第9話 朱に交われば……。

 




「愛歌、シャワー用の水はどこに置く? ここでいいか?」

「あー、そこは予備のTVを置くからダメ。そっちの隅の方に積んで置いて。あ、歌麿、そこはまだ拭き掃除終わってないからモノ置かないで!」

「あいよ」

「おかあさ~ん、漫画持ってきていい~?」

「嵩張るからダーメ。タブレットの電子書籍だけで我慢しておきなさい」


 ――――8月31日。夏休み、最終日。


 我が北川家は、家族総出で地下シェルターの整理を行っていた。

 無造作に詰め込まれていた家具やらレジャー用品を運び出し、何年もかけて堆積した埃をふき取り、一週間ほどかけて綺麗にした部屋に様々な物資を運び入れていく。


「……ふぅ。こんなもんか」


 そうして粗方の物を運び入れ終わり、俺は額の汗を拭いつつ部屋を見渡した。

 そんなに広くはない部屋の内部には、最低限の居住空間を確保しつつも容量ギリギリまで様々なモノが詰め込まれている。

 優に一年間は引き籠れるだけのカード化された食料と水に寝袋。外の情報を得るための小型のTVとラジオ。排泄物を浄化してくれる人工魔道具の簡易トイレ。水を濾過循環させることで何度でも同じ水を使うことができるシャワーテント。

 この地下シェルターは、有事の際に家族が避難するためのものだ。

 有事の際……つまりアンゴルモアの際は、このシェルターへと避難して自衛隊の救助を待つ手筈となっている。

 こうした地下シェルターは、アンゴルモア以降……より正確に言うなら第二次アンゴルモア以降に家を建てる際のデフォルトの装備となっており、今ではどこのご家庭でも当たり前にみられる光景となっていた。


「なんとか準備が間に合ったな……」


 隣へとやってきた親父が、同じように室内を見渡しながら言う。


「だね……まあこんなに急いでやる必要もなかったかもしれないけど」

「とは言ってもいつ来てもおかしくないものだからな。備えあれば患いなしと言うし、早め早めに準備しておいて損はない」


 そう言って親父は大きく伸びをした。


「しかし、いくら何年も使ってないからって、物置代わりにするもんじゃないな。いざという時に困る。……平和ボケしてたかな」

「まぁ、十年近く使われなかったわけだしねぇ」


 平和ボケと言われれば否定はできないが、長年使われていないとなれば徐々に埃やら要らない物が積み重なっていってしまうのが、人の営みというものだ。

 カード化した食料や水が準備してあっただけマシというものだろう。


「十年か……歌麿がここを使ったのって、6歳か7歳の頃だったか?」

「ん~、確か小1の頃だった気がするから、それくらいかな」

「そうか、時が経つのは早いもんだなあ……。当時のことは覚えてるか?」

「……少しだけ」


 第二次アンゴルモアの時のことは、俺も小さかったこともあってかなり朧気だ。

 それでも突如鳴り出した不吉なサイレンの音と、険しい顔で俺と赤ん坊だった愛を抱き上げてシェルターへと駆け込む両親の表情は、なぜか鮮明に記憶に残っている。

 シェルターでの生活は、おそらく数日から一週間程度だったとは思うのだが、子供の頃の感覚からするとかなり長期にわたる生活に感じたものだ。

 突然のことで玩具の類も持ち込めず暇つぶしをできなかったことが、その時間を長く感じさせた要因の一つなのかもしれない。当時は備えも不十分で、非常食と水こそ豊富にあったものの、トイレはおまるやゴミ袋、シャワーなど当然ないと、かなり過酷な環境だったのも大きいだろう。

