第3話 同僚

「実は、近いうちに会社を辞めようと思ってる」


まるで今思いついたかのような口振りで話し始めた北大路の言葉に、

一瞬理解が追い付かなかった。


「つまらない冗談はやめてくれ。まだ酒は飲んでないだろ」


知る人ぞ知るバーのような店に連れてこられたと思ったら、

開口一番にそんな言葉を聞かされるとは思ってもいなかった。


「冗談か……。

 そりゃあ、いきなり辞めるなんて言われたら、そういう反応にもなるよな」


自分に言い聞かせるように北大路が呟いた。


ふと、北大路の目に視線を向ける。

覚悟の決まった人間がする目を知っている火月は、彼が本気であることを悟った。


「仕事内容か?それとも人間関係?」


辞める理由について問いただす。


「……いや、どちらでもない」


静かな店内に流れるピアノのBGMが、

思考する時間を稼いでくれているような気がした。


「……親の介護か?」


「当たらずといえども遠からずってとこだな」


北大路が小さく息を吐き終えると、

仕事を辞める考えに至った経緯をゆっくりと話し始めた。


実家が地元で有名な老舗の旅館であること、

両親が高齢で北大路に家業を継いで欲しいと考えていること、

数日前に父親が倒れて入院していること。


話を聞いていく内に自分が北大路のプライベートについて、

ほとんど何も知らないことに気がついた。


「今までは家業なんて絶対に継ぎたくないって思っていたんだ。

 小さい頃から毎日忙しそうにしている親を見ていたし、

 休みという休みなんてほとんどなかったと思う。

 当時は家族の時間を犠牲にしてまで仕事をする親が不思議でならなかったよ。

 自分よりも仕事が大事なんだと悟った子供が、

 家業に憎しみを覚えるのは不思議なことじゃないだろ?

 家業さえ無ければ自分が最優先になるって思い込んでいるんだからな」


北大路が一度話を止めて、姿勢を正す。


「だから、親の敷いたレールの上を歩きたくなかったんだ。

 俺は親みたいには絶対になりたくない、

 自分だけの力で生きれることを証明してやるって思い続けて今の会社に就職した。

 まぁ、仕事を始めてからは、ようやく親の苦労が少し理解できた気がするよ。

 今にして思えば親の心子知らずってやつさ」


「……そうか」


既に両親がいない火月にとって、

家族の話は馴染みの薄いものだったが、

北大路の真面目な口振りからその真剣さが窺えた。


「そんな自分の考えが変わり始めたのは、働き始めてから数年が経った頃だ。

 実家を離れても盆と正月の年二回は必ず顔を見せるようにしていたんだが、

 年を重ねる毎に父親の背中がどんどん小さく見えてきてな。

 昔はもっと大きい身体で、尚且つ寡黙な人だったから怖い印象だったのに、

 今じゃ仕事の話から日常生活に至るまで細かく聞いてくるんだよ。

 あまりにも昔のイメージとギャップがあってさ、

 本当に同じ人間なのかと疑ったね。

 ……ただ、それは俺の勘違いだったのかもしれないって思い始めたんだ」


「……勘違い?」


「ああ……。きっと父親は昔から何も変わっていなくて、

 俺の思い込みが本来の父親を見ようとしていなかったんじゃないかって。

 確かに口下手な部分はあったかもしれない。

 けど、それでも何とかコミュニケーションをとろうとしてくれていた気がする。

 俺がただ、意地になって拒絶していただけなんだ」


「社内でもコミュニケーション能力がズバ抜けているお前を見ていると、

 にわかには信じられない話だな」


「お世辞でもそう言ってもらえると嬉しいよ」


北大路が小さく笑う。


「だから家業についても拒絶するんじゃなくて、

 まずは知ることが大事なんじゃないかって考えに変わってきたんだ。

 今までずっと目を逸らしてきたが、

 ちゃんと向き合ってから結論を出しても遅くはないだろうって。

 そんなことを考えていたら父親が倒れたって連絡があってさ。

 軽い貧血だから心配しなくていいって母親から言われてはいたんだけど、

 その時に、もう残された時間は少ないかもしれないって思ったんだよ。

 同じ失敗を繰り返さないために自分が今できることは行動を起こすことだろ?」


「それで仕事を辞めることにした……と」


「そうだ」


店内には他の客もチラホラいたはずだが、

一瞬自分たち以外は誰もいないかのような錯覚を覚えた。


話をしている最中に店員が運んできた烏龍茶を一口飲んで、

ゆっくりとテーブルに置く。


「正直、俺が言えることは何もない。

 辞める理由が明確に理解できたからな。

 何か気の利いたことでも言えれば良かったんだが」


「今更何を気にしているんだよ」


緊張の糸が切れたかのように北大路の表情が和らいだ。


「俺がお前に伝えておきたかったから話をしただけだ。

 賛成も反対も求めちゃいないよ。決意表明みたいなもんさ。

 それに、お前が誰かに助言するなんてキャラじゃないだろ?」


「……違いない。仕事は直ぐにでも辞めるのか?」


「いや、流石に今の案件を放り出すような中途半端な真似はできない。

 後二ヶ月くらいで決まりがつくだろうから、その辺で辞めるつもり」


「それは有難い。北大路が今抜けたら炎上し始めるかもしれないからな」


「残した仕事が炎上したら辞めた後もずっと後悔しそうだ。

 炎上させないためにも、お前には最後まで協力してもらうから覚悟しとけ」


「……ああ」


グラスに残った烏龍茶を一気に飲み干した火月は、

追加の注文をするため店員に声をかけた。



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