100.愛しているなら触れて欲しいの(最終話)
夜半までかかったお産の影響で、私達の準備が何もできなかった。でも不満はないわ。ドレスを脱いで、ナイトドレスに着替える。エルマとアンネが肌を磨いてくれた。ヴィルが待つ寝室へ入り、恥ずかしさに立ち尽くす。
前世の記憶は当てにならない。だって愛する人と抱き合うのは初めてだもの。真っ赤になった私をそっと抱き寄せ、ベッドに並んで座る。俯きそうになるたび、頑張って顔を上げた。顎に手をかけたヴィルが、銀色の隻眼を柔らかく細める。近づいた彼を見詰める焦点がぼやけて、目を閉じた。
触れた唇の柔らかさが、啄む動きに変わる。誘うように唇を緩めた。唇を舐めた舌が私の舌を追いかける。絡めて、吸い上げられて、じんと腰の奥が痺れた。
「ヴィル、愛してる、わ」
キスの合間に告白した私を、ヴィルは「僕も愛してる」と抱き締めた。倒れ込んだベッドの上で、シーツを乱してもつれ合う。彼の背を必死に抱いて、黒髪をくしゃくしゃにかき回し、自分でも聞いたことがない嬌声が溢れた。胸に触れた彼の手が優しくて、腰を引き寄せる動きに身をくねらせる。
何度交わったのか、彼をどれだけ呼んだのか。覚えているのは、ただただ……幸せだったこと。温かく優しく、雄々しい腕に包まれて……意識は途絶えた。
「ねえ、起きて」
あの日から、幾度肌を重ねたかしら。求められた幸せを示すように怠い体を起こし、隣で眠る夫の肩を揺らす。
「ん、おはよう。僕のローザ」
せっかく起きたのに、彼に抱き寄せられベッドに逆戻り。ちゅっと音を立てて口付ける仕草に、夜の匂いはない。くすくす笑いながら、あの日のセリフを口にした。
「愛しているから触れて欲しいの」
「触れさせてくれ、愛してるよ……ローザ」
確かめるように口にしたのは、初夜のベッドで囁いた言葉。愛されたいから、触れて欲しいと願った。熱った体で抱き合いながら囁いた言葉が懐かしい。今もあの日と何も変わらず、私はヴィルを愛している。そのことが擽ったくて嬉しかった。
「忘れたの? 今日はフィリーネと約束した日よ」
愛娘フィリーネは3歳、一緒にピクニックに行く約束をしたのは数日前だ。将来はウーリヒ王国の王太子妃に望まれる子だが、ヴィルにそんなつもりはない。友人の子が不満なのではなく、単に「まだ早い」と父親特有の我が侭を振り翳していた。
「そうだ! 早く起きないと」
陽が差し込んだ部屋の中、私はナイトドレスを拾ってローブを羽織った。続き部屋になっている自室への扉を開け、微笑む。
「後でね、あなた」
食堂で待っていると答えた夫に頷き、部屋のベルを鳴らす。控えていたアンネとエルマが手早く着替えの支度をしてくれた。肌をさっとお湯で流し、踝の見えるワンピースを用意してもらう。ピクニックに向かうなら、裾を引きずるドレスは邪魔だもの。
「おかあさま、おはようございましゅ」
最後だけ失敗したけれど、可愛い一人娘フィリーネの挨拶を褒める。
「おはよう、フィーネ。とても立派なご挨拶だったわ」
嬉しそうに駆け寄った娘を受け止めると、彼女はいつもと違う仕草をした。抱き着いたまま背伸びをして、私のお腹に触れる。ぎりぎりなので、屈んでみた。すると嬉しそうに腹部へ手を当てる。ゆっくり撫でて笑った。
「ふぃーねは、おねえちゃんになる」
宣言されたことに驚く私の後ろで、エルマがふふっと笑った。
「幼子の予言は当たるそうです」
「そうなの?」
驚いたわ。確かにここ数日胸焼けがするのよ。もしかしたらと思っていたけど……嬉しくて頬が緩む。気が早いと前置きしながらも、アンネがお祝いを口にした。
まだ膨らみもないお腹を撫でて、愛娘と手を繋ぐ。ピクニックの時間を少し遅らせて、お医者様を呼ばなくては。ヴィルは喜んでくれるかしら。幸せに満ちた家の中を歩きながら、何も不安はない。私は愛し愛されている――だから愛の分だけ触れてください。私はあなたの妻ですもの。
安心して生まれていいのよ、愛して抱き締めるわ。エーレンフリート、あなたなのでしょう? 触れた腹から返事はない。それでも、あの子の声が聞こえた気がした。
The END……
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本編終了です。外伝の希望があれば書いてみたいと思います。こんな話が読みたいとコメントください。ここまでお付き合いありがとうございました(o´-ω-)o)ペコッ
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