 それでも幼心に我が儘を言って泣き叫んだりしてはいけないと思っていて、愛が泣き出さないようにあやして過ごしていたのは覚えている。

 それは両親に迷惑を掛けたくないという殊勝な思いからではなく、幼いながらに今騒ぎ立てたら命はないというのを感じ取っていたからだ。

 シェルターなんて言うと如何にも安全で頑丈そうだが、実際には周囲を厚めの鉄板を覆って防音処理を施しただけの地下室で、万全の護りというには程遠い代物だ。

 雑魚から身を隠すことはできても、Dランク以上のモンスターの攻撃に耐えられるようなものじゃあない。

 特に壁や地面をすり抜けられる死霊系モンスターには、無いも同然だった。

 幼い俺は、そう言った事情を知らずとも、本能で外敵に存在を悟られては命がないことを感じ取っていたように思う。


「……歌麿」

「うん?」


 そんなようなことをぼんやりと思い返していると、と親父が真剣な顔でこちらを覗き込んできた。


「何度も聞いて悪いが、確かにクダンの予言を聞いたんだな? 第三次アンゴルモアが起こる、と」

「……はっきりとアンゴルモアって言ったわけじゃないけどね。三度目の禍ってのがアンゴルモアを指す確率は、かなり高いと思う」

「そうか……。なんにせよ、こうして早めに知れて助かった。値上がりする前に必要なものを揃えられたしな」

「クダンの予言が発表されたら絶対色んなものが値上がりするだろうしなあ……」


 クダンのことをギルドに報告してから一週間が経つが、今のところ政府から民間に向けた警告はない。

 おそらくだが、今はまだ俺たちの発言の裏取りをしているところなのだろう。

 虚偽察知により俺たちの発言に嘘はないとわかっているだろうが、カメラ等で映像として残せなかったこともあり、予言の内容について考察しつつ、他の冒険者からの目撃情報を集めていると言ったところか。


 それでもごく一部では情報が洩れつつあるのか、カード関連で高騰の兆しが見られた。

 とりわけその兆候が見られるのは装備化スキル持ちと異空間型スキル持ちで、これらは普段の迷宮攻略でもそうだが、アンゴルモアでは特に頼りになるカードたちであった。

 同時に食料を生み出す能力を持つカードや魔道具もジワジワと値上がりつつあり、一方で普段は値段が高い女の子カードが徐々に値下げを始めていた。

 女の子カードの相場が下がりつつあるのは、アンゴルモアの気配を察した富裕層がコレクションしていた女の子カードを手放して実用性の高いカードを集め始めたことにより、従来のコレクション重視のトレンドから実用性重視のトレンドに切り替わったからなのだろう。

 こういう時、子飼いのプロ冒険者を持ち、独自の情報源がある富裕層は強い。


 そう言う意味では、おそらく最速に近い形で情報を掴めた俺たちは、まだ不幸中の幸いと言えた。

 俺や愛の大学進学用に貯めていた貯蓄を切り崩して、値上がりする前に俺を除く家族全員分のリビングアーマーを手に入れることができたからだ。

 地下シェルターには、シルキー集団を始めとして俺の使っていないDランクカードも置いてある。

 リビングアーマーとシルキーたちを始めとしたDランクカードがあれば、もし俺が不在中にアンゴルモアが起こっても、俺が迎えに行くまでなんとか身を守れる可能性は、かなり高い。

 いざという時のために魔人のランプも預けた。三回だけだがBランクモンスターを呼び出せるこの魔道具があれば、大抵の危機はなんとかなるはずだ。


 正直、シャワーテントやらトイレやらといった物を置いたのは、万が一俺がすぐに迎えに行けない不測の事態が起こった時のための保険みたいものだ。

 魔石発電機のおかげで家電も普通に使えるし、防音結界を張ればシャワーやトイレの音が漏れる心配をする必要もない。薬水の水差しとアスクレーピオスの書があれば怪我や病気もあまりしなくて良いだろう。ポーションやマジックカードなどもこれからはこの地下シェルターに保管するつもりだ。

 たぶん、下手に避難所なんかに行くよりもよほど安全で快適な生活を送れるだろう。

 ……その副作用として、俺が四億もカードパックを買ってしまったことがバレてしまったが、些細な問題だ。

 さすがに、発電機とか冒険に必要ない物が多すぎて誤魔化せなかった。

 アテナの存在が露見した頃からかなり疑われていたのもある。

 お金の使い方について説教されたが、思ったよりは軽く済んだ。アンゴルモアが起こればお金なんていくらあっても役に立たないし、パックから出たアイテムがかなり役に立つものだったのも大きいだろう。


