしても食べない子に食べさせるための方法なのではないか?
「ニンジンの味がしないなら、苦手克服には役に立たないだろ」
「褒めましょうか?」
「いらないよ」
ニンジンの味がしないとわかっても、なんとなく手が伸びないカインと違って、ディアーナは次々にクッキーを食べている。
「イル君!お茶ほしい!」
「ディアーナ様。お茶を入れますから、ちゃんと座って食べてください」
「はい!」
カインが一度立ち上がり、ディアーナを抱いてソファに座り直す。
イルヴァレーノが茶器棚へ向かって足を進めている。
クッキーがお皿に半分になった頃に、ディアーナはパウンドケーキに手を伸ばした。
「ディアーナ、それは大きいから僕と半分こしよう?そのまま食べたら口からはみ出してしまう」
ディアーナより先にパウンドケーキを手に取ると、カインは半分に割って片方をディアーナに渡した。
クッキーがニンジンの味がしなかったので、カインは油断した。一切れの半分の大きさを、一口で食べたのだ。
クッキーよりも水分が多く、本来から粉以外のものを混ぜやすいパウンドケーキには、クッキーとは比べものにならないほどのすりおろしニンジンが含まれていた。
ティーポットに湯を入れて振り向いたイルヴァレーノの目に、2人そろってソファの上で悶絶する兄妹が映ったのだった。
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すみません。月初はとんでもなく忙しく、本編進める時間がちょっと取れそうにありません。
余談的なお話ですが、楽しんでいただければ嬉しいです。
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