第404話 魔王ヘル

 アイスが召喚した氷兵にまず命じたのは、味方全員の救出だった。


 氷兵は素早く動き、アイスの背後の凍り付いた味方を抱えあげ、即時に窓から離脱していく。


 そのまま支配領域の外へ―――というのが目標だったが、それは難しいようだった。氷兵は薄膜のように張られた氷のドームに阻まれ、出られない旨をアピールする。


「仲間思いなのですね。良いことです」


 それに、ヘルはただ眺めていた。と言っても、時間に直して数秒もしない短時間。


「では、その心意気を買い、一対一での勝負と行きましょうか」


 パンッ、と一度、ヘルは手を叩く。


 同時にアイスの立っていた床がすっぽりと抜け、大穴ができた。


「えっ」


「あら、気付いてらっしゃいませんでしたか。実はこの城、わたしの権能で作ったものなのですよ」


 ―――虚を突かれた。そう思いながら、アイスは落下する。


 だが、そのまま死ぬほど、アイスも柔ではない。すぐさま氷鳥と氷槍を作り出し、鳥の滑空と槍を壁に打ち込むことで、どうにか落下の勢いを殺しきる。


「ふー……っ」


 それから、アイスは下を見た。そこには、定番の逆さ槍床。落ちたら死んでいた、とアイスは思う。


 そう。今のアイスは、生身での参戦となる。サーカス観光の時とは違い、狙いがあったために、生身で戦場に赴いた。


 だから、死ねば死ぬ。死んでもダミーでした、とはいかない。


 だが同時に、一つ目の狙い通りに、ヘルの支配領域を破って戦うことができている。最初の賭けには勝った、ということだ。


「うふふっ、柔らかな印象ですのに、意外に動けますね」


「……コールドアーマー」


 アイスは、ヘルに見下ろされつつも、脱出のために魔法を使う。


 一つは、取り付いた壁に氷のナイフで刻むルーン文字。意味するは『爆発』。


 同時に、その爆発から自身を守るために、近づくモノすべてを凍り付かせ停止させる冷気の鎧をまとう。


 ルーンをなぞる。爆破。アイスの思惑通り罠の横に穴が開く。アイスはそこに飛び込んで、罠からの脱出を図った。


「行ってしまいました……。うふふっ、楽しいですね。知恵比べの始まりです」


 頭上からそう聞こえると同時、ヘルの気配が消える。アイスはわずかな安堵を覚えつつ、身をよじって着地した。


 そこは、ヘルの居城一階、玄関の大広間のようだった。アイスは警戒と共に歩き、様子を窺う。


 すると、どこからともなくヘルの声が聞こえだした。


『そういえば、あなた様のお名前を窺っておりませんでしたね。お名前は何とおっしゃいますか?』


「……アイス、です」


『そうですか、アイス様ですね。では、手合わせのほどよろしくお願いいたします。もう何百年と戦闘をしていませんので、お胸を借りさせていただきますね』


 何を白々しい、とアイスは警戒を強める。


 まずは、とヘルは言った。


『まずは、少し勘を取り戻すために、前座を用意いたします。―――わたしの可愛い番犬、ガルムを放ちました。きっとニオイを辿って、すぐにアイス様の下へ参ります』


 その言葉を聞いてすぐ、アイスは強烈な敵意を感じ取った。周囲に氷兵を十数体作り出し、警戒態勢を構築する。


