第10話 4

 今日は本当なら仕事はお休みだったんだけど。


 あたしは殿下達と別れてから、すぐに<女神の泉>に向かった。


 殿下達には、あとで妹を連れてきてもらうよう頼んでいる。


 本当は皇族を呼びつけるなんて良くないのかもしれないけど。


 妹には、ありのままの今のあたしを見て欲しかった。


 ――殿下が褒めてくれた、今のあたしの姿を。


 それにしても。


「……ふふっ」


 思わず笑っちゃう。


 あの夜、まるで捨てられた子犬のようにしょぼくれてたお兄さんが、まさか街で噂されてる、へたれ殿下だったなんて。


 婚約者に捨てられた情けない王太子。


 スラムを救った名君。


 黒森の侵災を鎮めた英雄。


 汚職貴族を赦さない苛烈な魔王。


 どれもが彼を示す噂だけど。


 きっとそのどれもが正しくて、きっと間違えているんだとあたしは思う。


 あの夜の、今にも泣き出しそうな顔をしていたお兄さん。


 そして今日、熱くあたしを説き伏せてくれた殿下。


 きっとあの人は――普通のどこにでもいる男の子で。


 ただただ、誰かの為に一生懸命なだけなんだ。


 いろんなお客さんを見てきたからわかる。


 その『誰か』にあたしも含めてくれた事が、すごく嬉しい。


「――美しい蝶だって……」


 そう言ってくれるお客さんは、いままでも何人だっていた。


 それが身体目当てのお世辞だというのも、よくわかってる。


 けど、あの人はあたしを抱く事もなく、ただ純粋にあの晩のあたしの言葉を恩義に感じて、そう言ってくれた。


 それが……たまらなく嬉しい。


 あたしがあたしのままで良いって、赦された気がしたんだ。


 わかってる。


 浮かれてるよね。あたし。


 でもさ、本当に嬉しかったんだよ。


 癒やしの女神なんて呼ばれててもさ、人様に胸を張れる仕事じゃないのはわかってたし。


 同じ「癒やし」の二つ名を付けられてる、サティリア教会の聖女様を羨ましくも思ってた。


 あたしの癒やしは男限定だしね。


 女に疎まれる仕事なのは理解してたよ。


 エリスなんかは、あたしと一緒に昔から姐さん達に面倒見てもらってたから例外。


 あとは、昔から時々支援してくれてたシンシア様もか。


 あの人も変わったご令嬢でさ。


 昔から娼婦の必要性をよく、あたしや姐さん達に説明してくれて、胸を張って仕事しろって言ってくれてたなぁ。


 あの人の教えがあったから、あたしはそれでも娼婦として上手くやってこれたんだと思う。


 でもさ……やっぱり心のどこかで思っちゃってたんだろうね。


 あたし達の仕事は決して褒められたものじゃないって。


 けど、仕方ないじゃないか。


 褒められたものじゃなくても。


 人に疎まれる仕事だとしても。


 学のないあたしが、誰かの支えになれるのはすごく嬉しいんだ。


 一時の快楽を得る為にくるお客さんのほとんどが、みんななにかに疲れていたり、苦しんでいたりしてて。


 それを誤魔化したくて娼館に来るんだ。


 そんな彼らの苦しみを取り除いてあげたくて。


 癒やしてあげたくて、あたしは娼婦を続けてるんだ。


「――人の役に立てる人になるんだ」


 それが死んだ母さんとの約束。


 あたしが遠いミルドニアという国の皇女様だと知らされた時は驚いたけど。


 好きに生きて良いと言ってくれた母さんに、あたしは誓ったんだ。


 本当にあたしが皇女だというのなら。


 その血に恥ずかしくないよう、精一杯誰かの為になれるように生きようって。


「……だから、わかっちゃったんだよね」


 あたしと殿下は似ている。


 悩んで。苦しんで。それでも誰かの為になりたくて。


 あたしができる事なんてちっぽけだけど、あの人は違う。


 国を動かせるだけの力を持ってしまっている。


 抱えた悩みは、あたしなんかが想像できないほど、大きなものになってるだろう。


「どうか……」


 思わず口をついて出そうになった言葉を、あたしは呑み込む。


 あたしなんかがおこがましい。


