第405話 あなたはわたし
アイスは、馬に乗って遠ざかっていくヘルを見つめながら、自らのミスに口を引き結んでいた。
「あの時、足なり何なりを突いて、拘束しておけばよかった、のに」
自らの不注意が恨めしい。そう思いながら、アイスはヘルの後ろ姿から、一つ学びを得た。
「―――馬って、そう動かすん、だ」
アイスは何度かまばたきをする。まばたきをして、覚える。理解する。
そして、真似る。
「アイスクリエイト」
アイスの足元に、氷馬を出現させる。見たままに動かし、アイスはヘルを追って走り出す。
狭い道だ。城内なのだから当然だ。しかしヘルが通った場所は、ヘルの意のままに広がって走ることができる。
だからアイスは、氷馬の速度を上げる。パカラッパカラッ、と馬を駆り、ヘルを逃がさないように懸命に走り抜ける。
「―――ッ、ついてこないでくださいッ!」
「それは、出来ない相談、です……っ!」
氷の矢めいた攻撃が、前方のヘルから放たれるが、そのすべてをアイスの氷鳥が破壊していく。この程度の叩き落とし程度なら、氷鳥は賢いから、してしまえる。
ヘルは城を操って、地面から、壁から、つららを出現させる。だが氷馬は多少砕けてもすぐに再生し、アイスはコールドアーマーでそれを防ぐ。
「なら、これでどうですか!」
「この程度ッ!」
前方に急遽出現する落とし穴。だが、二度も同じ手に嵌るアイスではない。氷馬に翼を生やし、単なる馬では飛び越えられない大穴も飛び越えさせる。
「くっ、しつこいお人……っ! あなたのような人に好かれた方は、きっと迷惑しているでしょうね!」
「あなたのように、何百年と家族を待ち続けた人に言われたく、ない、です!」
「失礼な! 何千年、何万年です!」
言葉を応酬し、攻撃を応酬する。そうしながら、アイスは考えていた。
ここに、さらに氷兵を遣わせられれば、勝ちは近い。だが城内を強引に道にしてヘルが逃げる以上、その隙間はほとんどないに等しく、やはりアイスが直接追うしかない。
アイスが欲しいのは、突破口だ。
ヘル。死者の国の女王。ニブルヘイムで、繰り返し夢見た神、魔王。半死半生の存在。
妬ましい、と言っていた。つまり、感情を向けられている。強い感情を。それは、格上の神を下す足掛かりになる。
それに。
「ヘルはまだ、手を隠し、てる……。油断は、できない……っ」
アイスが思い浮かべるのは、ウェイドとサンドラの奇襲を回避した、瞬間移動。
あの二人は速度も世界最速に迫りつつある。今ヘルが逃げているのを見るに、ただ速度で上回ったとは到底思えない。
思うに、この時が止まる支配領域とは別に、時間を停止させる術がある。つまりは、アイスにも通じる時間停止の魔術が。
そして、それが不用意に使われれば、アイスは負ける。
「――――ここで負けるのは、絶対に、ダメ……ッ」
アイスが負けたら、ウェイドも負けることになる。そんなことは、決して、決してアイスには認められない。
だから追う。氷馬の動きを真似て、真似て、その真髄を盗み出し、そして、刻む。
「これで、どう……?」
氷馬の動きが、アイスの管理下から離れる。つまりは、氷兵や氷鳥に施したのと同じ対応。氷馬の頭の中にルーンを刻み、自律行動させる。
果たして、それで氷馬の動きが安定した。アイスの意に従って、氷馬はさらに強く速く駆ける。アイスはその分、追いかけるヘルへの対応に意識を避けるようになる。
だが、そういった対処のために使った時間は。
ヘルの側でも、上手く使われる。
「こう、ですか?」
「っ」
ヘルの手の内で、氷鳥が模られる。チチッと鳴く氷鳥を、ヘルは氷馬を駆りながらそっと撫で、言う。
「鳥。良いですね。デビルアイも似た機能がありますが、鳥にはデビルアイにないものがあります」
ヘルの氷鳥が「チ」と飛び上がる。アイスは強烈な危機感に戦慄する。
ヘルは、笑った。
「こういうのを、バードストライク、というのでしたか?」
氷鳥が、すさまじい勢いでアイスの頬を掠めた。アイスの頬から血が垂れる。直後、背後から、ズドン! と背筋の凍るような音が響く。
「自由が利き、その分狙いが正確で、しかも重量がありますから矢よりも威力がある。さらに視界共有もできるのですもの。とてもいいモチーフです」
アイスは、侮っていた、と自覚する。自分が敵をまねて成長できるのだ。相手だって当然、同じことをしてくるに決まっている。