『やんちゃですが、かわいい子ですから、ぜひ遊び相手になってあげてください』


 直後、それは襲い来た。


 それは、巨大な犬だった。狼にも似た姿の、見上げるほどの巨躯の犬。首輪をつけ、しかし鎖にはつながれずに、駆け寄ってくる。


「槍衾!」


 アイスの号令に従って、氷兵は陣形を取る。長槍を構えて隙間なく敷き詰め、どのように襲い掛かってきても撃退できるように。


 それに番犬ガルムは、構わず飛び掛かった。


 無数の氷槍に貫かれながらも、番犬ガルムは強引に防御を突破した。一体一体が防御にコールドアーマーを纏っていても、その冷気を貫いて爪を振るう。


 氷兵たちが砕け散る。ガルムの爪は凍り付きボロボロになりつつも、確かに氷兵たちを砕いて見せた。


 猛獣。アイスは思う。知略を超えて暴力を振るう、猛獣だ。


 再び氷兵を用意し、構えさせる。そうしながらも、ヘルが横やりを入れてこないかを注意する。


『ふぅん……。面白いですね。氷の兵はわたしも使いますが、何だかわたしの使い方と違います。どうやっているのでしょう』


 ヘルは、観戦に集中しているらしい。それはそれで嫌だ、と思うアイスだ。それはつまり、手の内を無用に晒しているのと同義。


 まだ、手の内は隠せるだけ隠しておいた方がいい。でなければ、ヘルとの勝負で不利になる。


 だが同時に、このガルムは、アイスにとって非常に厄介な敵となる。特に、生身でこの場に赴いている今は。


「……考えなきゃ」


 アイスは考える。どうこの場を突破するか。どうヘルに勝ちに行くかを。










 ヘルは、アイスの戦いを楽しく鑑賞していた。


「うふふっ、すごいですね。動けるのは兵士ばかりと思っていましたが、なるほど、これは本人がそもそも動けるみたいです。でも、一人ではガルムには勝てないくらい」


 ちょうどいい実力差だ、と眺めていて思う。恐らく、アイスはギリギリでガルムに勝つだろう。そしてそれは、ヘルが間違えば一撃で叩き潰してしまうほどのもの。


 それではつまらない。何十年、何百年と、とても久しぶりの戦闘なのだ。せっかくの機会なのだから、楽しまなければ。


 ヘルは、娯楽に飢えていた。何故か。それは、魔王城の保護塔が、ヘルにとっては檻だったからだ。


 無論、あの保護塔はヘルが構築させたもの。


 だが、そもそもヘルはこの通り、時間停止効果を持つ支配領域の使い手だ。本来ならば、魔王城の保護など不要なのである。


 それが、このように頑強すぎる保護を構築したのは、たった一つの理由が故。


 召喚勇者、ユウヤ・ヒビキ。奴の襲撃により、多くの魔王が倒れ消えていったがためである。


 魔王も魔人。純粋な体ならば、死んだ程度ではびくともしない。それが無数に敗北し、消えていった。


 ヘルは、それに怯えたのだ。だから保護塔を作り、自らも出られないほどに強固な檻の中に縮こまった。


 それから数十年。すべての情報を遮断していたヘルに、家族が集まり、敵が前に現れた。それは、ヘルにとって垂涎ものの刺激となった。


 だから、アイスと番犬ガルムの戦いを、ただ楽しむ目的で、ヘルはじっと見入っていた。目を瞑り、氷で作ったデビルアイ――――蝙蝠の羽を付けた巨大な瞳による視界共有を受けて、観戦に興じた。


