第10話 11

 あたしはリリーシャに案内されて、王城まで連れて来られた。


 なんでも宰相代理のソフィア様に招かれているのだという。


 登城できるような礼服なんて持ってないと、一度は断ったのだけれど、リリーシャは自分の服を貸すと言って譲らなくて。


 ミルドニアの大使館で着飾られたあたしは、王城の一室にリリーシャと共に案内された。


 そこに居たのは黒髪を後ろに流した美しい女性で。


 その髪色だけで、あたしは彼女が誰かを察する。


 今、この国であたし達と同年代で黒髪なのはひとりしかいない。


「――宰相代理閣下……ソフィア様!?」


 あたしは慌てて礼を取ろうとしたのだけれど、ソフィア様は手を差し出してそれを止めた。


「――アリーシャ様、おやめ下さい。

 あなたの本来の立場からすれば、礼を取るべきはわたしの方なのですから」


 一見すると冷たい印象を受けるお顔に、優しげな笑みを浮かべて、ソフィア様はそう仰った。


 それからソファを勧められ、あたしはリリーシャと共に腰をおろす。


 メイドさんがお茶とお菓子の用意をしてくれて。


 勧められるがままに口に運んだお菓子は、ドライフルーツが練り込まれたクッキーで、とびきり甘くて、それだけでも幸せな気持ちになれるのに、爽やかな口当たりのするお茶と合わせると、なおのこと美味しく感じられた。


 ひと心地ついたのを見計らって、ソフィア様が口を開く。


「さて、今日お越し頂いたのは他でもありません」


 と、彼女はどこからともなく、丸くて黒い手の平サイズの物体を取り出す。


 え?


 それ、今、どこから出したの?


「これは遠方との会話を可能にする魔道器です。

 これを使って、アリーシャ様にある方々にお会い頂きたいのです」


 あたしが不思議に思っている間にも、ソフィア様はそう仰って。


 魔道を見通すあたしの目は、彼女の指先から魔導器へと魔道が伝わるのを捉えた。


 途端、目の前に半透明の板のようなものが開いて。


『お、時間ぴったりだな。さすがソフィー嬢ちゃん』


 黒髪を後ろに撫で付けた、男臭い男性が映し出されてそう告げる。


 原理はよくわからないけれど。


 あたしはこれが、声も聞こえる動く写真のようなものなのだと理解した。


 恐らく男性のそばにも同じようにあたし達が映っている板があるのだろう。


「ありがとうございます。

 ――叔父様、それで、陛下達は?」


 黒髪で、ソフィア様が叔父様と呼ぶということは、映っている男性は最近帰還されたという王弟殿下なのか。


 確か外務大臣に就任して、中原の連合諸国に特使として回っているのだとか。


 いや、それよりも。


「――へ、陛下達って?」


 思わずあたしは隣のリリーシャを見る。


「姉様、お父様とお母様にお会い頂きたいのですわ。

 ホルテッサの魔道器はすごいですわよね。

 離れたミルドニアとでさえ、こんな風にお話できるのですから」


 笑顔で告げるリリーシャに、あたしは冷や汗が止められない。


 どうしよう。


 母親が会いたいと言っているってのは、リリーシャから聞いたからわかってた。


 けど、今、この瞬間まで父親――ミルドニア皇王陛下の事はまるで意識していなかったんだよね。


 そうこうしている間にも、ソフィア様は王弟殿下との挨拶を終え、魔道器の半透明の板をあたし達に向けた。


 そこに王弟殿下の姿はすでになく、ミルドニアのお城の何処かの部屋が映し出されていて、魔道器が持ち運ばれているのか、映像の景色が移動していく。


 やがてドアが開けられて。


 造りからいって寝室なのだろうか。


 部屋の中央に置かれたベッドは、<女神の泉>の最上級の部屋のベッドより大きくて、張られた天幕は絹のようだった。


 そのベッドの上で上体を起こした女性が、こちらを見て微笑む。


 淡い赤毛に碧の瞳。


 病に伏しているというだけあって、やや痩せているのが印象的。

『――ああ、陛下……アリーシャが……』


 女性が喘ぐように呟くと、ベッドの陰から男性が姿を現した。


 やや白髪の混じった青髪に口ひげを生やした彼は、陛下と呼ばれた事から皇王陛下――つまりは父親なのだとわかる。


『ああ、本当にリリーシャにそっくりだな。生きていてくれたとは……』


 ふたりとも目尻に涙を浮かべて、あたしが生きていた事を喜んでくれているよう。


「……なんで……?」


 母親はともかく。


 父親は皇室の仕来りに従って、あたしを殺そうとしたんじゃなかったの?


 なんでこんな……再会をよろこんで涙まで浮かべられるの?


 疑問と。


 殺されそうになった怒りと。


 けれど、それと相反するように湧き上がる、両親への情愛で。


 あたしの心がぐちゃぐちゃになるのを感じる。


 勝手に涙が溢れ出てきて、なにを言ったらいいのかわからない。


「あ、あたしはぁ……」


 それでもなにか言おうとしたのだけれど、なんとか言葉にできたのはそれだけで。


 あたしは湧き出る嗚咽に喉を締め付けられて、ただただしゃくりあげた。


 リリーシャがあたしの肩を抱きしめて、背中を擦ってくれる。


 涙で滲んだ視界の中で、母親……母、さんも泣いているのがわかった。


『――アリーシャ。おまえには本当に辛い思いをさせてしまって、すまないと思っている』


 映像の中で陛下――父さん、が。


 深々と頭を下げる。


『言い訳に聞こえるかもしれんが、あの頃はまだ、私は立太子されたばかりで、なんの力もなくてな。

 ――先代や貴族達に従うしかなかったのだ……』


 それがどれほど悔しい事だったのかは、その表情と握りしめられた拳からよくわかる。


『それがこうして生きていてくれて……

 ミリーナには本当に感謝の言葉しかない。

 そうだ。ミリーナは居ないのか?』


 それは亡くなった母さんの名前だ。


 まさか覚えていてくれたの?


「か、母さんは……もう何年も前に流行り病で……」


 溢れ出る嗚咽を押し殺して。


 なんとかそれだけを絞り出すと、映像の中のふたりが顔を曇らせた。


『――本当に……苦労したのだな……』


 ああ。


 ふたりが、心からあたしを案じてくれているのがわかるよ。


 だからさ。


 あたしはふたりを安心させたくて。


 リリーシャに肩を抱かれたまま、手で涙を拭った。


「――大丈夫。母さんだけじゃない。

 良い人達に囲まれて育ったからね。

 あたしは見ての通り、元気にやってきたんだよ」


 とびっきりの笑顔を浮かべる。


 ああ、いつか直接ミルドニアに行って、ふたりに会ってみたいな。


 あたしはリリーシャに出会うまでの事を両親に話して聞かせる。


 もちろん、娼婦をやってる事も全部ぜんぶ。


 あたしを受け入れてくれた、リリーシャの両親だもの。


 きっと、ありのままのあたしを受け入れてくれる。


「――あたしはさ、ホルテッサ王都いちの娼姫で。

 オレア殿下が誇ってくれる夜の蝶なんだよ!」


 今のあたしは、きっと誰よりも美しく笑えてるはずだ。

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