第11話 8
血の涙で赤く染まった視界の中で。
それよりもなお紅い殿下の<王騎>は、黒い翼に虹色の文様を走らせて空へ舞い上がった。
「――アリーシャ姉ちゃん!」
回廊の群衆の中からジョンが駆け寄ってきて、あたしの腰に抱きついた。
空を駆ける二騎は剣を交えては離れてを繰り返し、螺旋を描くように空高く昇っていく。
「……オレア様、勝つよね?」
「あんた、殿下の事好き?」
「そりゃね。オレア様のお陰ですごく楽になったもん。
オイラ、きっと騎士になってオレア様の役に立ってみせるんだ!」
あたしはジョンの頭を――以前はフケまみれでボサボサだったのに、今では孤児院で毎日お風呂に入れるようになって、サラサラになった髪を撫でる。
これも殿下がなさってくださった事だ。
「オリー兄ちゃんが言ってたみたいに、いっぱい勉強して、身体も鍛えてさ!」
そのオリーと殿下が同一人物だと教えたら、ジョンはどんな顔をするだろう。
思わず笑みがこぼれそうになる。
背後で群衆達が拳を突き上げて殿下を応援する声があがっている。
……殿下。わかりますか?
あたしは祈るような気持ちで、空を駆ける紅を見上げる。
――あなたはこんなにも多くの人々に愛されているんですよ。
あの人はきっと、愛というものを恐れている。
誰かに好意を抱く事に対して、ひどく臆病な人なのだと……<女神の泉>で初めて会った時には気づいた。
同時に、自分が人に好かれるわけがないとまで思い込んでいる。
あの人が身を削ってまで、周囲に優しくあろうとしているのは、きっとその気持ちの裏返し。
本人も気づいてないのだろうけど。
きっと誰かに愛して欲しいからこそ、あそこまで苛烈に努力を続けるのだろう。
すぐにでなくていい。
少しずつでいいから、あなたはみんなに愛されているのだと知っていって欲しい。
……ああ、そうか。
「あたしが殿下と出会ったのは、きっとその為なんだね……」
目の前が晴れて。
あたしが目指すべきモノが見つかったような気がした。
「……姉ちゃん?」
「なんでもない! それよりジョン。もっと声出して殿下を応援するよ!」
あたしは回廊に居る群衆達を振り返る。
「――あんた達も!
そんなトコにいないで、殿下の見えるトコで思いっきり応援するんだよ!」
あたしの声に応じて、群衆達が中庭に駆け出してくる。
大丈夫。
あたし達がついてるんだ。
きっと殿下は負けやしない。
ユメさんが施したなんらかの――わたくしどころかゴルダ先生ですら理解できなかった――処置によって、星船の再生は止まっていた。
聞けば、管理者さえもが今は活動停止しているのだという。
殿下に遅れて突入してきた<風切>から騎士達が降りてきて、ラインドルフの側近達は捕縛された。
わたくしは星船の外壁に空いた大穴の縁にやってきていて。
空を駆けながら剣撃を繰り出し合う紅と白の二騎を見つめる。
「……空飛ぶ<兵騎>なんて……」
ラインドルフのは、きっと<叡智の蛇>によって生み出されたものなのだろう。
けれど、オレア殿下のものは?
「――前にあんたを助ける為に、あの子は魔法で飛ばされただろう?」
思わず呟いたわたくしの言葉に、いつの間にやってきていたのか、背後から守護竜様の声がかかった。
「……クク。アレが本当に怖かったみたいでね。
わたしに、どうにか<王騎>を飛べるようにできないかって泣きついてきたのさ」
「――怖かった? そんな素振りはまるで……」
「付き合いが長くなるとわかってくるんだけどね。
あの子はさ、弱みを見せると人に疎まれると思ってるのさ。
あの子が弱音を吐けるのは、わたしやソフィー嬢ちゃんを含めて、多分片手で数えるくらいしかいないんじゃないかね」
呆れたように肩を竦めて苦笑する守護竜様。
「ま、そんなワケで、わたしとユメがちょっと改造してやったんだ」
守護竜様の言葉は続いたけれど。
わたくしの耳には届いていなかった。
……そんな恐怖を押し殺して、あの時、わたくしを助けに来てくれたのですか?
