第10話 人生で最も長い一日⑩
――――マスター殺し。
それが、ハーメルンの笛吹き男の二つ名だった。
あの戦いの後、俺は奴について隅々まで調べ上げていた。
そうして知ったのが、奴の真のスキルと、マスター殺しという異名。
死神呼ばわりされているイレギュラーエンカウントの中で、奴だけマスター殺しなんてたいそうな二つ名がつけられているのには、もちろん相応のわけがある。
絶対攻撃。
奴の大鎌は、全ての防御を無効化し攻撃する力を持つ。
それは、カードのバリアですら例外ではない。
瞬間移動と絶対攻撃。この二つのスキルにより、ハーメルンの笛吹き男は、低ランクの迷宮での出現であってもプロを殺しうる極めて危険なイレギュラーエンカウントとして警戒されていた。
それを知って以来、俺はハーメルン対策を考え続けていた。
それは、いつか必ず来るであろう再戦の時を予感していたからだ。
対策は、すぐに思い付いた。
一つは、絶対防御で相殺すること。アテナを手に入れた時は、運命だと思った。マイナススキルこそ特盛であるが、それを何とか解除してアイギスが使えるようになれば、ハーメルンの笛吹き男に対する切り札になる、と。
だが、それは奴が愛を攫ったことで使えなくなった。
それが奴の思惑通りであることは理解していたが、俺はアテナを子供たちの護りに置かざるを得なかった。
対策は、もう一つあった。
本命は、絶対防御での相殺だったが、絶対防御の入手難易度は極めて高い。ハーメルンの笛吹き男との再戦までに手に入らない可能性は高かった。
故に、アイギスを手に入れるまでは、もう一つの方法こそが本命であった。
必要なのは、覚悟だった。
痛みを受け入れる覚悟……。
故に――――。
「な、に?」
ハーメルンの笛吹き男が、驚きに眼を見開く。
――――この奇襲も、想定済みであり。
むしろ罠に掛けたのは、俺の方であった。
ハーメルンの笛吹き男が、自身の胸を貫通した三本の槍を信じられぬと見下ろす。
いや、驚いているのは、槍にではない。
ほぼの無傷の俺のカードたちにだった。
それを見て、俺は小さくほくそ笑んだ。
「ゴフッ……読み、切った、ぞ」
バリアが役に立たないのならば、初めからそんなものは切っておけば良い。
枚数分……八枚分のマルチフルシンクロしておけば、俺がダメージ負った後、カードたちがそのフィードバックを受けることも無くなる。
その分、奴に反撃する余裕が、生まれる……。
俺の仕事は、痛みへの覚悟と、シンクロを維持するために意識を手放さないこと……。
あとは、信頼するカードたちが、やってくれる……。
「あ、ガ……ッ」
だが、嗚呼……。
腹が、熱い。まるで巨大な鉄板の上で焼かれているかのよう。それでいて、じわじわと背筋を上ってくるおぞましいほどの冷気。
自分の意思と反して脳が勝手に脚を動かそうとして、しかし腰から先はなく、その喪失感に行き場を失った電気信号がビクビクと腹筋を痙攣させる。
その度に、内臓や血と一緒に命が流れ出て行くのがわかる。
身体を真っ二つにされるというのは、想像以上に、想像を絶するものだった。
いっそ感覚を麻痺させてくれりゃ楽なのに、脳内麻薬でビンビンに活性化した脳は、その全てを詳細に把握して余すことなく俺に伝えてくる。
そんな地獄の中で、しかし俺はフルシンクロだけは維持し続けていた。
それだけが、この狂気の時間の中で唯一正気を保つ術だった。
『マスター!』
『クソッ、無茶しやがって!』
時間にして一秒か二秒か。体感的には限りなく長い時間を耐え忍んでいると、ようやく現実が体感時間に追い付いてきた。
ユウキが俺の身体を抱き上げ奴から距離を取り、蓮華がすかさず十回目のアムリタの雨を発動する。
俺の上半身と、切り離された下半身が光に包まれ、一つへと戻る。
死んでいなければありとあらゆる傷を癒す神の雫は、俺の身も心も完全に元通りにしてくれた。
それでやっと余裕を取り戻した俺は、ニヤリと蓮華に笑ってみせた。
『だが、賭けには勝った……』
身を挺して奴の攻撃を誘導するこの作戦には、致命的な欠けがあった。
それは、脳天から真っ二つにされたり、頭を砕かれたりして即死した場合に、全滅してしまう可能性があったことだ。
だが、俺はこれまでの過程からそれはないと踏んでいた。
なぜなら、それじゃあハーメルンの笛吹き男が俺の死に様を楽しめないからだ。
俺が驚き、絶望する顔を見たい……奴は必ずそう考えているはず。
故に、俺が何もわからず死ぬような真似はしてこない、という確信があった。
結果として、俺は賭けに勝った。
「チッ!」
奇襲の失敗を悟ったハーメルンの笛吹き男の姿がかき消える。
瞬間移動。絶対攻撃のクールタイムが回復するまで、逃げきろうというのだろう。
だが。
『逃がすか!』
そうはいかせるか!
