第52話 陽動
英国が戦争から退場してなお継戦の意志を示す米国。
その理由を聞かされた山本長官は軍政の長である堀大臣ならびに軍令の長である塩沢総長に端的に問う。
この後、戦争をどう収めるつもりなのか。
そして、強大になる一方の米軍とどう戦っていくのか。
「以前にも言ったはずだが、どうにもならんよ。粘り強く戦って米軍を出血させ、戦争継続が不可能になるほどに米国民の厭戦気分を高める以外に我々に取りうる手段は無い」
堀大臣の諦観交じりの言葉に、山本長官は嘆息する。
頭脳明晰な堀大臣をもってしても戦争を終わらせるための決定的な方法は思いつかないのだ。
そして、それは帝国海軍が圧倒的な科学力と工業力、それに経済力を背景に軍備増強に勤しむ太平洋艦隊との先の見えない戦いの継続を意味する。
山本長官も米海軍の建艦計画についてはすでに知らされている。
昭和一五年の時点で、米国は「ホーネット」ならびに一一隻の「エセックス」級空母を発注していることを帝国海軍はすでに掴んでいた。
掴むというよりも、商業誌にすらも掲載されているオープン情報なのだから、知らない方がむしろどうかしている。
だがしかし、米国はさらに「エセックス」級空母の追加建造を計画、今では確認されている分だけで三二隻もの同級空母がすでに発注済みで、その一番艦となる「エセックス」は昨年末に竣工、さらに来月かあるいは再来月には二番艦と三番艦もまた完成する見込みだという。
その「エセックス」級空母は防御力こそ「大和」型空母に及ばないものの、一方で航空機運用能力は同等かあるいはそれ以上、さらに対空装備や電子戦装備、それに速力などは同型を確実に上回るという。
「だからこそ、米軍がその戦力を蓄積するのを防がなくてはならん。仮に三二隻の『エセックス』級と三〇〇〇機余の艦上機が一度に攻めて来れば、我々としてはそれを防ぎようが無い」
現時点における世界最強の一機艦でさえ艦上機は一〇〇〇機をわずかに上回る程度だから、その三倍だ。
堀大臣の言う通り、米軍の戦力が出揃うまで攻撃を手控えるというのは悪手中の悪手だろう。
「それで、どうするのだ。一機艦は欧州から帰ってきたばかりだから乗組員の休養や艦艇の整備、それに新しく配属される将兵の訓練などでしばらくは実戦投入出来ん。しかし、それでも春以降であれば作戦行動が可能になるはずだ」
一六隻の空母をはじめ、多数の艦艇が一度に本土に戻ってきたことで日本の造修施設はてんやわんやの大騒ぎだった。
特に「大和」型空母はその艦体が大きいことから大型の船渠でしか整備することが出来ない。
帝国海軍は昭和一五年に横須賀と佐世保に三〇〇メートルを超える船渠を完成させていたものの、それでもその数は決して十分ではない。
ただ、幸いだったのは、一機艦が欧州にある間にマル四計画で建造が進められていたすべての大型装甲空母が進水を果たしていたことだ。
このことで、「大和」型空母はそのいずれもが滞りなく整備スケジュールをこなせる見込みだという。
また、「大和」型空母以外の他の艦艇に関しても交代で整備を施し、春までには一機艦の全艦がそれを終えるとともに、同時に予定されている改装によってその戦闘力もまたアップするはずだった。
「これは最高機密なので他言無用に願うが、ドイツは昨年に実施するはずだったソ連に対する夏季攻勢を、今年は少しばかり時期を繰り上げてこれをやるとのことだ。
このことで、帝国海軍に対し、太平洋の米軍に圧力をかけてほしいとの依頼が来ている」
昨年のインド洋海戦以降、ソ連はペルシャ回廊という連合国からの物資援助の大動脈の一つを断たれた。
さらに、英国が戦争から脱落したことで北海経由の船団輸送による援助もまた失っている。
そのうえ、米国はソ連に対する支援よりも自国の防備強化に戦争資源の大半をあてており、同国に対する援助は一部で細々と続けられているだけに過ぎない。
窮状ここに極まれりといったソ連に対し、だがしかしドイツが昨年のうちに大規模攻勢を仕掛けなかったのは冬にソ連に攻め込むことが無謀であるということを知悉していたこと、なによりドイツ自身もまた英国との戦いで少なからずダメージを被っていたことが大きかったはずだ。
日本ならびにイタリアとの共同戦線をもって英国を袋叩きにこそしたものの、しかし一方で流した血の量も決して少ないものではなく、英空軍と熾烈な航空撃滅戦を展開したドイツ空軍は特にそれが顕著だったことだろう。
そして、ドイツ軍は今はその回復を図っているという状況なのではないか。
「そこでこの春、おそらくは四月頃になると思うが、一機艦に再度ハワイを叩いてもらう。この時期であれば『エセックス』級も『インデペンデンス』級も数が揃っていないし、すでに完成している艦についても慣熟訓練が終わっていないはずだから敵機動部隊に側背を突かれる心配は無い。つまり、一機艦はそのすべての艦上機戦力をオアフ島に振り向けることが出来る。それと同時に、ドイツ軍もまた東海岸で大々的な通商破壊戦を行うそうだ」
堀大臣の言う通りだと、日本海軍は飛行機で、ドイツ海軍は潜水艦によって米国を東西から挟撃することになる。
しかし実際にはこれらは米国の注意を陸から海へと向けさせる陽動とも言うべきもので、本命はドイツによるソ連の撃滅だ。
それと、場合によっては西海岸や東海岸の住民の恐怖を惹起させ、厭戦気分をさらに加速させる副次的効果も期待できるかもしれない。
この件については山本長官としても特に反対する理由も見当たらなかったので確かめておきたいことだけを端的に尋ねる。
「戦力は十分なのか」
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