お父さまの帰還

エルグランダーク公爵は、王宮の法務省で事務次官をしている。それとは別に、王国の東端にあるネルグランディ領を治める領主でもある。その場合は、ネルグランディ辺境伯と呼ばれる。

領地運営の実務は弟のエルグランダーク子爵に任せているが、定期的に視察に行って現状の確認と経営方針などの相談・打ち合わせをしている。


春の領地視察を終えてひと月ぶりに帰って来たエルグランダーク公爵は、外套を脱ぐ間もなく妻、息子、娘から使用人の追加について懇願されていた。


「まずは、着替えさせてくれ。話はお茶を飲みながら聞くから」


おかえりなさいの挨拶もそこそこに3人から詰め寄られた公爵は苦笑いを残して自室へと向かった。

領地へ付き従っていた侍従が、ネルグランディ地方のお菓子を持ち帰った事をエリゼに伝え、すぐに茶菓子としてだすか質問している。


「ディアーナ。先にティールームへ行っていよう。お土産のお菓子があるようだよ」

「おかし!おかしを食べたら、歯をみがかなくてはいけないのよ!おにーさま」

「そうだよ!ディアーナは良く知っているね、えらいねぇ。食べ終わったら兄様と一緒に歯を磨こうねぇ」


手をつないでお茶と軽食を楽しむための部屋へと歩いていく。

お茶とお茶請けの手配が済めばエリゼも追ってくるとわかっているので、ディアーナは素直にカインと歩いていく。


ティールームへ着くと、カインは引き出しから一枚のエプロンを取り出してディアーナに着せる。3歳のディアーナはまだものを食べるのがあまり上手ではない。公爵のお土産のお菓子の種類によっては食べこぼしてしまう可能性があるので、カインはエプロンを着せたのだった。

水色のフリフリドレスに白いフリル付きのエプロンを着せると、「色合い的にアリスみたいだ」とカインは前世の童話の主人公を思い出していた。


大人しく座って待っていると、まもなく父と母がやってきた。


「カイン。久しぶりに帰宅した父さんにディを譲る気はないのか?」


入室と同時に、ソファに座る子供2人をみて眉をしかめた。

2人掛けのソファに、カインはディアーナを膝に乗せて座っている。


「譲るとか…。父さま、ディアーナを物のように言うのはやめてください。人権侵害ですよ」

「人権侵害とか難しい言葉を知っているな…。じゃなくて。父さんにもディアーナを可愛がらせて欲しいんだが?」

「ディアーナの可愛らしさはテーブルを挟んだくらいでは減りません。どうぞ、向かいの席からいくらでも愛でていただいてかまいませんよ」

「父さんは、ディを抱っこして撫でたいんだが」


カインは、ぎゅうとディアーナを抱っこしている手に力を込めた。ディアーナはきょとんとした顔で兄と父の顔を見比べていた。

カインの後ろから、するりと白い手がディアーナの脇に差し込まれると、そのまま持ち上げていく。

エリゼが、ソファの後ろからディアーナを引っこ抜いたのだ。そのまま、夫にディアーナを渡して抱かせると、コツンとカインの頭をノックするように叩いた。


「いい加減になさい。あなたはずっと一緒にいたのだから、ひと月ぶりのお父様に譲りなさい」

「…でも」

「ふれあいがなさすぎて、またディアーナから『このおじさんだれ?』とか言われるようになったらお父様がかわいそうでしょ」


実際に、領地視察が少し長引いた時に言われたことがあると以前にカインは聞いていた。それを言われると引っ込むしかなかった。


ティールームのメイドがお菓子やお茶を用意していく。皆の前にそろったところで公爵が口を開いた。


「で、使用人を1人雇いたいとか?別に、家のことはエリゼに任せているのだから私を待たなくても良かったのに」

「雇いたいのはカインの侍従としてなのです」


エリゼは邸の女主人としてある程度は采配をふるう権限を持っている。

必要があれば使用人の解雇も雇い入れもエリゼの独断でできる。実際には、メイド長や執事長などからの申し出を受けて相談の上に判断しているので、完全に独断で人事を仕切ると言うことはないのだが。

例外としては、家人の側仕えとなる侍従や侍女の雇い入れや、政務にも携わるような重要な役職に付ける場合などには、主人である公爵に伺いを立てる必要があった。


「カインの侍従ね。まだ茶会にも夜会にも出ないし入学する年でもないが、何かあったかい?」

「実は…」


エルグランダーク公爵の留守中にあった、イルヴァレーノを拾ってからの事を説明した。きちんとした言葉遣いが出来ること、食事のマナーが出来ていること、彼の読み聞かせでディアーナの読解力が上がったこと。そして、孤児であること。

カインとディアーナが懐き、エリゼも気に入っているという話を聞いて公爵は腕を組んで「うぅん」と唸った。


「カインと同じ6歳なのだろう?侍従として仕えさせるには早い気もするがなぁ」

「あんな良い子はなかなか居ませんわ。待っていたら他の家にとられてしまいます」


いや、孤児から召し上げる貴族はなかなか居ないだろうとカインは心の中でつっこみを入れた。そもそも、孤児院に貴族向けの教育を施されている子供が居るなど誰も考えないだろう。

善行の一環として、貴族が経営している商会や漁船・農業団体等に従業員として孤児を引き受ける事はあるかもしれないが。


「ディのじじゅーでもよいのよ、おとーさま。イルにーさまは、ご本をよむのがとってもじょうずなの!」


公爵の腕の中で、おやつのクリームパイを食べていたディアーナが、顔を見上げて発言すると、公爵はカインの顔を見た。


「イル兄様だって。兄様だって!」


カインの顔を見たまま、そう言ってぷぷぷーっと笑った。イル兄様呼びを一生懸命止めさせようとして出来なくて落ち込んだカインを見ていたエリゼは、横を向いてハンカチで口元を隠しているが肩が震えている。


「……そこはもう、通り過ぎたことなので良いんですよ!侍従になれば立場の違いを含めてディアーナに改めて言い聞かせますし!」


精神年齢がアラサーといえども、悔しいものは悔しいのである。

弟も妹も今後どれだけでも増える可能性は決してゼロではないが、兄は絶対に増えないのだ。それがカインの矜持であり心の支えなのだ。


「では、こうしよう。一度、イルヴァレーノとやらを連れておいで。私が面談して決めようじゃないか」


パンっと手をたたいて、公爵が結論を出す。

予定の空いてる日を確認して、調整ののちに面談を行い、採用の可否を決めることとなった。

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