絶対攻撃のクールタイムが回復する十分以内に、片を付ける!
奴の瞬間移動能力も、無制限というわけではない。
短距離転移は、最大100メートルの連続使用は二回まで。再使用には、一分間のクールタイムが必要となる。
愛たちを攫ったような長距離転移も、なぜか戦闘中は使ってこないというデータがある。おそらく、何らかの条件があるのだろう。
200メートルの距離などBランククラスにとっては一瞬の距離。高等忍術持ちの俺たちならば猶更のこと。
そして、奴の存在はすでにマーキング済み。ユウキの狩人のスキルでどこまでも追跡することができる。
「フンッ!」
追いすがる俺たちを見たハーメルンの笛吹き男が、鎌を笛へと変えて高々と吹いた。
森全体が震え、四方八方から鼠たちの洪水が襲ってくる。
『ユウキ、イライザ、メア!』
月の三相女神が、その特殊スキルを発動する。
彼女たちの全身から闇が噴き出し、周囲を夜に染め上げていく。
空には、巨大な蒼い満月が浮かび、その光を浴びた鼠たちが溶けるように消えていった。
これまで散々俺たちを苦しめてくれた鼠どもが溶けて消えていくのは、実に気分が良い。
これで、邪魔するものはもう何一つもない。さて、どうする?
胸の中で問いかけると、奴は逃げるのを止め、振り返ると高らかに宣言した。
「今宵は、リピーターのお客様ということで、順不同、口上も抜きにしてお送りします! それではお聞きください。【ハーメルンの笛吹き男】」
クソ、そういうのもアリなのかよ!
『ユウキ!』
俺の意思に答え、狩猟の女神がその弓に矢をつがえる。
矢には、漆黒の闇が纏わりついており、それは重力波の魔法が装填されている証だった。
衝撃波を伴いながら放たれた矢に、ハーメルンの笛吹き男を取り囲むように音符のバリアが現れて――――パリンと砕け散った。
矢が奴の右腕を貫き、その瞬間、込められた重力波の魔法が解放。凝縮された重力波の魔法が極小のブラックホールとなって奴の腕を削り取り、二の腕から切断した。
「良し!」
その光景に、俺は思わずガッツポーズを取る。
奴のバリアは、絶対防御ではなく、一定以下のダメージをカットするもの。
その上限は、おそらくBランクの成長限界……およそ数値にして戦闘力2000程度。ギルドの資料には、成長限界まで育てたBランクの攻撃は全く通用しなかったが、そこへ装備化を併用したところバリアを打ち破った、という記録が残っていた。
戦闘力2000以下の攻撃のカットは、低ランク帯では絶対防御に近い性能を誇るが、このランクではダメージ軽減としかなり得ない。
そして、ハーメルンの笛は両腕用。これで奴はもう曲を奏でることができない!
「チッ、無粋な……」
片腕を失ったハーメルンの笛吹き男は、舌打ちして笛を鎌へと切り替え、肉弾戦の構えに移る。
そこへ降り注ぐ高等魔法の雨。宇宙からの流星群、局地的に凝縮され増幅された重力波、地球の内核から召喚されしマグマ、そして不死者を消滅させる聖なる光の剣……。
ハーメルンの笛吹き男は、それに身体を削り取られながらも灰髪の戦女神へと迫る。
敵の狙いを察したモリガンは、チラリと後方にいる俺を横目で見てから、それを迎え撃った。
無事にモリガンにたどり着いたハーメルンの笛吹き男は、そのままぴったりと張り付いて離れない。
こうなると広範囲、高威力の高等攻撃魔法は使い辛くなる。
自然と俺たちも近接戦の体制へとシフトした。
それぞれ大通連と小通連を装備したイライザ、モリガンが前衛となり、矢と装填によりピンポイントでの攻撃が可能なユウキが遊撃、他の面々が回復や補助魔法、魔法陣に簡易神殿とあらゆる形で援護する。
単体の戦闘力こそ奴の方が高いが、三体一という数の不利と、途切れなく送られる回復や補助魔法、そして何よりも片腕というハンディキャップに、徐々に奴の身体に傷が増えていく。
……ここまでは、事前に想定し、覚悟を決めていた分有利に立ち向かえている。
このまま押し切れるか? と思ったその時、ハーメルンの笛吹き男の姿が消えた。
もう一分経ったのか!
