07 黒獣料亭と親方ドワーフ


「うまい……!」

「悪くないだろう?」


 カノンに連れ出されたオスカーは地元の飯屋に訪れていた。

 油ぎった床に崩れかけそうな内装の店でカノンに勧められたのは具なしのワンタンスープ。


「自分の愛車にまで名前を付けるという事は、それくらいワンタンが好きなのかと思ってな。連れてきて正解だった」

「でも具なしのは初めて食べた、こんなにおいしいなんて……」


 とろとろの生地がスープと絡み合い、つるんとした舌ざわりが心地良い。

 熱々の中でも旨みが損なわれる事なく、軽い食感のワンタンとは相反して、十分に腹が満たされる。

 元居た世界ではこれと言って苦手な食べ物も無く、いろいろな物を口にしてきたオスカーだったが、強いて言うなら好きな部類に入るワンタンがこんな異邦の地でも食べられる事に驚いた。


「バベロンに住まう人類の多くは金がないから、こういった低所得者向けの店が多くある。高価な食材や手間の掛る調理法を削ぎ落す代わりにリーズナブルにしているんだ。それでもマズいって訳でもなく、こういった限られた状況でも美味しく調理出来る店も少なからずあるのさ」

「なるほどな」

「随分と褒めてくれて嬉しいじゃねぇの」


 カノンの話を聞きつけたのか、厨房で中華鍋を振るっていた店主が顔を出して来た。

 漆く湿った質感の毛並みをした獣人が、牙の並んだ細長いマズルを笑ませ、二対ある腕を組みながら渋い声で話すさまは中々に恐ろしさを感じるが、少し汚れた白いエプロンを丁寧に巻き額に頭巾を充て毛が料理に入らないように配慮しているその姿には何とも言えない可愛らしさも感じる。


「ラオさん。良く知っている店だから話せるだけさ」

「グケケッ。しかしまた新顔を連れてくるったぁ、相変わらずそういった縁に繋がり深けぇヤツだな」

「偶然だよ、偶然。店の位置が悪いのかも知れないがな」

「それもありそうだな!」


 独特な笑い声をあげるラオと呼ばれた店主は、ゆっくりとオスカーに目線を向けた。


「あ、これ、とてもおいしいです」

「おうよ。他世界から来た連中の舌に合うかどうかは元の世界の文化との相性もあるんだが、まぁ一応ウチの故郷とは気が合いそうで安心したよ。それと……」


 オスカーの隣へと目線を動かすラオ。

 そこにはアビスがちょこんと腰かけていた。

 彼女の前には水が一杯だけ置かれているのみで、食事を口にしている様子がない。


「嬢ちゃん、イデアだろ?何も食わなくていいのか?」

「私は食事を必要としない」

「でも食う事は出来るんだろ?せっかくこういった店に来たならよ、何か食って貰わねぇと、こっちも落ち着かねんだわ」

「そう、なのか。それはすまない」

「なぁに謝る必要はどこにもねぇんだ。でも俺の知り合いのイデアはよぉ、よく食う奴だったからな」


 そう言ってラオが店員に持って来させたのは鮮やかなオレンジ色につやつや輝くプリンのようなものだ。

 オスカーの目にはそれがマンゴープリンのように見え、恐らくそれに似たモノであることも間違いないだろう。


「今まで何も口に入れた事ないみてぇだし、これくらいがいいだろう。サービスだよ」

「いいのか?ラオ」

「常連のお連れさんなら構わねぇよ。普段から贔屓にしてもらってるからよ」

「すまないな。では今度はこっちの店でサービスさせて貰うとしよう」

「おっ、それは嬉しいねぇ」


 会話に花を咲かせるカノンとラオを横目に見ながら、プリンにスプーンを通したアビスが恐る恐るそれを口に運ぶ。

 普段襟で隠している口元を露にすると、彼女は一思いにそれを口に含んだ。


「どう?アビー」

「……滑らかで、しっとりしていて、濃厚で芳醇な甘さ。同時にフルーツの香りを感じさせて、その爽やかさが濃い甘みの中でもスッキリさを与えてくれるからしつこさも全くない。とても……おいしい」

「ケッケッケッケ!初めてモノ食った割に随分と喋れるな!何だか俺も嬉しいなぁ?」

「オスカーのボキャブラリーを参考にさせて貰った。感じた事を言語化してみるべき、だと思って」

「ま、また頭の中を……」

「悪いことではないんじゃないか?こうやって表現できる言語が増えれば、コミュニケーションも円滑に出来るようになるだろう……と、そうこう話してたらやっと来たか」


 店のドアに取り付けられたベルが揺れる音。

 そうして店内に姿を現す、小さな人影。


「おうおうワリいな!渋滞にハマっちまってのう!」

「空を飛べるトラックで渋滞か?」

「あぁ、ワチを先頭にした渋滞がな!」


 オスカーの半分ほどしかない身長に、顔を覆う溶接面のような機械的なマスクの下からは白い髭がたくわえられ鬣のようにすら見える。

 素顔は見えず、全身を様々な工具やサポーターで装備した安全服はその声と同じように年季が入っていた。


「カノンさん、こちらは?」

「バベロンにある町工場の工場長だ」

「ミゼルグのゲンジイじゃ!よろしくな!」

「お孫さんは元気?」

「おぉ元気だとも!お前さんたちと会うの楽しみに待っとるぞ!」


 差し出された分厚い手袋で包まれた体に似合わない大きな手をオスカーは握り返す。

 背は低いものの、その握る力や感じさせるオーラは自分自身よりも遥かに強いとオスカーは感じた。


「オスカーじゃったな!バイクを直したいんだって?異世界のモン触れるんならワチらも大歓迎だ!」

「でも随分とバラバラにされてしまって……直せますかね?」

「あ?直せる直せないは問題じゃねぇよ。もっと面白れぇコト試してみたいんだ」

「え……?」

「ミゼルグは手先が器用な連中だ。直せるのは当然として、追加の改造を施そうかどうかを考えてる。そうだろう?ゲンジイ」

「あぁそうだ!そのまま直してもつまらないからな!ガッハハ!」


 腰に下げてあったスキットルから恐らく酒を喉に流し込みながらゲンジイは割れるような声で笑った。

 イマイチ話に追いつけていないオスカーは少し首を捻りつつも、愛車が直るならと彼の話に承諾した。


「よっし!そういう事ならトラックにお客さん載せるぞ!仕事が立て込んでて早く取り掛かっちまいたいからな!」

「おいゲンジイ、今日は何も食ってかねぇのか?」

「おう!それとラオ、いつもの老酒送っといてくれ!」

「あいよ、相変わらず飲むなゲンジイは」

「ミゼルグの血にはアルコールとガソリンが流れてるからな!」


 飛び込んできて早々に話す事だけを話して店を出ていく小さな後ろ姿。


「私達もついていくとしよう」

「うん。アビー、そろそろ……」


 そう言いかけてオスカーが振り返るとそこには、所狭しと並べられた炒飯、棒棒鶏、焼売、餃子、中華ソバの群れを平らげているアビスの姿があった。


「ちょ、アビー何して……」

「全部、おいしい」

「お嬢ちゃん、もう皆行っちゃうみたいだぜ。美味しがってくれるのは嬉しいけどそろそろおじちゃん達も疲れちゃったよ……」

「……やはりイデアはイデアだな」


 財布の中身と伝票を見比べたカノンはその食べっぷりに関心しつつも、深いため息を吐いた。

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