龍虎、東アジアを駆ける

第4話

　陳永華が琉球で交渉をしている間、鄭成功は厦門で浙江支配への準備を固めていた。

「まずはこれまで通り沿岸から支配していく。そのうえで陸地へと浸透していく作戦を取りたいが」

　鄭成功の頭の中には、浸透を先にするか、あるいは沿岸部攻略のまま南京攻略へと着手するか、そこに迷いがあった。

　しかし、一旦それを振り払う。

「最初の攻略拠点となるのは杭州だ。この地は広州同様、まずは周辺との連携を断ちたいと思う。具体的にはまず寧波を早期攻略し、そこから長江の入り口近くを目指す」

「確か上海と呼ばれるところでしたな」

　甘輝が答える。後に大都市となる上海ではあるが、この時代では城塞こそあったものの、大きな都市ではない。この付近の中心地は南宋時代には臨安と呼ばれ都となっていた杭州であった。

「劉国軒、この付近のことは分かるか？」

「大体は……」

　先立って、鄭成功に降伏した知将・劉国軒は一方の将軍という立場となっていた。鄭芝龍にも取り立てられたが、そこでは五百人の隊長であったことらすれば破格の昇格である。それだけ彼の有している清軍の情報が重宝されていたのである。

「ならば道案内として甘輝の副将としてついてもらおう。甘輝、おまえには先鋒として長江流域まで攻めあがってもらいたい」

「承知いたしました」

「施琅。そなたには後詰として杭州攻撃を任せたいと考えている」

「了解いたしました」

「私は由井殿らと共に中軍として、動き出した清軍を迎え撃つつもりでおる。尚、厦門には周全斌を残す。南海方面で何かあった場合には我々に報告し、更に遊撃隊として迎撃にあたるよう」

　以上のように決定し、八万の水軍を率いて厦門を出発して、北上していった。

　鄭成功動くという報告を鄭芝龍は揚州で聞いていた。

「八万か……。たいした軍勢を率いるようになったものだ」

　軍勢の数でも練度でも勝てないということは理解している。となると、思い切った作戦が必要であった。

　鄭芝龍が想定したのは以前から引き続いての、慢心を利用しようというものである。

　劉国軒が寝返ったことにより、それを狙うことは既に相手方に分かってはいるものの、それでも連戦連勝であればどこかで必ず油断するだろうという思いがあった。

「杭州は少しだけ頑張らせて陥落させよう。上海などはすぐに降伏して構わない。そうなってくると、成功の頭の中には必ず南京攻撃という文字が過ぎるはずだ」

「そこで南京に向かう鄭成功を叩くわけですか？」

「もちろん」

　と下士官に答えたが、鄭芝龍の目論見はそこではない。

（劉国軒の件もある。あまり迂闊に話すわけにはいかない）

　同郷ということで信頼してしまった者に簡単に裏切られてしまったことで、鄭芝龍は今まで以上に用心深くなっていた。

　鄭芝龍がこの時描いていた考えは、鄭成功の主力軍を一回長江に入れてしまい、南京方面まで向かわせた後に沿岸部の上海や杭州を再度攻撃して奪還してしまおうというものであった。

（占領したと思わせておいて、後々取り返す。そうすると、成功は軍を返さない限り兵站が続かなくなる。軍を返したところで背後から清の主力に襲わせればかなりの打撃を与えられる。それでも撃退はするだろうが、戻ってきたところを我々で叩けばいい。万一、清が成功を討ったのであれば、奴はそれまでの男だったということよ）

　鄭芝龍の脳裏に江南江西総督の郎廷佐の姿が浮かぶ。典型的な軍人気質であり、海商上がりの鄭芝龍とはソリが合わない。しかし、能力としては確かなものがある。鄭成功に海戦で勝てるとまでは思わないが、状況が味方すれば全くありえないではない。

（気に入らない奴であるが、無能な提灯持ちに勝たせるくらいなら、奴が勝つのも受け入れるしかないであろう。もちろん、程々のところで負けてくれるくらいがちょうどいいのであるが）

　鄭芝龍は作戦を固めて、それぞれの地域での準備を進めさせる。といっても、負けさせるだけであるので、これといった準備は必要ではないのであるが。

（一番の問題は……）

　自らの水軍をどこに隠すかということである。南京に向かう途中の鄭成功軍に気づかれてはいけない。その時点で遭遇した場合簡単に殲滅されてしまうことは火を見るよりも明らかである。

　鄭成功軍をやり過ごして、しかし、そこからすぐに長江に入ることができる場所である。

（ここだな）

　鄭芝龍が選んだのは上海城のそばを通って長江への繋がる黄浦江（こうほこう）の上流にある淀山湖（てんざんこ）であった。

（ここなら鄭成功が上海城を占領した後、我々が出発すればすぐに上海を取り返せて、鄭成功と入れ替わる形で長江に出ることが可能となるであろう）