幕間「ワームムーン」
人は「暖かい時期から寒くなり始める季節」よりも「寒い季節から暖かくなる季節」の方が体調を崩しやすい。
ここシャプロン国の女王 ルージュもまた、現在体調を崩し、発熱と闘いながら部屋に閉じこもっていた。
―――
『……っ、……』
「ルー……大丈夫か?」
『ん、平気……』
近衛騎士のアルフレートが差し出した薬を、なんとか飲み込みながらルージュは短く返事を返し、起こした体を再び布団の中へと押し込んだ。
「少し離れる。念のため医者を呼ぶから絶対に動かないで」
淡々とそう話し、アルフレートは持ってきた薬や水差しを乗せたトレイを手に、素早く立ち上がった。
その姿には、心なしかいつもより焦りを感じる。
『アルフ先生〜、トイレは行ってもいいですか〜?』
そんなアルフレートの様子を揶揄うようにルージュが蒼狼の背中に声をかければ、ピクリと肩を揺らしたアルフレートが眉を顰めながらゆっくりと振り返った。
「ルー……」
『ははっ、ごめんって……っ、ほら、……っ軽口叩くくらいには、元気だから、っ……』
乾いた笑いをこぼしてはいるが、所々で咳を堪えるような言葉の紡ぎ方になるルージュに、アルフレートはため息を深くついてから、一度離れた距離を詰め、ルージュの前に跪いた。
そして懇願するような手付きでルージュの頭を撫でると、アルフレートは彼女の額に自らの額を押し当てる。
それは、彼女の熱を引き取ろうとしているようで、自然とルージュの心が緩んだ。
「分かったから……無理しないで。頼むから」
『ごめん。……アルフこそ、そんな悲しい顔しないでよ』
「してない」
『してる』
伏せられた耳は嘘をつかないよ……その言葉は黙っておいてやろう。
「ルーは……人間なんだ」
『わかってるよ』
ルージュの母であり、先代女王のスカーレットの病死を看取っているアルフレートは、酷くルージュの体調不良に敏感だった。
『ママみたいな大病じゃないんだから、安心して』
人狼である自分とは違い「人間」であるルージュの脆さを憂うアルフレートの頭を、ルージュは優しく抱きしめた。
アルフレートはその抱擁に安堵したのか、ようやくその身を離して、医者を呼ぶために部屋を後にした。
―――
「大丈夫? ルー……?」
アルフレートの背中を見送り、部屋のドアが静かに閉められた時、反対側のベッドサイドでずっと黙ったまま、膝を抱えていたルドルフがひょこっと顔を出した。
普段から沈着冷静なアルフレートがただならぬ雰囲気でルージュの世話をしている。
その異常性に押されたルドルフは、すっかりいつもの元気をなくしていた。
『ん? ……平気だよ。ただの風邪さ』
「苦しい?」
『アルフが薬を飲ませてくれたから大丈夫』
「本当?」
『うん』
「あんなアルフ、初めて見た。こんな弱ってるルーも初めて見た……」
『うん……僕もロロみたく強かったら良かったね』
「そんな事……」
狼と言うよりは犬のようだ、とは常々思っていたが、今のルドルフは子犬のようだ。
ぼんやりとする視界と思考でルージュが見つめていると、突然ルドルフが手を取った。
「ルーは、そのままがいい……病気は無理だけど、後は俺が全部守るから、ルーは……今のままがいい」
『そうか……ありがとうロロ』
「ルー、早く元気になってね」
『うん、任せろ』
人で言うところの成人男性とは思えぬ、不安そうなルドルフの頭を撫でながら、ルージュはルドルフに握られる手の温もりと、薬の効果に身を委ねるように、次第に眠りへと落ちた。
――――――
ふと、目が覚めた。
時計を見れば、夜。
どうやらすっかり眠ってしまったらしい。
日中に比べれば、かなり気分がいい。
アルフレートのくれた薬が効いたのだろう。随分軽くなった体を起こし、ルージュが無意識に伸びをした、その時……
『………ふはっ』
視界に映ったのは、ベッドの右側でルージュの枕を握りながら眠るルドルフ。
そして左側でルージュのかけていた布団を握り寝るアルフレートだった。
二人とも床に座りベッドに突っ伏して眠っている。
ルージュは思わずこぼれる笑い声をなんとか耐えた。
『………ん?』
眠る狼たちにふと光が差し込んだ。
明るく優しい月の光だ。
導かれるようにルージュが窓の外へ視線を投げれば、空には満月が浮かんでいた。
『ワームムーン……土の中の虫たちが目覚め、暖かくなり始める象徴の月……か。日中はそれなりに暖かかったのに……冷えるな……そりゃ体調も崩すか』
自嘲気味に言うと、目の前で眠る人狼たちの寝顔を撫でた。
「ごめんね、二人とも。ありがとう」
春の満月を見つめながら、明日の朝は元気な姿を見せてやろう。
そう強く願いながら、ルージュは再び琥珀色の瞳を閉じた。
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