「んじゃ、部屋に戻るわ」

「歌麿」

「ん?」


 俺が階段を上がろうとすると、親父が呼び止めてきた。

 まだ何か用があるのかと振り返ると、真剣な眼差しの親父と眼が合った。


「正直……親として情けないが、アンゴルモアが起こったら父さんよりお前の方が頼りになる」

「……………………」


 その時、俺はいつの間にか自分が親父と同じくらいの背丈となっていたことにハッと気付いた。


「頼んだぞ、歌麿」

「わかった」


 俺は親父と同じ目線の高さでその眼を見つめ返し、しっかりとそう答えたのだった。






「パパさん、なんか微妙に死亡フラグ立ててなかった?」

「縁起の悪いこと言うんじゃねぇ!!」


 部屋に戻るなり洒落にならんことをほざいたクソガキに、俺はキレた。

 仮にも福の神が、そう言うこと言うんじゃねぇ……! 不吉ってレベルじゃねーぞ!


「悪い悪い。まあ、禊だよ。これで逆にフラグ折れただろ」

「まったく……」


 へらへらと笑う蓮華に、俺は深々とため息を吐いて、ベッドへと腰かけた。

 ……まあ、こいつがこういう風にふざけているということは、本当に親父に不穏な気配はないということなのだろう。

 案外マジで禊だったのかもしれない。

 ぶっちゃけ、ちょっと死亡フラグっぽいって俺も思ったしな……。


「で……ついに試すのか?」


 そう言う蓮華の視線の先には、机の上に置かれた五枚の宝籤カードがあった。


「ああ、宝籤カードにお前の能力が通用するのか実験する」


 アンゴルモアに向けて、俺はこれまで以上の力を手に入れなければいけない。

 冒険者にとって力とは、すなわちカードである。

 この宝籤カードは、迷宮に潜るよりも手っ取り早く力が手に入る可能性がある魔道具だった。


「まずはどうするんだ?」

「とりあえず一枚目は普通に使う。お前ならそれでこの宝籤カードが予め結果の決まってるものかわかるだろ?」

「ん、そうだな。ランダム性のあるものならお前の運気が変動するからな」

「というわけで一枚目は普通に使ってみることにする。……宝籤、使用!」


 宝籤カードが淡い光を放ちモンスターカードへと変化する。


「ゴブリン、か……。ハズレだな。どうだった、蓮華?」

「ん……どうやら運気で結果が変動するタイプの魔道具みてーだな」

「良し!」


 俺は力強くガッツポーズした。

 まずは第一関門突破だ。


「よし、じゃあ次は、これを使っての実験だ」


 そう言って俺が取りだしたのは、カーバンクルガーネットだった。


「それをどうするんだ?」

「まず、このガーネットが運命操作を使ってない状態でも使えるのかを試す。それで内部の幸運を使用出来たら、三枚目はホープダイヤも使ってホープダイヤの効果量を計測する」


 ガーネットの幸運を運命操作無しに使用できるならば、上手くすれば因果律の歪みを生まずにBランクカードを手に入れることができるはず。

 運命操作と比べて大雑把な運気の操作しかできない幸運操作は、どうしても使用する幸運量にロスが生じるが、それでも因果律の歪みを生まずに済むのは大きい。


「なるほどな……試してみる価値はあるか」


 蓮華はガーネットを一つ手に取る。

 しばし、矯めつ眇めつ眺めていたが……。


「……無理だな。座敷童の能力じゃできない。たぶん、これは権能クラスの力が必要だな」

「つまり吉祥天への霊格再帰が必要ってことか……。よし、やってみてくれ」

「よし!」


 蓮華が、座敷童から吉祥天へと霊格再帰する……が。


「アレ?」


 俺は、吉祥天となった蓮華の変化に目を丸くした。

 いつもなら妙齢の女性に姿を変えるはずが、今回はいつもの蓮華と同じ年ごろの姿のまま、服装だけ吉祥天の物となっている。


「服装、だけ? いや……」


 良く見れば少しだけ顔つきが大人びているし、座敷童だった頃よりも明らかに美しくなり、雰囲気も心無しか神々しくなっていた。……胸元も、ちょっぴり大きくなっている気がする。

