第407話 愛を拒む
スラムで、逃げる姉を追いながら、スールは『これに何の意味があるのか』という事を考えていた。
「スールおじさ~ん! そっちに逃げたよ!」
「はい。では」
スールは炎の剣を掲げる。父と兄、二人を踊り食いで飲み込んで、さらに強く巨大になった炎の剣を。
そして、振るう。
それだけで、周囲の廃墟が一掃される。焼けこげ、炭化し、それが何であろうと地面に降り積もる灰に変わる。
そして、その中に、彼らは居た。
クライナーツィルクスと名乗る三人の魔人たち。そして、どこで三人と出会ったのか、行動を共にするスールの姉、シリーナ。
姉シリーナを食い殺せば、スールは本来の姿、スルトへと戻る。
だがスールは思うのだ。それに、一体どれだけの意味があるのか、と。
「虚しい」
呟きながらも、スールは動く。
それが望まれているから。ローロの、ロキの言う事に逆らおうとは思わなかったから。
「スール! もう、こんなことやめて!」
シリーナが叫ぶ。スールは答えるまでもなく、ただ剣を振るった。
「くっ」
シリーナもまた、炎の剣を振るう。だが、出力はスールの方がずっと大きい。
だから剣戟がぶつかった際も、弾き飛ばされるのはシリーナのそればかりで、スールは何だか、弱い者いじめをしているような気分になる。
元々、家族に弱い者いじめにされていたのは、自分だったはずなのに。
「……」
沈黙。スールは黙したまま、一歩前に出る。前に出ながら、剣を振りかぶる。
シリーナが、叫んだ。
「逃げろッ! 全員で逃げるのは無理だ! お前らだけでも逃げろぉッ!」
シリーナの叫びを受けて、「ごめん! ここは任せたよ!」とキリエたちは逃げ出していく。
それを見て、ローロたちがスールに集まってきた。
「ん~、どうする~? シリーナおばさんを叩くだけなら、全員で掛かる必要ないよね~?」
「ローロ、ならここはいっそ、スールさんに任せないか? スールさんだけ居ればいいだろ、この状況」
「まぁシリーナおばさん食べる必要があるの、スールおじさんだけだしね~」
軽い調子でローロたちは相談している。ムングは「完全に取り逃がすのも面倒って奴じゃねぇですかい。少なくとも、一人は追った方がいい」と現実志向だ。
走り去っていくクライナーツィルクス。剣を構え、決死の覚悟でこちらに向かう姉シリーナ。一方、追い詰めるこちらの緊迫感のなさは何だ。
それで、スールはふと尋ねていた。
「あの……本当に、踊り食いをせねばなりませんか?」
「え?」
スールの問いに、ローロはキョトンとしてこちらを見る。
シリーナも、同様だ。まばたきをして、じっとスールに見入っている。
スールはそれに、ふとした思い付きなのに、こんなに注目が集まるのは嫌ですね、なんてことを思いながら、渋い顔で続けた。
「いえ、何というか……ワタシはこの戦いに、そこまで価値を見出していなくて。ワタシが
動機がない。それを、迂遠な形でスールは伝える。
ニブルヘイムの案内人を務めていた時には、動機があった。父を倒す。克服する。そうして、己の人生に打たれた楔を抜き放つ。
だが、今のスールにはそれがない。姉は、疎ましい家族の一人ではあったが、苦しめて殺すほどなのか、という思いがある。
だから、ヘルとの再会の場では、この身に湧き上がる懐かしさに混ざりはしたが、それとてスールではなくスルトのもの。
この場に、自分が、こうして力を振るっていることが、スール自身不思議でならないのだ。
「……スールおじさん」
それに、ローロがスルトに近づいてくる。スールは、「はい」と言いながら、腰を曲げて小柄なローロの視線に合わせる。
「ごめんね~? スールおじさん、結構疲れてたから、ローロちゃんと説明できてなかったよね。何で、ローロたちがこんなことするのかって」
「……ウェイド様たちを殺して、強制的に家族にしよう、という話ではなかったのですか?」
「いや~、ま~、それはそうなんだけど~」
多少照れの混じったニヤケ顔になって、ローロは視線を右往左往させる。
それから、ローロには珍しい困り顔になって、スールの耳に口を寄せた。
そうして、囁く。
「―――――」
「……―――」
スールは、ポカンとローロを見る。ローロは苦笑して「何とかできるなら、頑張りたいから」と言う。
「それは、確かに、ですが、……いえ」
スールは、首を振る。それから、シリーナに向かい、言った。
「そうですね。ならば、四の五の言っても仕方ない。ここはワタシにお任せを。皆さんは、三人を追ってください」
「うん、ありがと~! じゃ、行こ、みんな」
「ああ」「おうよ」
ローロが駆け出し、レンニル、ムングの二人が追従する。
それにシリーナは、邪魔をしようと剣を振るったが、スールが阻止した。
シリーナの炎の剣を、スールの剣が叩き落とし、姉弟でにらみ合う。
「……! スール……!」
「……」
姉、シリーナ。兄と共に、出来ない弟である自分を虐げた一人。恨みがないとは言わない。元々は、倒すべき相手として考えていた。
しかし、それは父の植え付けられた幻想だった。父が悪い。そしてその父はもうスールが食った。
だから、姉とスールの間には、もう何もない。ただ、状況が敵対せざるを得ないというだけで。
「お姉さま」
だから、スールは言う。
「失礼ながら、踊り食いに、させていただきます。もはやお姉さまに恨みも何もないのですが、状況が状況であると、お考え下さい」
「……スール……」
シリーナは、スールの言葉に何を思ったか、剣を消した。それから、手を広げて、抱きとめる準備のような体勢になる。
