◆ 22・契約と妥協(後) ◆


「痛っ、……く、ない……?」


 呆然と紡ぐ。

 右の手には、ざっくりと彼女の尖った指先が貫通している。証拠に赤い血が黒い針を伝って、ポタリ、ポタリと床を汚す。

 彼女はその血を空いている方の手で掬うように受け止めた。


「面倒なので、麻痺させました」

「麻痺?!」


 彼女は受け皿に溜まった数滴の血に顔を埋める。

 ピチャリと舐める音を響かせ、ポツリ。


「契約内容の確認です。シャーロット・グレイス・ヨークの命を守る代わりに私を人間にする」

「……ええ、よろしく」

「復唱で」

「私、の命を守る代わりにミランダを人間にするわ」


 彼女は顔を上げ、私をまっすぐに見た。

 唇にはかすかに血がついている。

 彼女がズルリと指を引き抜く。


「仮想対価は、貴方の魂」


 引き抜かれる時すらも肉を引っ張られる感覚はあったが、やはり痛みはない。


「了解よ、ミランダ。全部ね」


 この状況よりも、零れる血への恐怖の方が大きい。

 それに気付いているのか、ミランダが私の手を取る。ダラダラと止めどなく流れる穴に口づけた。


「血、魂、記憶完了です」


 血が止まり、穴が塞がる。

 流れた血の跡が残っている為、現実にあった事だとは理解できている。


「悪魔って……治癒魔法もできるの?」

「……これは契約であり、マーキングです」


 二コリと笑うミランダにゾッとする。



 マーキング……逃す気はないって事ね……。



「支払われないと判断すれば、確実に摘み取ります」



 でしょうね!?



「ところで、お嬢様。明日お休みをいただいて、我が家に戻ってもいいでしょうか?」

「はぁ、そういう事は侍従長とかそっちに」


 突然の暇乞いに首を傾げれば、彼女は引きつった笑みで続ける。


「本来であれば、そうでしょうね? ですが、お嬢様と私は今、契約を結んだわけでして。嫌々であろうとも私は貴方を守るという任務がありますから? 能力値が低いとも言いましたよね? 離れた位置から貴方を守れるとでも? 

共に移動してくださらないと困るわけですよね? ですから、これって簡単にいえばお誘いですね。ええ、嫌々ながらですけど?」



 すみません、そうですね……そうでしたとも、そういう流れでした!!



「わ、分かったわ。一緒に行くわ」

「よろしくお願いします、ありがとうございます」


 確実に口先だけの礼である事は分かっているが、何度も頷く。


「それとお嬢様、服、着てください」


 手伝いませんと言わんばかりの言葉にも頷く。服に血が付かなかったのは良かったが、手や床には痕跡が残っている。


「あのー……非常に申し訳ないんだけども」

「ええ、処理しておきますのでさっさと寝てください」


 確かに私とミランダの関係は前とは変わったのだ。前と今のどちらがいいかと言われれば、不思議な事に今の方が気楽に接していられる気がした。



 まぁ、彼女に因る命の危険もなくなったし……当然といえば当然か?



 のろのろと服を着つける私を、彼女は黙って見ていた。

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