「すごい、すごいですね。ガルムもとっても強いのに、人間の身でここまで抗うのですか。ああ、出来ることなら、家族みんなで見たかったです」


 と、そこまで言って、ヘルは思う。


「……でもアイス様は、お父様が、家族になりたいと思うほど、大切な方々の一人……」


 じり……と、ヘルの心の底で、嫉妬心が火を上げる。


「……わたしは、ずっとお父様の言う通りにしておりましたのに。お父様は、外で楽しく、新しい家族だなんて……」


 歯噛みする。楽しく見ていたのに、何だか嫌な気持ちになってくる。なるべく痛めつけられて欲しい、という気持ちが鎌首をもたげてくる。


「お父様の望むことなら、何だってします。でも、わたしだって、嫉妬の一つもしてしまいます……」


 念すら込めて、じっと戦いに見入る。負けろ、負けてしまえ、と祈りながら、自分の生き写しのようにそっくりな姿の少女を見る。


 見て、見て、見て。


 不意に、気付いた。


「……アレ? この光景、先ほどわたし、見ませんでしたか……?」


 何かが変だ。そう思う。だが、ただの偶然ではと疑う気持ちがある。


 しかし、やはり、何か既視感があるのだ。先ほどと同じ戦法。先ほどの同じ動き。ガルムさえ同じ動きで襲い掛かり、そして撃退される。


 ヘルは、命じる。


「デビルアイ、移動なさい」


 氷のデビルアイが動けば、視界が変わる。光景が変化する。


 だが、視界に映る戦闘の景色は変わらない。


 ヘルは、確信した。


「やられました」


「聞こ、えた……ッ」


 爆音。同時にヘルの待機していた自室の壁が、爆風と共に崩れ落ちる。


 攻め込んでくるは複数の氷兵たち。彼らは瞬時にヘルに距離を詰め、その槍先を首につきつけてくる。


 そして、その奥から、風に巻き上がる雪霧をかき分け、アイスが現れる。


「……何を、しましたか」


 ヘルの問いに、アイスは答えた。


「ガルムと呼ばれたあの大きな犬……、あの犬が支配領域で平然と動いているのが気になりました」


 これ、ですよね。そう言いながら、アイスはガルムの首輪を取り出してくる。


「これが、支配領域内でもガルムが動けた理由。だから外して無力化、しました」


「ならば、わたしが見ていた、あの戦いの光景は何なのですか! どうやってあんなことを」


「アレは、もっと簡単、です。会話が成り立つ以上、あの戦いをどこかで見聞きしている。だからその魔獣を見つけ出して、ルーン文字で介入、しました」


「……っ!」


 凄腕。ヘルは、ただ舌を巻くしかない。


 完全に手玉に取られた。手玉に取ったと勘違いさせられた裏で、徹底的に追い込まれていた。


 感心する。人間とは、やはり恐ろしい種族であると。神よりもずっと弱いのに、様々な技術で神や精霊、その他様々なモノから力を引き出して、神すら下してしまう。


 魔人とは違う。生きているからこそ、死んでも復活できないがゆえに、可能性に満ちている。成長、老衰、そして死を内包した、限られた生だからこそ。


「……妬ましい」


「……今、何て言いました、か……?」


 妬ましい。ヘルは歯を食いしばる。


 生まれながらの完全な生。ヘルが持ち合わせなかったもの。人間というだけで、完全な生を持ち合わせて生まれてくる。


 だというのに、この者は何だ。


 ただでさえヘルの持ち合わせないモノを持ちながら、何故ヘルの家族まで奪おうとする。たった一人で、悠久の時を待ち続けたヘルはどうなる。


 嫉妬。嫉妬が、ヘルの中で渦巻く。ドロドロと淀んだ心が、熱を持ち、冷たい冷気を、殺意を纏い。


 ヘルは膨れ上がる感情を爆発させるように、魔術を放つ。


「ッ!」


 ヘルは、氷で作り出した馬に乗り上げた。その衝撃で、ヘルを追い詰めていた氷兵たちが、まとめて吹き飛んでいく。


「あなたなんかに」


 ぐい、とヘルは手綱を引く。


「あなたなんかに、何も奪わせません……!」


 突進。ヘルを乗せた氷馬が、アイス目がけて突進する。


「ッ」


 だが、アイスはそれを危なげなく躱した。傍に控えさせていた氷兵をぶつけて氷馬の勢いを殺し、その隙に氷馬の横に潜り込む。


 突き出されるは氷槍。アイスの手から放たれたそれを、ヘルは躱し、そのまま氷馬で駆け抜ける。


「許しません。あなたにだけは、絶対に……!」


 ヘルは魔術でさらに複雑に城の形を変化させながら、どこまでも氷馬で駆けていく。


 この者は殺す。他の者どもも殺す。殺して、魔人になったのを捕まえて、分けて、このニブルヘイムで悠久の時をさ迷わせてやる。

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