『ッ! 追うぞ!』
一瞬だけ奴のダイレクトアタックを警戒した後、すぐさま追跡に入る。
絶対攻撃のクールタイムが回復するまで、あと九分。
このペースなら倒しきれる! 倒しきる!
そうして、木々の間をすり抜けて奴に追いついた俺たちが見たのは……。
『な、に……!?』
一心不乱に子供の死体を貪り喰らう奴の後ろ姿だった。
俺たちが、追いついたことに気付いたハーメルンの笛吹き男が、ゆっくりと振り返る。
その二重となった口を赤く染め、にんまりと嗤う道化師には、しっかりと二本の腕が揃っていた。
『屍喰らい……!』
あるいは、その類似スキル!
この森の死体の山は、単なる趣味の産物ではなく、一種の食糧庫だったのか……!
だとすれば、マズイ! このまま追いかけっこを続けたらクールタイムまで逃げ切られる!
くるりと道化師が背中を向ける。
マズイマズイマズイマズイ!!
アイツ、このまま逃げ回る気だ!
おそらく戦って時間を稼ぐよりも無様に逃げ回る方が良いと判断したのだろう。
どうすれば良い? どうすれば……!?
打開策を求めた俺の脳がスパークして――――。
「お前らは、一体何なんだ!?」
咄嗟に出てきたのは、そんな言葉だった。
考えて口にした言葉ではないが、それは確かに奴の足を止めた。
続けて、心のままに問いを投げかける。
「何が目的なんだッ?」
ハーメルンの笛吹き男の俺に対する執着は常軌を逸している。
いくらアンゴルモアで自由に外を出歩けるようになったとはいえ、俺の家族を人質に取り、初めて出会った迷宮を決闘の場所に選ぶなど、手が込み過ぎている。
しかも、その道中には浦島太郎という他のイレギュラーエンカウントまで現れた。明らかに連携している。イレギュラーエンカウントが一個人に対してここまでしてくるなんて、聞いたことがない。
ハーメルンの笛吹き男は、振り返ると答えた。
「我々は、ただ歪みを正しているだけですよ」
喰い付いた! 蓮華たちがすかさず包囲し退路を塞いで攻撃に移る中、俺は言葉による奴の足止めに専念する。
「歪み?」
「そう、本来死んでいるはずの存在が、何食わぬ顔で生きている。生きていてはならない者が生きている。本来生まれてくるはずのなかった存在が、あるいは死んでいるはずの存在が生きている。ならば、あるべき形に少しでも戻すべきでしょう?」
ハーメルンの笛吹き男は、イライザたちと戦いながらも意識だけはしっかりとこちらへと向け、答えた。
「……俺はあの時、本当ならお前に殺されて死んでいるべきだった。だから付け狙うってことか?」
「いやいや、まさか、それ以前の話ですよ」
「それ以前?」
コイツと出会う前? 初めて迷宮に潜った日? いや、もっと前……生まれる前?
まさか……!
俺の顔を見たハーメルンの笛吹き男が、ニヤリと笑う。
「そう、人類は本来、二十年以上前、1999年にそのほぼすべてが死んでいるはずだったのです」
1999年。迷宮が出現した年……。
「それがどういった因果によるものだったのかは、幾重にも『現実改変』が行われた今となっては我々でもわかりません。が、とにかく、本来あるはずであった人類文明の滅びが無理やり捻じ曲げられたことだけは確かです。……そんなことをすれば、何が起こるか、アナタなら良くご存じなのでは?」
「因果率の歪み……」
「そのとおぉぉぉーりッ!」
ハーメルンの笛吹き男は、イライザに左腕を切り飛ばされ、脇腹をユウキの矢に抉られながらも楽し気に笑う。
「あなた方がアンゴルモアと呼ぶものは、つまり揺り戻しなのですよ」
迷宮が発生したからアンゴルモアという不幸が生まれたのではなく、初めに『滅び』があって、それを吸収するために迷宮が作られたということか?