そして、言うのだ。
「愛してる」
「……はい?」
スールは、眉をひそめる。だが、シリーナは止まらない。
「あなたを、愛してる。本当は、守ってあげたかった。お父様の嘘のことも分かっていた。けど、お兄様はお父様の言いなり。私があなたを庇えば、それをお父様に告げ口する」
スールは、シリーナの言葉の意図が分かって、ブルブルと震えだす。
「……すべて、知っていたのですか。知っていて、あんな風に」
「ごめんなさい。仕方なかったの。機を窺っていた。いずれお父様、お兄様の隙を突いて、あなたと共に逃げるつもりだった」
でも、とシリーナはくしゃり顔をゆがめる。
「あなたは、私の考えるよりも、ずっと強い子だった。たった一人で逃げ出してしまった。残されたのは私の方。私は、それ以来お父様の支配下で生きてきた」
シリーナは、震える唇で続ける。
「責める気はないわ。だって、私も同じことをしたもの。助けたいと思いながら、何もできなかった。だから、私がお父様から受けた仕打ちは、あなたを助けられなかった罰」
「……ってください、お姉様」
「でも、もうお父様はいないわ。あの、ロキの分け身のことも、放っておきましょう? こうして、隙を突いて二人きりになれたのですもの。この機を逃すわけには」
「黙ってください。それ以上、聞きたくない」
「あの三人を助けたのは、この機会を逃さないため。あなたと二人で話すには、これしかないと思ったの。ねぇ、これからでも遅くないわ。家族仲良く、一緒に」
「―――黙れッ!!!!!」
スールは限界がきて、炎の剣を地面に叩きつけ叫んだ。
周囲で、激しく炎柱が上がる。父と兄を食って強化されたスールの魔術。それにシリーナは息を飲んで、震えながら縮こまる。
だがそれでも、シリーナは話し続けた。
「ご、ごめんなさい。そうよね、ゆ、許せないわよね。でも、本当に、本心なの。私は家族で、スール、あなただけを愛してた」
シリーナは、一歩スールに近づく。スールは激しく睨みつけるが、シリーナは止まらない。
「助けられなくて、ごめんなさい。勇気が出なくて、ごめんなさい。あなたはきっと、あの時本当に求めていたのは確実な助けなんかじゃなかった。一緒に支え合う家族が必要だったのに」
「黙れッ! それ以上近づくな! それ以上近づけば、殺しますよ。必ず、殺します!」
それに、シリーナは震え、立ち止まった。スールを見る彼女の瞳は、恐怖に染まっている。
なのに、何故か、決して逸らすことはない。
「私に、必要だったのは、勇気」
シリーナは、全身を恐怖で塗りつぶされていた。大きく震え、涙さえこぼして、気を抜けばその場にうずくまってしまいそうなほど恐怖していた。
なのに、その足は、進んだ。恐怖を乗り越えてでも、スールに近づこうとして。
「自分が死んでもいいという、勇気。辛くても、苦しくても、それでも寄り添う、勇気。それが、私にはなかった。でも、今は違う。もう、同じ失敗はしない」
一歩、二歩と、シリーナはスールに近づいてくる。近づいてくるたびに、スールの脳裏に過去の記憶がフラッシュバックする。
父に何度も何度も殺された記憶。兄に、姉に、粗末に扱われた記憶。
家に居場所はなかった。辛いだけの場所だった。それを、今になって、こんな風に。
「シリーナ、お姉様」
スールは、剣を振りかぶる。
「もう、遅いですよ」
そして、無防備なシリーナに叩きつけた。
「―――――ぁぁぁぁぁあああああああああ!」
シリーナの悲鳴が上がる。魔王軍大将を勤め上げた一家の炎を受けて、姉シリーナが燃え上がる。
「スールっ、スールぅっ、ごめんなさい! ごめんなさい! 熱いッ! ごめんなさいぃ!」
シリーナは、炎上しながらスールへと駆けてくる。だがその全身には力が入らず、スールの目の前で地面に倒れこむ。
そんな姉に、スールは言うのだ。
「遅いです。何もかも。今更あなたが、そんな風に思っていたなんて知りたくなかった。ただ、ただのスールであるときに言ってくれれば。だって、お姉様」
スールはその場に膝をつき、胸を掻き抱く。
「ワタシの中には、お父様も、お兄様もいるのですよ。あなたの言葉を聞いて、僅かでも救われるスールの気持ちよりも、お姉様を裏切りものとなじる心の方が、大きいのです」
分け身同士の踊り食いは、食ったものの主人格が保たれる。だが、同化する以上、影響は皆無ではいられない。
スールは、姉を燃え上がらせる火を消す。全身やけどを負って動けなくなった姉に触れる。
「熱い……! スール、熱いの……! ごめんなさい……! 私が、私が、勇気を持てなかったせいで、ごめんなさい……!」
「もう、良いです。静かに、していてください、お姉様。もはやワタシは、魔王軍将軍家という文脈で生きておりません。ローロ様の、ロキ様の願いを、叶えるためにいるのです」
「スール……!」
シリーナは、痛むだろう全身を動かして、スールを見上げる。そのわずかな動き一つで、炭化した肌が大きく剥がれ、血が流れる。
そしてシリーナは、言うのだ。
「愛し、てる」
「……ワタシは、そうでもなかったです、お姉様」
焼け爛れた肌に触れる。適当に、二の腕あたりから口にする。焼けた分、父や兄よりは食べやすい。そんな感想を抱きながら、スールは自嘲した。
「分け身同士で家族だなんて、なんて愚かで、バカバカしい」
スールは、シリーナを食らう。シリーナが度々死力を尽くして「愛してる」と言うのも、すべて無慈悲に聞き流して。
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