と同時に、相手が加えてきた改良もまた、アイスの糧となる。アイスは目をぎらつかせながら、唇を強く引き結ぶ。
作り出すは、鳥。
「猿真似はダメですよ」
ヘルの放つバードストライクに、アイスの氷鳥が砕かれる。氷鳥を生み出す速度は、アイスとヘルでまったく同じ。
逆に、存在する差があるとすれば、それは速度の問題だ。アイスが飛ばす氷鳥は、後追いの形になる。逆にヘルは、常に後ろに放つだけ。
慣性で考えれば差はないかもしれないが、そこは鳥。より空気抵抗に悩まされるのは、アイスになる。
アイスとヘルは、ほとんど同スペックだ。神の近くまで深く刻まれた魔法印と、神から魔王に堕したヘルの差。ただし、追う追われるの関係と、城という地の利がヘルにある。
どうする。そう思いながら、アイスは直撃を避けるために、氷鳥を作り続ける。そうしながら考えを深め、思いついた。
「これなら、行ける」
作り出すは盾。それで数発の、ヘルによるバードストライクを弾く。
その裏で、アイスは氷鳥を二匹作り出した。一匹だけ飛ばしても、ヘルに潰される。だから、潰されないためのもう一匹が要る。
だが、それで当ててもたかが一撃。キレイに当てればヘルを殺せるかもしれないが、ただ殺しても復活させてしまうだけ。それに意味は、あまりない。
「なら」
だから、突破した一匹に、ヘルを素通りさせる。氷馬よりも氷鳥の方が速い。だからさらに先まで飛ばし、増殖させ。
「フロック・オブ・バードストライク。……アイデア、ありがとうござい、ます」
方向転換した無数の氷鳥たちが、まるで槍衾のように、ヘルをバードストライクで襲撃する。
「なぁッ!」
落馬。ヘルの落馬を受けて、アイスもまた氷馬に速度を落とさせる。
だが、降りることはしない。アイスは自らを直接戦力に数えない。だから徹底して、リスクを避ける。
呼び出すは氷兵。それを三体。氷兵は鋭い動きでヘルを再び肉薄し、襲いに掛かる。
「これで終わりです……っ、女王ヘル」
ここまで追い詰めれば、直接戦うタイプの実力者でも、跳ね返すのは難しくなる。それが、ヘルは遠隔系の非直接戦闘の魔術師。抗えるわけがない。
氷兵の穂先が、ヘルに迫る。直接向かう者、右から、左から襲い掛かる者。三方向から、決してヘルを逃さないという陣形が瞬時に組まれ――――
「危なかった、です」
アイスは、腹部に熱を抱く。
「本当に、危なかった、です。あと、一秒。一秒早ければ、わたしはこの奥の手を―――時間凍結の魔術を使えず、敗北していました」
アイスは、見る。腹部に刺さるそれを。
氷槍。アイスが氷兵と同時に生み出したもの。それは氷兵から奪われ、ヘル自身の手で、アイスの腹部を穿っている。
やられた、とアイスは思う。警戒していたはずなのに、そのために氷兵に任せて近づかなかったのに、突破された。
「アイス様、あなたは、本当に強い使い手でした。あなたのような魔法の使い手が、わたしの魔法印から生まれたことを嬉しく思います。……ですから」
ヘルは、安堵と共に、告げる。
「是非、別の神話圏の地獄に、行ってください。あなたがこのニブルヘイムに現れれば、わたしはきっと、嫉妬であなたを八つ裂きにしてしまう。ですからどうか、別の地獄へ」
槍が抜かれる。アイスの体から、力が抜ける。燃えるような痛みに、耐えきれず落馬する。
呼吸が、辛い。腹部は信じられないほど熱いのに、それ以外の体の部位が凍えてしまいそうなほど冷たい。
死ぬ。アイスは思う。死んでしまう。このまま。負ける。ウェイドの負けも、アイスの敗北で確定する。
警戒していたのに。でも、どうやって躱せば良かった。分からない。答えが出ない。考えがまとまらない。熱い。寒い。辛い。
「ぅ、うぅ……!」
アイスは、呻くことしかできない。涙がこぼれる。震えながら強く歯を食いしばり、腹部に手を当て。
凍らせる。傷をふさぐ。
アイスは、ウェイドに捧げる愛だけで立ち上がる。
幸いにして、ヘルは油断していた。つい先ほど、ヘルに対して勝ちを確信したアイス同様に。
だから、隙だらけだった。隙だらけの背後。そこに、アイスは。
歯を、立てる。
「―――――ッ!? なぁっ、やめ、やめてください!」
振り払われる。アイスは瀕死で、簡単にそれで倒れこむ。
だが、執念が違う。アイスは氷兵を繰り出す。自律しているからこそ、氷兵は怯まない。二体の氷兵が素早く動き、ヘルの体を刺し貫いて、壁に拘束する。
