第12話 11
「――パーラちゃん! ライルくん!」
「――動くな! 馬鹿野郎っ!」
ふたりを追って駆け出そうとした私に、オリーさんの怒声が響いて。
私は動きを止めて、彼を振り返った。
オリーさんは剣を抜いて、熊と睨み合ったまま、ゆっくりと私をその背に隠す。
「……良いか。熊ってのは、逃げる相手を追うんだ。
俺が良いと言うまで動くな」
オリーさんは私にそう囁いて。
「――でも、パーラちゃん達が!」
「わかってる。俺がアイツを引きつけるから、そうしたらおまえは離れて、あいつらを探しに行け」
そうして、じりじりと熊との距離を詰めていく。
大熊はオリーさんを威嚇するように、後ろ足で立ち上がり咆哮をあげる。
「――クソ! きっとコイツが魔獣が出るようになった原因だな」
毒づくオリーさんの言葉に、私は学園での授業を思い出す。
一口に魔獣といっても、その生態は元となった動植物に準じるんだよね。
だから、例えば今回の魔猪より強い野生動物もいくらでもいる。
虎や熊がそうだ。
きっと魔猪はこの大熊に住処を追いやられて、人里まで降りてくるようになったとオリーさんは予想したんだと思う。
「……こいつ相手じゃ、このままじゃ無理か」
そうオリーさんが呟いたかと思うと。
「――で、殿下っ!?」
その無精髭に覆われた渋みのある顔が、つるりとした殿下のものへと変わる。
剣も無骨な鉄製のものではなく、美しい紅剣へになっていた。
「……詳しい説明は後だ。
俺が合図したら、行け!」
「――は、はい!」
そうして殿下は肩がけに紅剣を構えて。
「――オオオォォォォッ!」
殿下が雄叫びと共に、一歩で二メートルを跳び込み。
「――ゴァオオオオォォォ!」
面食らった大熊がその太い右腕を振るう。
まるで大熊がそうするのをわかっていたかのように、殿下はその腕目掛けて剣を振り上げて。
「――ヒャヒィン!」
紅剣の軌跡が走って、大熊の右腕が斬り飛ばされて、悲鳴が森にこだました。
「――メノア、行けっ!」
「はいっ!」
殿下の言葉に、私はライルくんの消えた茂みに顔を突っ込み。
「……これは――」
斜面がかなり急だ。
崖と言っても良いくらいだよ。
こんなトコを落ちたんだから、ふたりは怪我をしてるかもしれない。
「うぅ、怖がってる場合じゃない!」
私は斜面に這うようにして、崖を降り始める。
殿下をひとり残してよかったのかとか、ふたりが私の手に負えない大怪我をしてたらどうしようとか、色々良くない考えが浮かんでくるけど。
首を振って、それを打ち払う。
今はふたりと合流すること。
それだけを考えよう。
「――ライルくんの事だもん。
きっと、なんとかパーラちゃんを守ろうとするよね」
私ね、知ってるんだよ。
ライルくんがいつもパーラちゃんを目で追ってた事。
本人は気づかれないようにしてたつもりだろうし、パーラちゃんはああだから、気づいてないと思うけどね。
ふたりが幼馴染だという話は、パーラちゃんから聞かされてる。
ある日突然、距離を置かれたとも。
「……でもね、ライルくんはパーラちゃんを嫌ってはないと思うんだよね」
むしろあの眼差しは……
いつもへらへらと自信なさそうに笑ってるライルくんだけどね。
教室でパーラちゃんが楽しそうに笑ってる時なんかは、ライルくん、すごく幸せそうに微笑んでるんだよ。
わからないのは、そんな風なのに、パーラちゃんとは距離を置き続けてた事なんだよね。
そのくせ、パーラちゃんが困ってたりすると、私達に教えてこっそりフォローしてたりするんだ。
一度だけ、自分で助けてあげたら良いのにって言ったら、ライルくんは困ったような顔をして。
――僕はきっともう、彼女に嫌われてるから……
……だって。
ふたりとも互いに嫌われてると思ってるみたい。
けどね。
これは私の想像だけどね。
今回の視察に、急にライルくんが同行する事になったのも、彼が宮廷魔道士長様に頼んだんじゃないかな?
パーラちゃんが選抜されたって知って。
きっとライルくんはさ……またパーラちゃんを助けたいと思ったんじゃないかな。
ふたりに昔、なにがあったのかは知らないけど。
だから、ライルくんはきっと、パーラちゃんを助けようとするはずだよ。
ズルズルと身体を滑らせるようにして、斜面を降りて。
ふたりと合流する前に、私まで怪我するわけにはいかないから慎重に。
……思った以上に――ずいぶんと時間がかかってしまった。
少し離れたところの地面に積もった落ち葉が乱れているのを見つける。
「……きっとライルくんが転がった跡だ」
その痕跡を目で追っていくと、血のついた包帯やドロドロに汚れたハンカチが落ちていた。
ハンカチにはあまり上手じゃない刺繍で、パーラちゃんの名前が綴られていて。
「――怪我してるのはライルくん!?」
包帯が血に染まって、よくないと思って捨てたんだと思う。
この雑さはきっと、パーラちゃんが手当しようとしたんだ。
多分、ライルくんは意識を失ってるのかも。
起きてたら、治癒魔法で治せるもんね。
よく見ると、右手側の落ち葉が乱れていて……血痕が続いてる。
きっと手当できなくて。
崖を登るのを諦めて、迂回路を探しに移動したんだ。
「怪我人を動かしちゃダメじゃない! パーラちゃ~ん!」
いつもは可愛らしく感じる彼女の短気が、今は恨めしい。
私は足跡を追って、森の中を走り始める。
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