第3話

 梁化鳳は自らを縄で縛った状態で、鄭成功軍の前に姿を現してきた。


 鄭成功はその姿に一旦は驚き、すぐに兵士達に縄をほどくように指示を出す。自由になった梁化鳳が鄭成功の前に跪いた。


「梁化鳳でございます。某が不明であったゆえに抵抗いたしましたが、兵士達には罪はございません。何卒寛大な処置を賜りたく」


「当然のことだ」


 鄭成功が笑って答える。


「その方は明から清に寝返ったわけではない。最初から清にいた者が、正しい王朝に降るのはむしろ当然のことであると考えている」


 梁化鳳は長安近辺の出身であり、武将として採用されたのは順治三年のことである。すなわち、既に清の支配下に置かれていた場所にいたのである。清に最初に採用された梁化鳳が清のために戦うのは当然であり、何ら非難されるところはない。


「貴殿には引き続き崇明島に残り、我が軍の後方支援と補給の手伝いをしてもらいたい」


 鄭成功の続いての申し出には梁化鳳は心底驚いた。


「某が再度寝返るとは考えないのですか?」


「もちろん、考えないと言えば嘘になる。しかし、時の流れは今、我々、明の方に向かってきておる。その流れを無視して再度主を変えるような愚か者は少ないだろうし、貴殿がそこまで愚かではないと思っている」


 梁化鳳は茫然とした様子で聞いていたが、しばらくして「お言葉、痛切に染みわたりました。何があろうと、崇明島を永暦帝のために死守いたします」と平伏する。それが本心からの言葉なのか、あるいはその場限りの言葉なのかは分からない。


 しかし、事実として、これから半年もの間、梁化鳳が崇明島を明のために守り抜くのは確かであった。



 三日後、由井正雪ら浪人軍も崇明島に合流した。占領地で更に軍を増やした鄭成功の軍勢は今や十二万に達している。鄭芝龍艦隊から奪った艦船もあるため、船の数も更に増えていた。


「あとは沿岸の小都市を落としながら南京へと突き進むだけである。甘輝、施琅。引き続き頼むぞ」


 鄭成功の言葉に両将が「ははっ」と深々と頭を下げる。


「由井先生は南京近辺までは船で向かい、その後、陸から目指していただくという方向でよろしいでしょうか?」


 作戦については劉国軒らも交えて既に決定していたらしい。長江という大河に面した戦いである以上、正雪ら浪人にはなじみのないものである。鄭氏ら水戦の達人に、劉国軒という清の事情も知る者達が決めることに口を挟むべきではない。


「分かりました。劉国軒を案内役として預かってもよろしいでしょうか?」


「もちろんです」


「それならば、あとは劉国軒の指示に従いましょう」


 正雪はまず鄭成功に、次いで劉国軒に頭を下げた。



 浪人軍の本営に戻ると、正雪は戦況の説明と、これからの活動内容を伝える。


「……まさに破竹の快進撃。素晴らしいことですな、ハッハッハ!」


 戸次庄左衛門が意気軒高に笑う。それは味方の士気をあげるには役立つが、何も考えていないのではないかという疑念を周囲にも与える。


 だからというわけでもないが、シャクシャインが反応した。


「西の方は大丈夫なのであろうか?」


「西の方?」


 庄左衛門が呆気にとられた顔を見せる。


「西と言っても、西南の方向になるのであろうな。我々が東側でこれだけ押しているとなると、清軍が西側で反攻してくるのではないかという不安がある」


 確かに。何人かが頷いた。


 現在、鄭成功達明の押さえる海岸線の一番西端は広州であり、ここに永暦帝もいる。


 これだけ東側の状態が切羽詰まったものになっているとなると、四川や長江上流にいる清軍が黙っているとは思えない。広州攻撃などに乗り出してくるのではないかという不安もあった。仮に広州が再度陥落しようものなら、南京を攻略できたとしても喜びが半減以下となってしまう。


 正雪より先に十兵衛が答えた。


「不安が全くないと言えば嘘にはなる。だが、永暦帝も李定国もここが勝負所と思っているだろう。今は彼らを信じるしかないのではないか」


「そうだな。今から広州まで戻るわけにはいかないからな。しかし、蝦夷も広いと思っていたが、この国は本当に広いのう」


 シャクシャインが改めて感心したように言う。


 全くその通りだ。正雪もこの中国という場所の広さを改めて思うのであった。

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