迷宮は、不幸の回収装置。
最初に処理ギリギリの巨大な不幸を放り込まれていたとすれば、それが処理される前に新たな不幸がどんどん追加されれば、それがあふれ出してもおかしくない。
それが、俺たちがアンゴルモアと呼ぶ災害の正体……?
その時、ユウキの矢がハーメルンの笛吹き男の右足をちぎり飛ばした。
バランスを崩した奴の胴をすかさずケルトの三女神たちが地面へと串刺しにして、イライザが残った腕と足を切り飛ばす。
あっという間に達磨状態となったハーメルンの笛吹き男が、ぼやくように言った。
「あーぁ、これで終わりですか。少々おしゃべりに夢中になりすぎましたか」
そんな姿を見て、俺は思わず最後に問いかけていた。
「お前、なんで会話に付き合ってくれたんだ?」
俺の狙いが足止めだということには、当然コイツも気付いていたはず。
なのに、なぜそれに付き合ってくれたのか。
途中からは、瞬間移動のクールタイムが回復しても逃げもせず……。
俺の問いに、ハーメルンの笛吹き男は、なぜそんなことを聞くのかわからないとばかりに首を傾げ――――。
「だってこんなネタバラシ! 他の奴らに持ってかれたら勿体ないでしょう?」
俺は、思わず呆れを通り越して感心してしまった。
「お前、本当にエンターテイナーだよ」
俺の本心からの言葉に、演出に拘る道化師はニヤリと笑って。
「ぷれぜんと・ふぉー・ゆー」
最後にそう言い残し、ボロボロとその身体が崩れ去っていく。
同時に周囲の景色も元のごく普通の森へと戻っていき、後には見たこともないほど巨大な赤い魔石と……一枚のカードが残された。
「こ、これは……」
と俺が無意識にそのカードに手を伸ばそうとしたその瞬間。
『ッ!?』
『マスター!?』
カードが一人手に浮かび上がり、俺目掛けて飛び込んできた。
反射的に飛びのいた俺の前にイライザが瞬時に立ちふさがり、しかしカードは彼女の身体をすり抜けて俺へと……いや、胸元のカードを入れたポケットへと突っ込んでくる。
胸元のカードが黒い光を放ち……。
『ッ、うあああぁぁぁ!?』
イライザが、身体をくの字に曲げて苦悶の声を上げる。
『イライザッ!?』
俺は、その場にいた全員が、イライザの元へ駆けつけ、その身体を取り囲む。
普段、苦痛の声をあげない彼女が、ここまで苦痛の声を上げるなんて……!
俺の脳裏に、かつて猟犬使いがアヌビスを生贄に捧げて狼と七匹の子ヤギを召喚した光景が蘇る。
イレギュラーエンカウントが、迷宮の主やカードを乗っ取って出現するとすれば、イライザは……!
イライザの身体を黒い稲妻が纏わりつき、その姿が変わっていく。
銀のドレスから、赤と黒を基調としたバニースーツのような道化師服へと。顔には化粧がほどこされ、唇には真っ赤な紅(べに)が、涙袋の下にも赤い涙マークが浮かび上がる。
そして、その手には……いつの間にかハーメルンの笛が握られていた。
「い、イライザ……」
『ッ……離れろ、歌麿!』
呆然とする俺を、蓮華が無理やりに引っ張って距離を取らせた。
他のカードたちもイライザを取り囲むように武器を構える。その表情は、皆一様に険しい。
そんな……まさか、嘘だろ?
場の緊張感が加速度的に高まっていく中、イライザがゆっくりと顔を上げる。
その顔は……。
『マスター……?』
……いつものイライザのソレで、俺たちはホッと安堵の息を吐いた。
どうやら、ハーメルンの笛吹き男に完全に乗っ取られたとか、そういう展開ではなさそうだった。
『大丈夫なのか、イライザ?』
そう呼びかけながら、リンクの上でも彼女の異常を探っていくが、特におかしなところはない。
イライザは、なんだかセクシーな格好となってしまった自分の身体を見渡しながら答える。
『大丈夫です。……少し違和感はありますが、なんともありません』
『違和感?』
やはり何かあるのか、と俺たちの間にピリリとした空気が走る中、イライザが首を振る。
『いえ、不調や不快感ではないのです。ただ、急にできることが増えて……』
『ふむ?』
珍しく戸惑い浮かべるイライザに、俺は彼女のカードを取りだした。
【種族】セレーネー(イライザ)
【戦闘力】3000(レベルアップ使用中)
【先天技能】
・輝く満月の女神
・三相女神
・凍てつく月の世界
・獅子座の護り
・高等魔法使い
【後天技能】
・フェロモン
・暗殺
・不滅の盾
・精密動作
・魔力強化
・詠唱破棄
・直感
・フィンの親指
・限界突破
・生還の心得
・魔力回復
・文武一道
・膏血を絞る
【固有技能】
・マイフェアレディ(知恵の泉):敵味方の内一体の後天スキルを一つコピーすることができる(?) 絶対服従、多芸、明鏡止水を内包する。
(多芸:メイド、演奏、罠解除、武術、騎乗を内包する)
(メイド:メイドに必要な技能を収めている。料理、清掃、性技、礼儀作法を内包する)
・ハーメルンの笛(NEW!)