「痛いッ! 痛いぃぃっ!」
ヘルが叫ぶ。それに、アイスは地面を這いずって進む。
血を流しながらも、その失われた部位を氷で埋めて、内臓が冷気に壊死してしまいそうな思いをしながら、這う。
「ひぃっ、やめ、やめて。やめてぇっ!」
ヘルは膝で立って壁に縋りつき、城を変化させることで逃れようとした。しかし氷兵にひっくり返され、正面から四肢を貫かれ、壁に縫い付けられて悲鳴を上げる。
その姿は、まるで、十字架に磔にされたかのよう。
「いたいぃ……! ダメ、です。集中でき、ない。魔術が、使え、ない……!」
そして、この場に助けは来ない。
この支配領域はそういう場所。誰もが凍りつく
アイスは、言う。
「わたし、思うん、です……。あなたは、わたし。わたしは、あなた。生まれ変わりなくらい、似てるって、そんな風に」
「な……何を、言って、いるのです……? やめ、やめてください……。こわい……! わ、わたしの負けで構いませんから、もう、ゆるして……」
「嫉妬深いのも、そう。わたしだって、本当はトキシィちゃんにも、サンドラちゃんにも、ウェイドくんは渡したくなかった。でも、わたし一人じゃ、ウェイドくんを幸せにできない。それが分かったから、だから、本当は嫌だったけど、仕方なくて」
アイスは、ヘルの喉元に手を掛ける。ヘルは苦しそうに顔をゆがめ、「いやです……! やめ、やめて、くださ……」ともがく。
「それでも、わたしは、ウェイドくんに、幸せになってほしい。わたしが、ウェイドくんの隣で、こんなに幸せになれたんだよって、お返し、したい。でも、それは難しくって、手立てなんて選んでいられなくて、だから」
アイスは、再び、ヘルの喉元に歯を立てる。
首の肉を噛み千切り、咀嚼し、その鉄臭さにえずきながら、飲み下す。
「いたいっ、いたいぃっ! やめて、やめてください。アイス様、お願いですから。わたしを食べないでください。何で、何でこんなことをす―――」
そこで、ヘルは顔色を失う。蒼白になった顔で、自らの気づきに「まさ、か……」とアイスを見る。
血に汚れた口を拭って、アイスはヘルを見下ろした。
「あなたは、わたしです。世界が、それを認めました」
「踊り、食い……っ」
―――アイスが元々決めていたプラン。神殺しに唯一失敗したアイスの、起死回生の策。
それは、魔王ヘルを食い殺すことで、その権能を丸ごと簒奪するというものだった。それしかきっと、アイスに、ウェイドパーティに残る手段は存在していなかった。
「わたしは、あなたと同じ、です」
アイスはボロボロの体でヘルの肉を貪りながら、言葉を紡ぐ。
「普通にしていたら、役立たずもいいところ。みんなの帰りを、待つことしかできない。でも、わたしは、そんなのは嫌。ウェイドくんの帰りを、ハラハラしながら、泣き暮らして待つなんて、絶対に、嫌」
だからアイスは、手を選ばない。
ぐちゃ、ぐちゃ、と音を立てながら、アイスは磔になったヘルを食らう。ヘルはそうされながら、不思議なくらい何も抵抗できずに、ただ懇願するばかり。
「助けて、助けてください。やだ。いや。わたし、わたしは、わたしでいたいです。あなたにのみこまれたくない、いや」
だが、アイスは魔人ではない。踊り食いなど想定された体ではない。だからゆっくりと、長い時間をかけて、必死にヘルの体を胃袋に詰め込んでいく。
だがそうしている間も、ヘルにはずっと意識があって。
「ごめんなさい。ごめんなさい。わたしは、わたしは悪いことをしました。でも、こんな、こんなひどい目に遭わせなくたって。だって、ラグナロクはすでに決まっていて、だから、たくさんの人が死んでも、わたしは。せめて、あの方たちの手で。この人では、なくて」
長い時間をかけて、懇願は贖罪へと変わり。
「神よ、ああ、違う、神は、わたしで、だから、違う―――」
―――主よ。
「主よ。創造主よ。この世界を、造りたもうた、神ならぬ人よ。信仰に見返りをもたらさず、ただ祝福をもたらす、主よ」
そして贖罪は、祈りへと変わる。
「主よ、憐れみ、たま、え」
アイスは、意識を度々落としながら、執念でヘルの体を食らい続ける。
血を。肉を。骨を。
その、すべてを。
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