 だが、外見上の変化はそれぐらいで、生意気そうな表情も含めて、あとはいつもの彼女そのままだった。

 マジマジと見つめる俺に、蓮華はプイと顔を背け……。


「毎回大人の姿になってたらめんどくせーだろうが」

「ふぅん……まあ、良いけど。そう言うことも出来たんだな」

「まあな。まあ、アタシも霊格再帰に慣れてきたってことだろ」

「なるほどなあ」


 そう言えば最初の頃は口調も変わっていたけど、そのうち変身してもガラの悪い口調のままになってたっけ。

 いつの間にか蓮華の花が咲き乱れる演出も無くなってたし……霊格再帰に習熟するとそう言うののコントロールができるようになるのかもしれない。

 メアなんかはリリムに霊格再帰しても特に性格も変わってなかったし、外見年齢も最初から自在に変えられたみたいだが、あれは元々淫魔的な性格をしていたのと、相手の好みによって外見を変えられる淫魔の種族特性が大きかったのかもしれない。

 とにかく、霊格再帰しても普段の蓮華のままの姿、性格というのは結構な話だ。

 ぶっちゃけ、吉祥天モードの時ってちょっと神々しすぎて蓮華じゃないみたいで少しだけ違和感があったからな。

 やっぱコイツはこの見かけと性格が、一番しっくりくる。

 ……絶対に口には出さないが。


「で、ガーネットはいくつ使う?」

「とりあえず一つかな。それで十分結果は変わるだろ」

「ん、少なくともFランクってことはねーだろうな。良し、じゃあ使うぞ」


 そう言って蓮華がガーネットを握って砕いた――――その瞬間。


「……お!?」


 今、俺の中に何かが満ちるのが微かにだがわかった……!

 かなり集中しなければそれの存在を認識することができないが……もしかしてこれが幸運のエネルギーという奴か!?


「どうした?」

「いや……なんとなくだが、幸運のエネルギーがわかる……気がする」

「ハァッ……!?」

『今、なんと言いましたか!?』


 蓮華が驚愕に目を見開くと同時に、横から割り込んできたのはアテナだった。

 浮かび上がるビジョンに映し出された彼女の表情は、かなり険しい。


『幸運のエネルギーを感じ取った……そう言ったのですか?』

「お前の気のせいじゃねーのか? 人間が幸運のエネルギーを、運気を感じ取れるなんてあり得ねー」

「気のせいと言われると、マジでなんとなくって感じだから否定できないんだが……」


 やっぱ気のせいなんかな? なんかそんな気がしてきた……と俺が納得しかけたその時。


『いえ……』


 俺と蓮華の会話を聞いたアテナが首を振る。


『あり得ないこともないです』

「どーいうことだよ?」

『わかりませんか? 貴方のせいですよ、蓮華?』

「アタシの? ……まさか」

『そのまさかです。貴方とのパーフェクトリンクとやらのせいで、歌麿の魂が変質しつつあるのです』

「……ッ!?」


 刃物のように険しく鋭いアテナの眼差しに、蓮華が胸を貫かれたように後ずさった。

 俺の魂が、変質している……?


『歌麿、初めて会った時に言ったことを覚えていますか?』

「初めて会った時……? 人間とカードの魂の格がどうとか、そう言う話のことか?」

『そうです。あの時、妾は貴方に液体の浸透圧に例えて説明しましたね?』

「ああ……浸透圧の違いにより、俺の魂のエネルギー的なモノが少しずつだが蓮華側に移動してしまうって話だろ?」

『ええ、普通であれば魂のエネルギーを失えば当然肉体の方に影響が出て、病や急激な老化などの不具合がでるはずなのですが、貴方はそれをアムリタで強引に癒すことで乗り切ってきた。いわば、失った液体をアムリタという神の液体で補填し続けてきた形です。……貴方がパーフェクトリンクと呼んでいるその業(わざ)、だんだん負担が少なくなってきているのでは?』

「あ、ああ……てっきり鍛錬の成果かと」

『もちろんそれもあるでしょう。ですが、最大の要因は別にあります』


 それは、つまり……。

 アテナは、俺をまっすぐと見つめ、まるで罪を断罪するように、言った。


『つまり……貴方は、徐々に人間ではなくなりつつあるということです』




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 マジでクオリティーの高い作画となっているので、どうかよろしくお願いします!

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