「これは……」
固有技能の欄に、ハーメルンの笛が追加されている。
これが、この変化の原因か?
『できることが増えたと言ったが、何ができるようになったんだ?』
俺の問いに、イライザは顎に手を当てて少し考え……唐突にその姿が消え去った。
『ッ!?』
それに、完全に警戒を解いたわけではなかったカードが俺の周囲を取り囲み、辺りを見渡す。
イライザは、すぐに見つかった。彼女は、俺から十メートルほど後方に立っていた。
『ハーメルンの笛吹き男の瞬間移動スキルか……!』
俺の驚きの声に、その通りとイライザが頷く。
「マジか……!」
つまり、ハーメルンの笛吹き男のスキルを使えるようになったということか?
鼠の召喚や眷属強奪も使えるのだろうか? 絶対攻撃は? イレギュラーエンカウントの空間の展開や、他の迷宮への転移能力はどうなっている?
俺が、さらに詳しく聞こうとしたその時。
『……色々と気になるのはわかりますが、戦いが終わったのならそろそろ愛を迎えに来ては?』
アテナからそんなテレパスが届いた。
ハッと我に返る。
……そうだな。まずは、愛を迎えに行くとしよう。きっと、心配している。
だが、その前に、一つだけ。
俺は、ハーメルンの笛吹き男の残した大きな魔石を拾い上げながらイライザへと問いかけた。
『イライザ、ハーメルンの笛の転移はもう使えるのか?』
『……イエス、マスター。ただ、座標地点はすべてリセットされているようです』
『そうか……』
ハーメルンの笛吹き男の最後の嫌がらせか、あるいはスキル化の影響か。
俺は一瞬だけ落胆したものの、すぐに気を取り直して言った。
『イライザ、少し試しに自分だけで迷宮の外に出て見てくれるか?』
通常は迷宮外に出ればカードの召喚は当然解除されるが、アンゴルモア中は外に出ても解除されることはない。
召喚したまま中に入れたように、俺たちが最下層に留まったままイライザだけ外で単独行動させられるかもしれない。
もし階層移動と同様にカードとの繋がりが切れて迷子状態になったとしても、すぐに合流は可能だし、試して見る価値は十分あった。
『大丈夫なようなら悪いがそのままちょっと学校までひとっ走りしてくれ』
『イエス、マスター』
イライザがうやうやしく一礼する。
その動作にどこか奴の姿が被り、微妙な気分になっていると、イライザが一台の豪奢な馬車を呼び出した。セレーネーの空を駆ける魔法の馬車だ。
ふむ……セレーネーのスキルはこの姿でも使えるのか。考えてみれば、三相女神のスキルで枠が確保されているユウキとメアは今もされてるしな。セレーネーのスキルは健在と考えるべきだ。
しかし、イライザはずっとあのセクシーな格好のままなんだろうか? 個人的には嬉しいが、些か刺激が強すぎる気も……。
そんなことを考えつつ魔法の馬車に乗って去って行くイライザを見送って、俺たちは愛の待つマヨヒガへと向かう。
「――――お兄ちゃん!」
マヨヒガの玄関の扉を開けると、待ち構えていた愛が飛びついて来た。
俺の腹部に顔をうずめ、そして頬にべっとりとついた血の跡にギョッと飛びのく。
「お、お兄ちゃん、これ……!?」
「あー……」
俺は何と誤魔化そうか迷って、制服が全体的に血まみれなことに気付くと、誤魔化すのを諦めた。
切断された制服の後を見たら、何が起こったかは一目瞭然だ。これは、誤魔化しようがないか。
結果、俺が取った行動は、愛を抱きしめ、ただその頭を撫でるというものだった。
「大丈夫。もう全部終わったことだから。さあ、お袋のところに戻ろう?」
「……………………うん」
長い沈黙の後、コクリと愛が頷く。
納得したわけではないが、これ以上に俺に負担を与えまいと疑問を飲み込んでくれたのだろう。
そんな妹の気遣いにありがたく思いつつ、俺は天を仰いだ。
――――ああ……それにしても、長い一日だった。
第三次アンゴルモアの幕開けから始まり、生徒たちやその家族の回収、小学校の子供たちをギルドに送り届けて、愛たちが攫われ、イレギュラーエンカウントとの二連戦……。
間違いなく、俺の人生で最も長い一日だった。
さすがに、疲れた……。
そう思っていると、イライザから念話が届いた。
『……マスター、少しよろしいでしょうか?』
それに、嫌な予感を覚えつつ答える。
『どうした?』
『見ていただいた方が、よろしいかと……』
そうイライザが言うと同時に、彼女の目にしている光景が俺の脳裏に映し出される。
――――そこには、地獄があった。
天には無数の竜や天使、悪魔が飛び回り、地上へと向けて流星群や雷の雨を降らし。
地には、百メートルを超える巨人たちが闊歩して、家々やビルを踏みつぶす。
火の海に包まれた街からは、もはや人の営みは欠片も見当たらない。
確かに、そこにある……しかし、どこか現実感の無い光景。
これは、本当の光景なんだろうか?
