第219話 不安
「いきなりだな。どういう意味だ?」
カールの口調も表情もいつもとほぼ変わらないように感じる。
しかしそれこそが僕の予想が当たっている事の証拠という気がした。
だから僕は当初の予定通り続ける。
「カールにとって挑戦しがいがある仕事が此処でもそろそろ減ってきたんじゃないか。そう感じたんだ。
あともうひとつ。カールにとってより重大な、あるいはやりたい仕事が出来つつあるんじゃないかと。
カールはさっき言ったよな。『個人的な感情を別にすれば順調だと言っていい』ってさ。その言葉はそういう意味じゃないか、そう僕は思った。違うか?」
念頭にあるのはローチルド家の異動だ。
おそらくローチルド家は元ゼメリング領に移動する。
この情報はカールの元にも入ってきている筈だ。
しかし現在のゼメリング領は酷い状態だ。
立て直しはそう簡単な事ではないだろう。
そこでカールが手を貸したいと思うのはごく当然だと思う。
今まで聞いたカールとローチルド主任調査官の関係から考えれば。
勿論これは僕の勝手な想像だ。
でも間違ってはいないだろうと思う。
何せカールとはそれなりに長い間、一緒にやってきたのだ。
「厳しいな、今日のリチャードは。キットが何か言ったか?」
「いや、キットは何も言っていない。あくまで僕の想像だ」
「そうか」
カールはそこで一度言葉を切って、そしてため息をつく。
「悔しいが正解だ。ただ正直どうすべきか考えあぐねている。
俺と相手の立場もある。相手先がどう思っているかもよくわからない。しかも俺が棄てた実家が面倒な形で絡んでいる。
それに正直この場所、組織名は変わったがいわゆる工房に愛着なり思い入れなりが無いわけじゃ無い。何せ俺が快適に仕事できるように作った場所だ。これがここまで育ったのもリチャードのおかげだが。
確かに此処での新規開拓は終わりつつある。それでも今後新しい挑戦が出来ない訳じゃない。
そして此処は
ここを離れたらそういった事は出来なくなるだろう。
勿論別の分野での挑戦は待っている。
しかし俺が今まで好きでやってきた物作りは此処ほど自由に出来なくなる。仕事として物作りを楽しむ時間は終わりだ。
つまり悔しいかないつもの合理的な判断なんてのが出来ない。それが俺の現在の“個人的な感情”だ。
だからリチャードには悪いが、もう少し見ない振りをしてくれると有り難い。そんなところだ」
なるほど。
カールが言いたい事はわかるような気がする。
ただこの件にはもう1人、身近に関係者がいるのだ。
「キットはどう動くだろう」
「キットは元々イザベラ側だ。ローチルド家が困っていると感じたら迷わず動く」
今の言葉でカール、話題がローチルド家関係だと認めた訳だ。
勿論僕がそう理解する事くらい、カールも承知の上で言ったのだろうけれど。
「わかった。もしどうするかを決めたら教えてくれ。さっき言った通り、僕として出来る限りの便宜は図る」
「済まない。リチャード」
「いや、ここまで出来たのもカールのおかげだ。カールがいなかったらこれだけの期間で鉄道がここまで進化する事は無かっただろうから」
これは本心だ。
カールという現在の科学・魔法技術全般を熟知していて、その気になれば見た事が無い物でも設計して作れる技術者がいた。
鉱山用トロッコが僅か3年で高速鉄道まで進化したのは間違いなくそのおかげだから。
◇◇◇
さて、カールにこの話をしたのなら、キットにも当然しなければならないだろう。
そういう事で翌日、やはり第3会議室。
キットに前日カールにした話の内容を説明する。
「確かに僕の方も開拓部分は終わりですね。研究の実証という意味でもほぼやり尽くしました。僕が研究していた歯車式、いや物理接点式ではこの先どれだけ改良しても10倍以上の能力向上は出来ないでしょう」
いや、ちょっと待ってくれ。
「改良で10倍近くまで行くならまだ先があるんじゃないか?」
「まあそうですけれどね。ただ原理的には先が見えています。ですのでそこまで改良に手をかける価値は正直ないかなと。
この分野で力を入れるべき方向は新たな原理というか方法論の方ですね。例えば歯車のような物理的な作用では無く、魔法式のようなもので構築するとか」
手回し式計算機から電子計算機へ変えるようなものか。
しかしそれでもやるべき事は幾らでもある筈だ。
僕は前世でのコンピュータについて思い出しながら次の言葉を考え、口にする。
「それで物理的限界を超える訳か。そうだとしてもこれまでの研究成果は活かせる筈だろ。そういった装置を制御する考え方は同じだろうし、制御する方法論も構築はこれからだろう」
「まあそうですけれどね。ただそこまで付き合う気はないです。王立研究所で構築していた基礎理論はここで実証できました。僕としてはこれで充分かなと。
論理演算を使った制御理論についてはうちの研究室のミラコフに、新たな原理やその原理に基づく装置そのものについてはアレス主任に任せれば大丈夫でしょう」
その言葉で僕はやはりと思ってしまう。
しかしそうなると、正直不安だ。
「正直カールだけでなくキットに去られると、僕としてはこの後どうしていいかわからなくなりそうだ。正直困るなんてものじゃない」
「大体の事はファウチさんに聞けば大丈夫ですよ。既にあの人、ほぼ技術部内を把握済みですから。
人事や事務関係についても問題はありません。この前王立研究所から来たエルリッヒ顧問を技術部長にしておけば、ファウチさんと組みでカールと僕がやっていた仕事は問題ない筈です。
予算が無い中で鍛えられている分、僕やカールよりマネジメント面では上だと思いますよ」
と言う事はだ。
「既定方針だったのか、ひょっとして」
「まあそうですね。8月半ばにはこうなる事は確定していましたから」
エルリッヒ顧問やファウチ氏等を特別採用したいという話があった頃か。
でも待てよ、その前に……
「4月終わり頃には知っていたんじゃないか、ひょっとして。ファウチ氏の話が出たのはその頃からだろう」
「バレましたか。僕が知ったのはあの頃です。でもこうなるという話はもっと前からあったのだろうと思いますよ。僕まで伝わったのがその辺りという事で」
そう言えばと思い出す。
ゼメリング家が今のゼメリング領を追い出されるという話、舞踏会の後にウィリアム兄から聞いたのだったと。
その時に後釜がローチルド家だと決まっていたのならば。
もっと以前からこの件について、国の上層部で検討されていたとしてもおかしくはない。
でもまあその辺は僕にはそれほど関係ないか。
今はカールやキットの去就問題だ。
「ならキットもカールも10月にはディルツァイトに行ってしまう訳か」
「いえ、行くのはカールだけですよ」
予想外の言葉が返って来た。
どういう事だ、一体!?
「僕はカールとイザベラ御嬢様の間を繋ぐ為にここにいただけです。だから2人がくっついてしまえばお役御免ですね。研究もひととおり実証まで出来ましたし未練はありません」
ちょっと待ってほしい。
「ならどうするつもりなんだ? 何なら此処に残ってくれれば、むしろその方がありがたいんだが」
これは僕の本音だ。
「いえ、折角ですから今までと全く違う事をするつもりです。此処は居心地がいいんですけれどね。だからこそ違う場所へ出て違う事をはじめたいかなと。
幸い十年程度は問題無い程度の蓄えはあります。慎ましく暮らす分には、ですけれどね」
残念ながらここへ残るという選択肢は無さそうだった。
しかしカールもキットもいなくなるのか。
正直不安なんてものではない。
大丈夫だろうか、これから。
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