51.なんて都合がいいのかしら

「ローザ、もっと早く救ってあげたかった」


 後悔の滲むヴィルの震える声に、私は微笑んで彼の頬に口付けた。膝の上に座り、首に手を回した状況は距離が近くて、すぐに唇が触れる。さすがに唇同士はまずいけど、頬だから平気よね。


「ありがとう、ヴィル」


 礼を言った私に、父が喚き散らした。


「貴様っ、育てた恩を忘れ……」


「育てられた覚えなんてないわ! 喜んで、縁を切って差し上げます。元お父様」


 絶縁を言い渡した。私の強気な態度に一瞬飲まれるも、すぐにまた喚く。貴族を自称するなら、少なくとも伯爵家の次男として教育を受けたなら、こんな真似がどれだけ見苦しいか……わかりそうなものなのに。


「貴様が家族だったことは、一度も……っ!」


「アルノルト」


 遮ったヴィルの声は低く、騎士アルノルトはすぐに動いた。まるで事前に打ち合わせていたかのよう。これが大公閣下の護衛を任されるほどの騎士なのね。騎士は厳しい訓練や礼儀作法を学んだ貴族家の次男三男が多いけど、その中でもトップクラスだわ。執事みたいに先回りして主君の短い命令に応えるのは、見事だった。


 父が足を掬われて転がり、その上に剣先が突きつけられる。ひっ! と息を呑んで短い悲鳴を上げた男に、眉を寄せた。かつて、あの男の手が振りかざされるたび、怯えて謝ったわ。何が悪いか関係なく、ただ謝るの……殴られたくなかった。


 あの頃の私に教えてあげたい。この男はこの程度のクズで、傷つく必要も父だと認識する必要もなかったのよ。一人ずつ、家族が減るたびに心が軽くなる。重荷が落ちていくようで、嬉しかった。私の肩を抱き寄せるヴィルに寄り添う。この人と生きていくと決めたから、過去の汚点は切り捨てなくちゃね。


「汚い口を開くな。我が婚約者は未来の大公妃だ。そのローザに対し、貴様などと呼ぶ権利はない。この男を投獄しろ。アウエンミュラー侯爵家を簒奪した罪だ。他にも余罪があるから、すべて拾え」


「はっ」


 アルノルトが了承の返答をした直後、王宮の騎士が駆け寄って、弟達も一緒に連れ去る。これで目の前にいた家族ごっこの出演者は消えた。ほっとして肩の力を抜いたら、頬擦りされてしまったわ。化粧品が付いてしまうわよ? くすくす笑った私の耳に、捨て台詞が届いた。


「っ! アウエンミュラー侯爵を名乗る証拠をっ! 女のお前が継げるはずが……っ」


 そこで扉が閉まる。汚い叫び声も暴れる物音もすべて、分厚い扉に遮断された。他の貴族達は少しの間静まり返り、今の一連の騒動について噂話を始める。その中には、元父が最後に叫んだ部分に言及する人もいた。


 本当に、なんて都合がいいのかしら。


「国王陛下、並びに王妃殿下のご入場です」


 侍従のよく通る声に、人々は礼を尽くして迎える。座っている者は立ち上がり、男性は胸に手を当てて敵意がないことと敬意を示す。女性はスカートを摘んで跪礼を行った。


 その広間で、ヴィルは私を抱き締めたまま。長椅子から立ち上がろうとしない。彼がそうするなら理由があるはずよね。無礼を承知で覚悟を決めて、私はヴィルの肩に頬を寄せ力を抜いた。

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