ただの街じゃない。俺が生まれ育った街なんだぞ……?
どの店がどこにあるのか完全に頭に入ってる駅前の大通りも。友達と何度も自転車で駆け抜けた坂道も。子供の頃に秘密基地を作った公園に、俺の家がある住宅地も……!
全部、燃えている。
あそこで瓦礫の山になってる小学校だって、ほんの数時間前までは無傷だったのに……。
それが、こんな、まるでハリウッド映画みたいな……。
まだ夢を見ているだとか、幻覚を見せられていると言われた方が納得できる。
だが、五感を共有するイライザからは、確かに炎の熱や様々なモノが燃える臭い、そして誰かの悲鳴が聞こえてきて……。
「……お兄ちゃん?」
俺の異変を察した愛が、不安げに見上げてくる。俺は、何も答えず彼女を抱きしめる腕に力を込めた。
今はただ、俺が守り切ったこの小さな体の温かさだけが、真実だった。
【Tips】ハーメルンの笛吹き男
イレギュラーエンカウントは、大きく二つのタイプに分別することができる。
リドルスキルによる搦め手を得意とした罠型と、リドルスキルを用いず純粋な戦闘能力を有する純戦闘型である。
前者はその性質上ランクによる弱体化の影響を受けずらいためむしろ低ランクの方が脅威が増す傾向があり、逆に後者は本来のランクに近づくほど加速度的にその脅威が増して(あるいは戻って)いく。
浦島太郎は前者、ハーメルンの笛吹き男は後者の典型となる。
ハーメルンの笛吹き男が呼び出す鼠の眷属は、主の戦闘力によってその最大数が変化し、Aランクともなるとその数は万を超える。
これに対抗するには対眷属スキルか眷属召喚による数で抵抗するのが最適解となるが、対眷属スキルは貴重かつ生半可なスキルではその増殖スピードに対抗できず、眷属召喚スキルでは、ハーメルンの笛吹き男が持つ眷属強奪のスキルにより根こそぎ奪われてしまうリスクがある。
高ランク帯でこのイレギュラーエンカウントと遭遇した際には、数の暴力という言葉の意味を思い知ることになるだろう。
だが、これらの最上位の眷属召喚能力すらもハーメルンの笛吹き男の真の脅威の前には霞む。
ハーメルンの笛吹き男の真の脅威。それはマスターのバリアすら無効化する絶対攻撃と、予測不可能な瞬間移動によるマスター殺しのスキルーーーーではない。
享楽的な道化師としての側面に隠れた冷徹な戦略家としての側面。それこそがこのイレギュラーエンカウントの真の脅威である。
手下の鼠を嗾け、じっと消耗を待つ狡猾さ。悪趣味なアートに見せかけて回復のための食料を森のあちこちに配置する計画性。
時には人質を取り、時には詭弁を弄して惑わせ、時には敵に背を見せて逃げ回る柔軟さ。
この戦略家としての側面とマスター殺しの能力がかみ合った時、ハーメルンの笛吹き男はまさしく死神と化す。
一方で、享楽的な道化師としての振る舞いも決して仮面ではない。
この恐るべき死神に唯一付け入る隙があるとすれば、そのエンターテイナーとしてのこだわりだろう。
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