 そんな事を願える立場じゃないのはよくわかってる。


 やがて<女神の泉>に辿り着き、あたしはオーナーに事情を説明する。


 ややふくよかな体型をしていて、巻いた茶髪を上げている彼女は。


「そうかい! それは良かったじゃないか!」


 スラム出身の姐さんで、幼い頃からあたしを面倒みてくれていたから、あたしの事情も話してある。


 自分の事みたいに喜んでくれるオーナーは、咥えていた煙管を置いて、あたしを抱きしめてくれた。


「……そうかい。本当に、本当に良かったねぇ」


 オーナーは普段は凛として格好いい姐さんなのに、すごく涙もろい一面がある。


 今もあたしを抱きしめながら、ボロボロと涙をこぼしていた。


「オーナー。

 これから殿下達が来るのに、涙で腫れた顔なんか見せらんないでしょ」


「だって、だってさぁ。

 お袋さんが亡くなって、ひとりになっちゃったって泣いてたあんたがさぁ……」


「……やだ。やめてよぉ」


 あたしまで泣けてくるじゃないか。


 しばらくおぃおぃ言っていたオーナーだったけれど、ようやく治まったのか、わたしの肩を掴んで微笑みを浮かべる。


「さあ、それじゃあ皇女殿下にとびっきり美しいアンタを見てもらわなきゃだね。

 ――ホルテッサ王都が誇る高級娼館<女神の泉>の筆頭娼姫、癒やしの女神のアイシャの姿をさ!」


 ……ああ。


 あたしは幸せ者だ。


 会いたいと言ってくれる家族が残っていて。


 それを喜んでくれる仲間がいる。


「――アンタ達! アイシャを盛るよ! とびっきりにだ! 準備おし!」


 オーナーの声に従って、姐さん達がやってきて、あたしを取り囲む。


「――なになに? 身請け手ができたの?」


「アイシャを身請けなんて、お城建つくらい積まなきゃムリでしょ!」


「なにより本人が辞めたがってない」


「そうよねー」


 口々に話す姐さん達に家族が会いたがっているのだと告げると、みんな喜んでくれた。


 あたしを着飾り、化粧するのにも熱が入る。


 みんな、家族を失う痛みを少なからず知っているから。


 だから、仲間の家族が見つかった時には、自分の事のように喜び、祝ってくれる。


 あたしも何度か仲間を祝った事があるからわかるんだ。


 そうして貴族のお姫様のように磨かれたあたしは、与えられた部屋で殿下達を待つ。


 髪は妹がすぐにわかるように、魔法は解いてある。


 ピンクブロンドに慣れちゃってるから、紫の髪は自分のものなのに違和感を覚える。


 やがて約束の時間がやってきて、ドアがノックされた。


 オレア殿下と護衛らしい赤毛の青年に連れられて、部屋にやってきたのは、あたしそっくりの顔立ちをした学生服の少女で。


 あたしより青みの強い紫水晶のような髪。


 きっと魔法じゃない事を確かめる為だろう。


 目が虹色にきらめいて魔眼を使っているのがわかる。


 あたしも同じように魔眼を使って見せると、彼女は驚いたように目を見開いた。


「……あ、あの――」


 彼女の震えた声で。


 長く接客業をしているものだから、あたしは気づいてしまった。


 きっと彼女も不安だったんだね。


 あたしに拒絶されやしないか。


 会ったとして、恨み言でも言われたらどうしよう、とか。


 あたしもエリスに諭されるまで、そう思ってたからわかるよ。


 ――双子なんだもんね。


 ……うん。わかる。


 そう思うと、自然と身体は動いてくれた。


 立ちすくむ彼女に歩み寄って、あたしは彼女を抱きしめる。


 殴られるとでも思ったのかな。


 彼女はビクりと身を竦ませたけど、抱きしめられていると気づくと、途端に目も見開いた。


「――はじめまして、でいいのかな?

 あたしはアリーシャ。

 あなたの名前は? 妹ちゃん」


「……あ……あぁあ……おね、おねえ……さまあぁ」


 ――エリス。


 ホントだね。


 怖い気持ちなんて、本当にどこかにいっちゃったよ。


 あたしも涙が止められないや。

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