第192話 何かの予感

 八月の頭ころまでは平穏な日々が続いた。

 特に何事もなく平和な夏のまま終わりそうだ。

 その予定だしそう思っていた。


 ただ世間は一応動いているようだ。

 北部の状況を見てか、南部の方でも鉄道敷設の話が持ち上がってきたらしい。


 この情報はローラからだ。

 8月1日に王都バンドンのレウベルグ公爵邸で行われた舞踏会の席で、グリノック家の領主代行に嫁いだ実姉のイザベラさんから聞いたそうだ。


「スコネヴァー伯を中心とした南部の領主が、ゴッタルド領リゼルまでの鉄道を計画しているようです。しかしまだ、スコネヴァー家以外に参加を明言する領主家は出ていません。ルートも西側の海岸経由と最短ルートのグリノック領ダルホーク経由で揉めているようです」


 なるほど。

 リゼルは軍事都市であると同時に南部の商業の中心でもある。

 北部で言えばディルツァイトとガナーヴィンを足したような存在だ。

 間違いなく需要は大きいだろう。


王都バンドンまで路線をのばすつもりかな?」


「そこまではまだ無理のようです。王都バンドン側の拠点はスコネヴァー領リドラムと聞きました」


 リドラムは王都バンドンから11離22kmのところにある街だ。

 ダラム~王都間が13離26kmだから実質的な差はあまりない。

 

「イザベラお姉様から聞かれたのですけれど、そういう話があるとして、リチャードはどうするつもりですか?」

 

「静観するしかないかな、今の所は。スコネヴァー家が噛んでいるなら間違いなくマールヴァイス商会に有利になるよう動くだろう。

 それに北部大洋鉄道商会うちも4月に開業した路線や通信、運輸関係で手一杯だ。今の時点で南部まで手を広げる余裕はないかな」


 ローラは頷く。


「それがいいと私も思います。

 グリノック家としてはリゼルまでの直通線がグリノック領を確実に通るという見込みが無い限り、手を出さない方針だそうです。

 おそらくこれはフェリーデ北部縦貫線によって北部での権益をずたずたにされたマールヴァイス商会の再起策だろう。下手に手を出すと利益だけを吸い取られかねない。そうイザベラお姉様は言っていましたから」


 そんな訳で南部の方については様子見だ。


 なお個人的には北部大洋鉄道商会うちと違う商会による鉄道がもう少し増えて欲しかったりする。

 独占ともなると敵が必要以上に多くなる、なんて理由だけでは無い。

 自分と違う思想の鉄道が育つのを見てみたい、という鉄的な欲望だ。


 ◇◇◇

 

 あとはローラが王都バンドンへ行っていて不在中の8月1日、我が家にスタッフが1名増えた。

 ゲオルグ氏の野望とパトリシアの陰謀でやってきた、コック見習いのスージーちゃんだ。


「物静かですけれど凄く真面目でいい子です。料理についても基本的な事はひととおり出来るので、こちらでも助かっています」


 1週間位した後、ブルーベルに様子を聞いたところ帰ってきた返答だ。


「2年くらいはかけていいとお聞きしたので、料理だけでなく素材についても一通り勉強して貰おうと思っています。

 幸いスウォンジー北門の市場は物が揃っています。ですのでレベッカと一緒に私の知識をほぼ全部教えるつもりでやります」


 なお2年くらいはかけていい、というのにはパトリシアによるしょうもない思惑があるような気がする。

 何故なら手紙にはこんな事が書いてあったからだ。


『最低でも私が知っているリチャード兄の家で出た料理と御菓子類は全部出来るようにさせてね』


 まあ手紙の内容を全部伝えた上で、育成方針はブルーベルにお任せという事で。


 ◇◇◇


 そして8月の2週目、僕は夏休みを1週間きっちりと取った。

 海水浴には行かなかったけれど、ラングランド大滝には2回行った。

 勿論ローラと2人でだ。

 警備の皆さんも多分ついてきただろうけれども。


 ラングランド大滝付近には、ローラが好きな感じの遊歩道が更に増えていた。

 どうやら観光開発部と森林公社の間にローラと似た趣味の奴がいるようだ。

 岩場をロープを頼りに登ったり断崖絶壁から下をのぞき込むようなコースが好きな輩が。


 それはそれでそういった趣味の人に受けている模様だった。

 客も昨年より増えていたし。

 だから僕も商会長として文句を言うつもりはない。


 ただ護衛の皆様に大変申し訳なかった。

 僕が筋肉痛になったあのコースを護衛の皆さんも行き来したのだろうから。

 僕らや一般客がそれとわからないように配置していたけれど。


 さて、平和な日々に暗雲の兆候がちらつき始めたのは夏休み明けの8月15日。

 まずは商会長室で筋肉痛を治療魔法でごまかしながら決裁書類や報告書の山を処理していた時。


「失礼します。急ぎの報告を1件、いいでしょうか?」


 キットがそう言ってやってきた。

 そう言うからには間違いなく急ぎなのだろう。

 僕は見ていた決裁書類から目を離す。


「大丈夫だ。それで何が起こった?」


「まずは特別採用の御願いです。今回は多めです。合計10名で、うち顧問級1名、部長級2名、係長・主任級3名を含みます」


 随分と多い。

 しかもいつもと違って偉いのが多く含まれている。

 ついこの前話があったファウチ主任研究官もリストに入っていた。


 大丈夫なのだろうか、王立研究所。

 そう思いつつ頭の中で必要な費用を計算。


「大丈夫だ。でも王立研究所に何かあったのか?」


「何かあった訳では無く、これから何かあるようです。しかしそれ以上の情報は入ってきません。こんな事は初めてです」


 キットの情報元はローチルド家嫡子であるローチルド主任調査官、キット風に言えばイザベラ御嬢様だ。

 つまり研究所の最上層と実質的に繋がっているわけで、それでも情報が入ってこないというのは相当な状態だ。


 いや、情報は入っているのかもしれない。

 言えないだけで。

 言えないのがローチルド家なのか、キットなのかはわからないけれど。


「わかった。この10人に関してはこちらで受け入れ準備を進めておく。

 もう少し人数が増えるとかそういう情報はないか?」


 念のために聞いておく。


「残りは最大で15名、主任級まででそれ以上はいません」


 どうやらキット、ある程度の情報は持っているようだ。

 しかし聞いても答えてはくれないだろう。

 おそらく彼が答える事が出来ない事案だろうから。


「わかった。いざとなったら受け入れられるように用意をしておく」


「申し訳ありません。最初の10名についての情報はこの書類に書いてあります。宜しくお願いします」

 

 王立研究所、もしくはローチルド家に何かが起こりつつある模様だ。

 とりあえず庶務に連絡して幹部3名、以下22名まで受け入れられるような準備を頼んでおく。

 田舎なので住宅だのまで手配、場合によっては新築なんて事もしなければならないから。


 それにしてもこの王立研究所の件、気になる。

 ここはウィリアム兄に聞いてみるべきだろうか。

 しかし異動者が増える以外に僕や北部大洋鉄道うちの商会に関わる何かがあるのだろうか。


 そんな事を思いながら、家に帰ったところで。

 玄関先で僕はローラにこう告げられたのだった。


「ウィリアムお兄様から連絡が来ております。帰り次第、屋敷に来て欲しいそうです」

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