第5話


 湖から出て服を身にまとったノア皇子は、本当にお伽話に出てくる王子そのものだった。


 服までがびしょびしょの私をその長いマントで優しく包みこんでくれる。水に入っている間は平気だったけど、あがってみれば少し身が震えていた。


 ぎゅっとマントを握った時、そばの草むらがガサガサと音を立てる。ビクッと肩が上がる私を片腕でぎゅっと抱きしめて身を固くする皇子は戦闘態勢。


 じっと目を凝らしてみればそこから飛び出してきたのは小さな子犬だった。

 ──そう、私が助けたあの子だ。


 子犬までも、この不思議な世界に迷い込んでいたのか。肩の力を抜いた皇子から離れ、小さなその身体を抱き上げた。

「……それは、お前の犬か?」

 そう聞かれたから事情を説明するのも億劫だったこともあり黙って頷いた。犬を抱いたままの私をどこからともなく現れた栗毛色の馬に乗せると、後ろから手綱を掴んで勢いよく走らせる。

 ……馬とか初めて乗ったんだけど。

 やはりここは21世紀の日本ではないらしい。


 だけど瞬間移動の様な体験も、馬に乗ることも、目の前にヴァンパイアがいるということに比べたらすごくちっぽけなことに思えた。


「サラがいた国は、馬に乗らないのか?」

 ふと声をかけられて、我に返った。

「え?」

 顔だけで振り返ってみればくすくすと笑う綺麗な男。

「乗り慣れていないのだな、身体が硬いぞ」

 そう言って身を寄せてくる。

「もっと楽にすればいい」

 彼の言葉にふっと力を抜き、身体をノア皇子の胸に預けた。「いい子だ」と優しい声が降ってきて心地よくて眠気が襲ってくる。


 ……なんでだろう。この人の声はすごく安心する。

 この人の温もりはひどく落ち着く。


 まず、この“人”と言うのが合っているのかどうかはわからないけれど。


「サラ、お前の髪は美しいな」

 さらりと撫でられた髪。頭のてっぺんにキスを落とす彼はまるで気障な王子のよう──

「あ。皇子なのか……」

 自分で突っ込んでしまう。皇子は「面白いやつだ」とクスリと笑ったあと

「抱き心地もいい」

 とお腹をつつく指。それを無言で握り潰そうとすれば「馬鹿力だな」と慌てて引き抜かれた。


「言っておくが、私の部屋にしか空きはないぞ」

 皇子の言葉に勢いよく振り返ると、にやりと笑う彼の顔が間近に見えて思わず顎を引く。


「──覚悟は良いか?」

 そんな色気を含んだ瞳にぞわりと鳥肌が立った。

 ……どうしよう。

 訳も分からぬ世界に来て、早くも貞操の危機?

 ──冗談じゃないよ!!


 皇子の言葉が頭をぐるぐると回る。思考がそのことにしか向かわず、気がつけば馬は停止していた。

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