64.左手の薬指に光る指輪
すっと立ち上がったヴィルが、足を踏み出す。大公という肩書きに相応しい、洗練された動きだった。椅子に腰掛けた私の手前で手を差し伸べる。素直に受けて立ち上がった。
片膝をついて微笑むヴィル。見下ろす形で彼の笑顔を覗き込み、頬が赤くなるのを感じた。すごく素敵だわ。盛装した男性が私の前に膝を突くなんて、前世を含めても初めてだった。いま口を開いたら、奇妙な声が出そう。片手でそっと唇の手前に当てがった。綺麗に塗られた口紅を避けて、緩んだ唇を隠す。
「アウエンミュラー侯爵ローザリンデ嬢、僕の妻になってください」
ぽんと飛び出した花束を受け取る。これ、どこから出したの? 後ろで精霊がぺろっと舌を出して笑った。どうやら彼が隠していたみたい。驚きながら受け取った私は、歪んだ視界で頷いた。
「泣かないで、ローザ」
「嬉しい、の……だけど」
涙が止まらないわ。ぽろぽろと頬を伝う涙を、ヴィルの指背が受け止める。それでも止まらなくて、取り出されたハンカチで目を覆った。鼻を啜る音が聞こえちゃうし、涙で目は腫れたでしょう。なんてことなの、綺麗な私を見て欲しくて着飾ったのに。
「了承してくれる?」
困ったように尋ねるヴィルに、まだちゃんと答えていないことに気づいた。慌てて頷く。大きく頷いて、もう一度頭を縦に振った。
「はい、もちろん。私でいいなら嬉しいわ、本当に……嬉しい」
ありがとうとか、大好きなんて言葉が溢れた。でも愛してるはまだ使えない。婚約じゃなくて、結婚式の時に言いたかった。特別な言葉だもの。
泣きながら笑って、でもやっぱり涙が止まらなくて。もう食事どころではなかった。執事のベルントがヴィルへ箱を差し出す。宝石類が収納されるビロードの箱だわ。……これって、もしかして? でも指輪にしては大きい箱ね。
「ありがとう、僕の未来の妻にこれを付けて欲しい」
ベルントが開いた箱は、驚くほど眩しかった。というか、なぜヴィルまで驚いてるの?
「ベルント、これ……」
「こちらが旦那様がご用意された指輪です。受け取りの際に、この指輪によく似合う首飾りと耳飾りを見つけましたので」
一揃えご用意しました。ということは、ヴィルも知らなかった? ふふっ、おかしくなって笑った私を見ながら、ヴィルも吹き出す。いまいち締まらないけど、このくらいがいい。
私の左手の薬指に、ヴィルが指輪を嵌めてくれた。少しだけ大きくて、サイズを直してもらわないといけないわ。でもヴィルは気づいてないみたい。だからベルントに向けて小さく首を横に振った。後であなたに預けるから直しておいてね。
目配せでの指示は伝わったようで、私は嵌めてもらった指輪に唇を当てた。この指に指輪を嵌める、その意味は婚姻と同じ。私はヴィルの花嫁になれるのね。レオナルドと結婚した前世で感じなかった胸の高鳴りで、苦しいくらい。
「大切にするよ、ローザ。愛している」
「私もよ」
口付けは長く、心地よく、甘かった。結局また泣き出してしまい、腕によりをかけて用意してもらった夕食は夜食に変わった。それでも残ってしまって、使用人にお裾分けして……朝に再調理して出してもらった。謝ったけど、料理長は「坊ちゃんにも春が」と感激して聞いてなかったわ。使用人にも愛されてるなんて、ヴィルは素敵な人ね。この人のお嫁さんになれるなんて、本当に幸せです。
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