第9話 2
数日後、わたくしの家庭教師であるゴルダ先生はやってきた。
伝言を受け取って、大使館に赴いたわたくしを出迎えたゴルダ先生は、相変わらず大きくて。
「リリーシャ殿下! この度はお招き頂き、誠に感謝する!」
巨属特有の、腰を折って顔の位置を相手――この場合はわたくしね――と合わせる礼と共に、そう告げる。
三メートルほどある身の丈に額にある三つ目の眼。
一見すると、巨属はその体躯から暴力的な種属に見られがちなのだけれど、彼らは武よりも智に重きを置いた存在だ。
ゴルダ先生が言うには、身体が重くて戦闘には向かないのだとか。
そうは言っても、彼がその巨体で騎士の二、三人ならひと凪ぎで吹き飛ばしてしまうを、わたくしは見たことがある。
巨属がというより、ゴルダ先生の志向がそうなのだろうと、わたくしは思っている。
「――それで<深階>にはいつ出向くのかね? 明日かね? 明後日かね?」
興奮した様子で詰め寄ってくる先生に、わたくしは苦笑する。
知的欲求を満たす為なら、長旅の疲れも気にならないらしい。
「先生がお疲れでないのでしたら、これから王城に出向いて、オレア殿下にご紹介させてください。
ちょうど今日、その件での打ち合わせがてらに晩餐に招待されておりますの」
フォルト先生の同行を伝える手紙を送ったところ、そのような返事が来た。
特に断る理由もなかったので受けたのだけれど、ゴルダ先生が訪れたなら、紹介するにはちょうど良い機会だと思う。
「ふむ、それなら礼装の用意が必要だね。準備してくるので、しばし時間を頂こう」
そうして彼は部屋を出ていき、わたくしはメイドが用意したお茶で一息つく。
大使と雑談して待っていると、ゴルダ先生は白い外套にも似たローブ姿で戻ってきた。
そうしてわたくし達は王城に向けて馬車に乗り込む。
「オレア殿下は神器使いだと聞いたのであるが、リリーシャ殿下は彼が使ったところを見た事はあるかね?」
額の大きな眼をぎょろりと動かして、ゴルダ先生は問うてくる。
「いえ。新聞の記事などでは過去に使用した事件が報じられておりましたが、直接拝見する機会はありませんでしたわね」
「ううむ。残念であるの。機会があれば、ぜひ見てみたいものである」
ゴルダ先生は腕組みして呻いた。
「なんでしたら、その機会が設けられるよう、殿下にお願いしてみましょうか?」
「真であるか? それが叶うなら嬉しいのである!
ホルテッサの<王騎>はその名高さに反して謎が多いのである。
ホルテッサに来る途中、<深階>共々、ぜひ一度は見てみたいと考えていたのである」
そんな話をしている間に、馬車は王城へとたどり着き、わたくし達は係の者に案内された。
通された部屋で、礼服姿のオレア殿下とドレスを着たソフィア様に出迎えられる。
二人は巨属を見るのが初めてだったらしく、取り繕ってはいたけれど、驚きが隠せていなかった。
わたくしも初めてゴルダ先生を見た時はそうだったから、気持ちはよくわかる。
「――話は食べながらにしましょう」
というオレア殿下の言葉に従い、わたくし達は勧められた席に着く。
給仕がカートで大鍋を運んできて、別の給仕がパンのバスケットとライスの乗った皿をテーブルに並べていく。
給仕が大鍋の蓋を取ると、食欲をそそる香ばしい――けれど嗅いだ事のない初めての匂いが室内に広がり、わたくしだけではなく、ゴルダ先生までもが鍋に注目した。
「カレーという料理で、今後、ホルテッサで売り出そうと考えているものです。お口に合うとよいのですが」
深皿に注がれたそれは、とろみのある質感で、根菜がふんだんに使われているのがわかった。
オレア殿下とソフィア様はライスに直接それをかけてもらっているのだけれど。
「基本はライスにかけて食べるのですが、人によってはパンにつけて食べるのを好む人もおりますので。
まずは両方を試してみてください」
笑顔でそう言われて、わたくしは食べ慣れたパンから試してみる事にした。
――辛い!
まず感じたのはそれだった。
思わず用意されたコップから水を飲む。
……でも、これって――
気づくと、パンは食べきっていて。
「これは……クセになりそうですわね」
次にオレア殿下達と同じようにライスも試してみたのだけれど、これはパンよりさらに美味しく感じられた。
額に汗が浮かんでいるのも忘れて、わたくしは水を飲みながらも、この病みつきになる辛さを満足行くまで堪能してしまった。
深皿が空っぽになったところで我に帰って、汗をハンカチで拭いながら。
「お恥ずかしいところをお見せしました」
そうわたくしが言うと、オレア殿下は気さくに笑って。
「いえいえ、これは大口を空けてガッツリ食べるのが作法みたいなものです」
慰めとも本気ともつかない言葉をかけてくださった。
「あの……このカレー、ですか? もしよろしければ、レシピをお教え頂けないでしょうか? ぜひミルドニアにも持ち帰って広めたい味です」
図々しいと思いつつも、そう願い出てみる。
帰国後も食べたい。そう思わせるには十分すぎるほどの味だったんですもの。
「開発者が世界に広める気まんまんですから。かまいませんよ」
そういえばこの国に来たばかりの時に参加したパーティでも、これが振る舞われていた気がする。
あの時は挨拶に忙しくて、料理を楽しむ余裕がなかったんだったわ。
あとで早急に大使館のコックを王城の厨房に派遣しよう。
わたくしは心のメモのトップに刻み込む。
横目で見ると、ゴルダ先生も満足そうで、お代わりまで求めていた。
満腹感と充足感で全身が満たされる。
「さて、それでは本題ですが……」
オレア殿下がそう切り出し、わたくしは慌てて殿下に顔を向ける。
そうだった。すっかり忘れるところだったわ。
わたくしはカレーを食べる為だけに来たわけじゃなかった。
「<深階>の探索なのですが、早急に現地に向かう必要ができまして。
第三騎士団だけではなく、俺も含めて、明後日には出発しようと思います」
「急ぐ事になった理由をお伺いしても?」
「侵源が活動期に入る兆候があるそうでして。
探索をお望みなら、それより前の方が安全です。
俺が同行するのは、保険のようなものですね」
騎士と武勇の国――ホルテッサ王国では。
「侵災に当たっては、王族自ら戦線に立たれるというのは本当だったのですね」
わたくしの言葉に、ゴルダ先生が三杯目のお代わりから顔を上げる。
「もしや、<王騎>をお目にかかる機会もあるかもしれぬのかの?」
先生の問いに、オレア殿下は苦笑する。
「その機会がないに越した事はないのだけれど……いざ侵災が起きたなら、使う事になるでしょうね」
その言葉に、ゴルダ先生は三つの目をきらきらと輝かせる。
あれは侵災が起きて欲しいという顔ね。
幼少の頃からの付き合いだから、わたくしにはわかる。
と、そこで真剣な表情をしたソフィア様が、メイドから書類を受け取り、わたくし達に差し出す。
「そういうわけで、現地は今、常時より危険な状態にあります。
この書面にある通り、殿下ご自身の意思で<深階>に向かうのだと表明して頂く必要がありますので、ご一読頂いて、問題ないようでしたら、ご署名をお願いします」
ざっと文面を読み込んで、わたくしは文末にサインした。
わたくしは……目的の為にも、この機会を逃すわけにはいかないのだから。
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