第13話 3
「……お恥ずかしいところをお見せしました」
すっかり温くなったコーヒーをすすって。
わたしは殿下に頭を下げます。
砂糖とミルクを加えたコーヒーのほろ苦さは、涙で涸らした喉に心地よく感じられました。
「気にすんな。
さっきも言ったけど、言葉遣いも崩していいからな?」
殿下はそう仰ってくださいますが……これはもうクセみたいなもので。
「……なぜでしょうね?
患者さん相手だと崩せるのですが、大聖堂でも先輩修道女のみなさんには、こんな感じなのですよ?」
すると殿下は首をひねって、少し考え込まれて。
「……それってさ、おまえがそれだけ患者を身近に感じてるって事じゃないのか?
きっと先輩達以上に、患者に対して親身になってるから、彼らの言葉遣いに合わせられるんじゃないかと、俺は思うんだが?」
「……そう、なのでしょうか。
そうなのでしたら……嬉しいですね」
心からそう思います。
「……殿下、聞いてくださいますか?」
「おう。今日はおまえに付き合うって決めたからな。
なんでも言ってみろ」
尊大な風を装って、腕組みして胸を張る殿下。
以前の殿下は、そんなおどけた真似はなさらなかった。
常に優しいけれど……どこか距離――壁を感じさせるお方で。
今の殿下はあの頃より、ずっと話しやすいと感じます。
――けれど。
ユメさんによれば、それは表面上だけの事なのですよね。
あの心象風景を映したというステージを見せられた今ならば、以前の殿下に壁を感じたのも理解できます。
わたしの婚約破棄の一件以来、確かに殿下は変わられたのでしょう。
良く言えば明け透けに見えて。
悪く言うならば、より上手にお心を隠すようになってしまわれた。
……どうか届いて欲しい。
そう願わずにはいられません。
少しでもその助けになればと……わたしは話し始めます。
「わたしは修道院に送られた当初は、それはもう腐っていたのです」
今思えば恥ずかしいのですが――侯爵令嬢だというプライドがそうさせていました。
ええ、あの時点でのわたしは、まるで反省などしていなかったのです。
わたしを
わたしを切り捨てようとしたお父様に。
家を取り潰しにした殿下にさえ、わたしは恨み言を募らせて。
サティリア様への祈りでさえ、復讐を願っていた日々でした。
身の回りの支度はすべて自分で。
食事は粗末なスープとパン。
孤児上がりだったり、下級貴族のご落胤といった身分の低い者達が、先輩顔で指示をしてくるのも不満を募らせました。
奉仕の時間に畑仕事をしたり、近くの村に降りて村人達に媚びて寄付を願うのも、物乞いをしているようで良い気持ちがしませんでした。
「……半月ほどでわたしは音を上げて、熱を出して床に臥してしまったのです」
そうなるまで耐えられたのは、きっとわたしにも令嬢としての意地があったからでしょう。
修道女でさえできる事ができないと思われたくなかったのです。
「ああ、これで先輩達に蔑まれると……愚かなわたしはそう考えていたのですが……」
現実はわたしが思っていたより、ひどくわたしに優しかったのです。
「先輩達は倒れたわたしを気遣い、代わる代わるに世話を焼いてくれて……」
慣れない生活で気を張っていたから、一気に疲れが出たのだろうと、優しくパン粥を食べさせてくれた修道女長様の笑顔は今でも忘れられません。
……そして。
「翌日も寝込んでいたわたしに、ふもとの村から来客がありました」
それは奉仕の時間に、仕事と思って治してあげた子供達で。
「みんな、わたしの顔を覚えてくれていたそうで。
奉仕の時間に村に降りてこなかったから、先輩方に尋ねたのだそうです。
それでわたしが寝込んでいると聞いて、お見舞いに来てくださったのですよ」
お医者様も満足におらず、病気には薬草とサティリア様へのお祈り頼みという村でしたからね。
その時になってようやく、わたしがおざなりに行っていた治癒魔法に対して、村人達がどれほど感謝をしてくれていたのかを、わたしは知ったのです。
ああ。あの時に生まれた感情を、どう言葉に表したものでしょう。
ずっと考えているのですが、今でもわたしはその言葉を見つけられていません。
ありがたい……ではないのです。
愛おしい――とも違います。
