ACT-01:ランナー
根深き底
20 根齧る蛇の胎動
「定期報告に来た。開けて貰えるか」
白亜に染められた実験棟で密やかに囁かれる女の声。
二人の人影が最奥の部屋へと踏み入った。
「さてと、ご苦労様だね。丁度私も休憩しようと思っていた所なんだ。お茶でもどうかね?」
「いや、私達は定期報告に来たのであって時間が……」
「わぁ!ケーキ!お言葉に甘えさせてもらうわね!ほら、レイアも!」
「あ、あぁ……姉さんが言うなら……」
部屋に撒き散らされたレポートの数々に、フラスコで沸かされた紅茶。
おおよそ健康的とは言い難いその部屋に慣れた様子で、姉妹は椅子に腰掛ける。
実験サンプル保管用の冷蔵庫からケーキを取り出したこの部屋の主である瞳の赤い女は、今しがた書き纏めていた資料を手で退かし、茶器とケーキを並べると足を組み直した。
「それで、それぞれ変わった事は?」
「どうせ言わなくても分かっているだろう。また新たにドリフが二人メトロに入り込んだ」
「はは、別にそれは態々報告する程の事ではないだろう?」
「ん~!甘くておいしいわね!」
琥珀色のソースに包まれたキャラメルケーキを一口頬張った姉の方がじたばたと脚を振った。
この部屋に訪れた姉妹は二人とも妙に背が高く、研究者の女と話すのに若干前かがみになっているのが伺える。
「片方はイデアとの契約者だという噂だ」
「そう!また一人増えたという訳だ。それは是非調べて見なければならないと思っていてね。ただでさえまだ数の少ない契約成立者だ。寄生したイデアの性質も是非知りたい処だね」
「……やはり知っているじゃないか」
研究者の女が勢いよくフォークを顔に向けたせいで、飛び散ったキャラメルソースが妹の鼻先に付着した。
それを丁寧にハンカチで拭き取ると、紅茶を一口啜ってから一息ついた。
「これでは定期報告の意味がないと思うんだが」
「じゃあこれは知ってる?アマルガの街、消えたらしいわよ」
「あぁ、とても興味深い話だ」
ケーキを丁寧にフォークで切り分け、口に運んだ研究者は薄ら笑みを浮かべた。
「それも、錬禁術を持ち出されたとか。実行犯は……」
「もう片方のドリフだろう?いやいや、面白いじゃないか!実にね。今回のドリフは粒ぞろいという訳だ」
「もう!これじゃあクイズにもならないじゃない!」
ぷぅと頬を膨らませる姉。
はは、と笑った研究者は食べ終えた皿や茶器を乱雑に手で押し退かすと、再びレポートを手元に引っ張り出して来た。
「しかしいいのか。アレを奪われるのは面倒だろう、必要とあらば我々が……」
「今更さ。管理役代わりにしてやったコンスタンが勝手にCPUをダビングしてばら撒いてくれたおかげで、原盤に劣るとはいえもう流出してしまった技術だ。ドリフの一人が原盤を握ったとしても、今早急に手を打つ必要はないね」
「だが……」
「それにね、興味があるのさ。錬禁術の原盤を手にしたドリフが、どのように変化を遂げるのか……コンスタンは些か期待はずれだったが、外界から迷い込んだ彼女なら……或いはね」
姉妹には目線もくれず、ただひとりでレポートに目を落としながら物思いに耽っている研究者の女が、ひとつ不敵な笑みを浮かべた。
「しかし錬禁術の開発者は君だろう、イヴ。悪用されれば面倒なことにならないか」
「……フフ、さぁね。なぁに、研究結果の有効活用をしてもらうのは学者の本望だろうさ。そもそも混術自体が私の発明品だ。むしろ禁忌の混術だろうと何だろうと、興味深い結果を齎してくれるのならそれで構わないのさ。何なら、凍結済みの禁忌指定混術をばら撒いても私は構わないがね」
「……分かった。仕事を増やすような事はあまりしないでくれ」
研究者の言葉にため息を吐いた妹は、ケーキに手を付けずに姉の手を引いて立ち上がる。
スーツのヨレを正すと、カバンを持ち上げ軽く頭を下げた。
「おや、折角用意したのに食べないのかい、ケーキ」
「減量中なんだ、またの機会に」
「え~?おいしかったのに勿体ないわよぉ~」
「ミサエル以上に甘いもの好きだったと思うんだがね、レイア」
「うぐ……いや、ダメだ。今は接種カロリーにも気を遣わなければならない時期なんだ」
ケーキから必死に目を逸らしつつ、妹は自身の腹部を優しく撫でた。
腕時計に目を落とした彼女を見て、研究者は何かを思い出したように頷く。
「あぁ、そうか。確かに今は子に響いてしまうな」
「そ、そうだ。姉さんだって気を付けないといけないのに……」
「あら、私はちゃんと栄養摂った方が良いと思うけどな~?それに、こんな美味しいケーキ、食べない方が勿体ないわ?」
「……とにかく、今日の報告は以上だ。時間が勿体ない、自分の仕事に戻らせてもらう」
姉妹は研究者に背を向けると、部屋を後にした。
書類を再び机に広げ、それらに目を通しながら研究者の女は呟く。
「さぁ、君たちはどう生きる……オスカー、ルコア」
レポートに記された、二人の名前。
彼女は紅茶を一口啜ると、微かに微笑んだ。
脳内に張り巡らせた思惑を、ほのめかすかのように。
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