第72話 生きがい

そんな彼女が修復者になったのは、

今の会社に入社して、ちょうど半年が経過した頃だった。


「それじゃあ、これから宜しくね。志穂ちゃん」


懐中時計との契約が完了すると、嬉しそうに水樹がこちらを見ていた。


事前に彼女から修復者の活動についての説明があったが、

お金を稼ぐことも、誰かを助けることも自分にとってはどうでもいい話だった。


ありきたりな日常から脱却し、非日常を体験できるんじゃないか…

そう思ったから修復者になっただけで、要するにだ。


「それじゃあ、私はこれで失礼します! 

 扉の気配を感じるので試しに行ってみようかと」


「もう少しお話したかったんだけど、扉の件じゃ仕方ないか。

 でも、一人で大丈夫? 最初は誰かと一緒の方がいいと思うけど」


「大丈夫です! 誰かと一緒の方が逆に気を遣ってしまいそうなので」


「そっか。それじゃあ、少しだけ待っててもらえる? 

 そんなに時間は取らせないから」


隣に座っていた水樹がカウンターに戻り、

パソコンのような端末を操作し始めたと思ったら、

机の上に置いてあったスマホがメールを受信する。


送り主を確認すると水樹からだった。


彼女の方へ視線を向けると、

「中身を確認してみて」と言われたので、本文に目を通す。


そこには扉の出現場所、難易度の情報が記載してあった。


「志穂ちゃんが向かおうとしている扉の情報だから、

 事前に共有しておこうと思ってね。

 実は扉自体は、昨日出現したものなんだ」


「ありがとうございます! これが組織から送られてくる情報ってやつですね。

 でも、扉の中の情報まで詳細に記載してあるとは思いませんでした。

 まるで誰かが先に入って確認したかのような…」


メールの本文には、扉の中の世界の天気、気温から始まり、周囲の地形、

怪物の攻撃パターンに至るまで、詳細な情報が記載してあった。


「ああー、そうだね。

 志穂ちゃんの認識通り、組織から送られる情報は最低限のものなんだけど、

 今回の扉の中の情報については、情報屋みたいな人がいるから、

 その人のおかげかな」


「情報屋……ですか?」


「うん。もしかしたら、今後志穂ちゃんもその人に会うことがあるかもしれないね」


ここまで詳細な情報があれば、扉の修復までできそうな気がするが、

情報屋の人が修復しない理由がきっとあるのだろう。


「私が見た限りだと、初心者の人でも修復できるレベルの扉だと思うから、

 志穂ちゃんも問題なく対応できるんじゃないかな」


「そうですね。どうなるかはやってみないと分かりませんが、

 この情報があれば何とかなると思います!」


「もし、危ないと感じたら無理せず逃げるように。そこだけは忘れないでね」


「わかりました! 色々とお気遣い頂き、ありがとうございます」

頭を下げて水樹にお礼を言うと、そのままアタルデセルを後にした。


結論から言うと、藤堂志穂の初めての扉の修復は滞りなく完了した。


事前に回答が分かっているテストを受けたかのような、

そんな気持ちになるくらい扉の情報は正確で、とんとん拍子に事が進んだ。


そして、彼女が何より嬉しかったのは、

自分が期待していた通りの非日常を体験することができたということだった。


怪物の攻撃を避け、相手の身体に自分の得物を切り刻む感触…

それは実界では絶対に味わえない経験だ。


恍惚とした表情を浮かべた女性が、崩壊する異界の中で一人立ち尽くす。


『ただの暇つぶし』

最初はそう思っていたが、今後、修復者としての活動が、

日頃のストレスを発散する生きがいになるなんて、

その時は微塵も思ってもいなかった。

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