少し考えればわかりそうなものだ。
実験もなしのぶっつけ本番で、複合魔法で<王騎>を撃ち出すなんて、怖くないはずがない。
それなのにわたくしは、あの時、なにを考えていた?
ただ目の前で広げられた美しい魔道の翼と。
その中心にいるオレア殿下の勇猛さに感激して。
「わたくしはなんて愚かなの……」
口元を覆って呟けば、守護龍様がわたくしの肩に手を乗せて。
「あの子も男の子なのさ。
意地を張って怖さを隠してるんだから、それに気づかずにおいてやるのもイイ女だよ」
気づかないのと見ないふりをするのは違うと思うけれど。
わたくしは彼がそういう人なのだと知れてよかったと思う。
「――それより準備だ。
戦う男を陰から支えるのも、イイ女の条件だからね」
「――準備とは?」
「ユメがね、改造ついでにとっておきを仕込んだのさ」
ウィンクしてわたくしの手を引く守護竜様。
引かれるままに着いていくわたくしは、背後を振り返って、空で剣撃を繰り出し合う二騎を見る。
――戦闘は拮抗しているように見えた。
「……ふむ。さすがにあそこまで高いと、跳躍しても届かぬか……」
我は王都中央にある大聖堂の鐘楼のてっぺんで、床にあぐらをかいて呻く。
「なんとかオレア殿に助力してやりたいんだがのう」
ここに来たのも、鐘楼から<魔王騎>で跳躍すればもしやと思ったのだが。
さすがにそれでどうこうなる高度ではないようだ。
下手に跳び上がったら、逆にオレア殿の邪魔になりかねない。
「時代は変わるものだのう。
まさか<兵騎>が空飛ぶ時代が来ようとは……」
オレア殿と出会ってから、我はつくづく老いを感じさせられるよ。
<叡智の蛇>があのような<兵騎>を生み出していた事にも驚かされたが。
「――それを見越していたような、オレア殿の発想力よ」
紙幣と言い、議会制政治に理解がある事と言い……いや、船を飛ばそうという発想や、獣型の<兵騎>に馬車を曳かせようという発想もそうか。
あれだけのものを生み出しておきながら、あやつは誇るどころか、どこかなにかにを恐れているかのように鍛錬に励んでおる。
そのちぐはぐさが、我はひどく気にかかるのよ。
「――紅竜王よ……そなたの孫は、本当に面白いのう」
我はホツマの自室にある酒瓶を転移で取り寄せる。
紅竜王の奴が好きだった、ホツマの米酒だ。
おちょこふたつに酒を注ぎ、片方を我は呑み干す。
「――あの、こちらでなにを?」
振り返ると白金の髪をしたシスターが鐘楼の階段を登ってきておって。
「なあに、オレア殿をここで応援しようと思ってな」
この娘、我を見ても表情を変えんとは、肝が座っておるの。
「そなたこそ、こんな時にこんな場所になんの用だ?」
「わたしも殿下のご武運をお祈りしようかと」
「ほう」
淑女同盟とかいう、ソフィア殿のサロンには、このシスターはおらんかったと思ったが……こんなトコロにもあやつの『ふぁん』がおったとは。
俄然、この娘に興味が湧いたぞ。
「我はサヨ・ホツマという。そなたは?」
「――これは……魔王陛下がいらっしゃっているとは知らず、失礼いたしました。
わたしはセリスと申します」
セリスと名乗ったシスターは、我の隣までやってくる。
それで我は気づく。
「そなた、オレア殿をフったとかいう……」
「――浅はかな女だったのですよ……」
その短い一言と。
浮かべた自嘲とも苦笑とも取れる表情だけで、この娘が深く後悔している事が伺える。
「今はただ、皆と同じく殿下の無事と勝利を祈る、ただの修道女ですわ」
「……皆、とは?」
我の問いに、セリスは下へと手を差し伸べる。
上ばかり見とったから気づかなかったんだな。
大聖堂から続々と、避難していたホルテッサの民が出てきていて。
「――へたれ殿下負けるな!」
「――頑張れ、へたれーっ!」
などと口々に声援を送り始めておる。
――紅竜王よ。誇るがいいぞ。そなたの孫は……
「ああ、こんなにも民に愛されとるんじゃな……」
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