もっともっと、強く優しいものに包まれたような充足感と。
それをあの子達にも与えたいという欲求とで。
「かつてわたしは真実の愛という言葉で、アベルとの関係を語りましたが……
……それを越えて、なにか……ダメですね。
やっぱりうまく言葉にできません」
きっとそれは、わたしが一生をかけて探し続けなければいけない言葉なのでしょう。
殿下を見ると、なにか考え込むように真剣な表情で、手に持ったカップの中を見つめてらっしゃいます。
「それからのわたしは……自分で言うのも可笑しいのですけど――無敵でした」
村人の生活を伺えば、修道女の生活はどれほど恵まれているかを知れました。
奉仕の時間が待ち遠しくなりましたし、サティリア様への祈りは、村のみなさんの幸福を祈るものに変わりました。
彼らの役に立てるならと、野良仕事も進んで手伝うようになりました。
村の子供達に勉強を教える事を、院長様に掛け合って下さった修道女長様には感謝してもしきれません。
「そうして気づけば……お恥ずかしい限りなのですが、聖女などと呼ばれて、近隣の村々の方々まで訪れるようになりまして……」
これは殿下には内緒ですが。
その噂を聞きつけた、ソフィア様がいらっしゃって。
……きっとあの時には、パルドスとの縁談のお話をご存知だったのでしょうね。
彼女の殿下を助けて欲しいという言葉に、わたしはせめてかつての償いになればと、大聖堂行きをお受け致しました。
「……村はおまえがいなくなって平気なのか?」
なにか察するものがあったのか。
……ダメですね。
今のわたしは――かつてはできていたというのに――表情をうまく隠せなくなっているようです。
殿下が気づかわしげに仰られます。
だから、わたしは微笑みで返します。
「ええ。幸せなことに。
わたしのようになりたいと言ってくれる子達が、熱心に癒術を学んでくれまして」
魔道はそれほど強くはないのですが、それでも治癒魔法は使えますし、一緒に調べたり勉強したので、薬草の知識も豊富です。
まだ子供なので至らない点はあるのでしょうが、そこは先輩方が補ってくれているはずです。
――だから心配いらないよ。
そう言って送り出してくれた、あの子達を思うと、いまでも心が温かくなるのです。
――この気持ちが……想いが。
殿下に欠片ほどでも伝わってくれれば良いと思います。
わたしにも古式魔法が使えたらと。
そう思わずにはいられません。
そうしたら、わたしのステージで、この言葉にできない感情の源をお見せできるのに。
「――為になる話を聞いた」
そう告げる殿下の微笑みは。
かつて王城の庭園で見せていたものに、ひどく似ていて。
……ああ、ダメなのですね。
わたしは無力感に苛まれます。
――まだ届かない。
きっと、なにかがまだ足りない。
殿下のお心を癒やすには、きっともっと……
思わずカップを握りしめてしまいます。
「――あっれー? セリスちゃんじゃん?」
と、そんなわたしに、横手から声がかけられました。
振り向くと、そこには身体に合わない大きな皮のコートをまとった、旅装の小柄な女性が立っていて。
肩のやや上で雑に切り揃えられた若草色の髪に、茶色い瞳を覆い隠す銀縁の丸眼鏡。
「――オレアちん裏切って修道院送りにされたって聞いてたけど……
こんなところでさらに別の男と逢い引きなんて、キミ、やるねえ?」
突然の再会にわたしは咄嗟に言葉を出せず。
そうしている間にも、彼女はぐいぐい顔を寄せてきます。
「キミにはさぁ、色々と聞きたい事や言いたい事があったんだよねぃ」
掴まれた肩が痛いです。
「――やめろ、ステフ……」
と、殿下がその手を掴んで、引き剥がしてくださいました。
「……キミ、誰さ?
あたしをそう呼んで良い奴は限られてるんだぜぃ?」
ステフ――ステファニー先輩が剣呑な雰囲気を漂わせます。
「――俺だよ。久しぶりだな」
そう告げて、殿下は手で周囲からお顔を隠しながら、姿変えの魔法を解かれました。
途端、ステファニー先輩は床を蹴って。
「――オレアちんじゃんっ!」
地面と身体が水平になるような、綺麗なドロップキックを放ったのです。
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