第402話 魔王謁見
魔王城の外壁を乗り越えた時には、元魔人奴隷たちがゲラゲラと哄笑を上げていた。
「おっ! これはこれはご主人様、いや、元ご主人様ですかね?」
「解放済みだから元だな。お前ら何やってんの?」
「魔王軍ムカつくんで、全員で頑張ってしばいてました!」
魔人がアゴで示した先には、無数の魔王軍と思しき魔人たちが、拘束されて積み上げられている。
直後、キィィイイン、と魔王城周辺の、保護塔四塔の一つから、保護解除の魔力波が放たれた。それに、魔人が「おっ、最後のも来たか」と笑う。
「最後の?」
「ええ。魔王軍ボコったついでに塔を開放しといたら、ご主人様驚くんじゃね? って」
「ぷっ、はははははっ! マジかお前ら。やるなぁ」
「俺らなりの、恩返しじゃないですけどね。楽しかったんで、最後までついてった方が楽しいだろうってな具合です」
実際楽しかったし、な! と言いながら、転がる魔王軍兵の腹部に、元奴隷魔人は蹴りを入れる。
「うげぇっ! が、やめ……くれ……」
「やだよバ―――――カ! お前らが適当に牢にぶち込んだ奴が同じ事言った時、お前らはやめたか? え? ギャハハハハハ!」
元奴隷魔人は、何度も何度も魔王軍兵に蹴りを入れる。
復讐。その名を借りた嗜虐行為。魔人たちの日常。俺は、元奴隷魔人の肩を叩く。
「じゃあ、もう魔王城に入れるのか?」
「おらぁっ! ふー……はい! そろそろ入れそうだと思いますよ。こっちっす!」
俺たちは案内を受けて、魔王城の正面扉に向かう。
そこには、ガラスのような薄張りの障壁が存在していた。
触れて、思う。ただの障壁ではない。抗破壊概念障壁。破れるとさえ思わせない精神汚染。単純に物理的な強度の高さ。そして破壊を意識させない忘却効果。
その残り香めいたものが、障壁からどんどんと消えていくのが分かった。すべて。すべての保護塔の保護を解除されて、障壁が消えていく。
俺は、少し力を込めた。
それで、魔王城を守る障壁が完全に破壊された。パリィィイイイン! という音と共に障壁がバラバラ砕け、落ちる端から消えていく。
思う。とうとう。とうとうだ。やっと俺たちは、このニブルヘイムの本丸。魔王ヘルと対面する。
「よし、入ろう」
俺は城壁に手を掛ける。最後の砦とばかりにひどく重い門だったが、腕力と重力魔法で押し開いた。
外気よりも冷たい風が、城の中から吹きすさぶ。
「うぉぉ、寒っ」
俺たちもニブルヘイムにいて長い。ある程度の寒さには慣れたつもりだったが、そんな俺たちも堪えるほど、魔王城内部は寒かった。
唯一例外がいるとすれば、たった一人。
「……綺麗」
アイスが、うっとりとした様子で、魔王城へと足を踏み入れる。
言われてから見れば、魔王城内部は、確かに煌びやかな造りをしていた。
ガラスや鏡、クリスタルがふんだんに使われた空間だった。全体的に白や銀を基調とした調度品が並び、玄関すぐの大広間にはクリスタルのシャンデリアが吊るされている。
まるで氷の城だ。そう思いながら、俺は寒さに体を縮こまらせながらも侵入する。
俺たちに侵入に、反応するものは何もなかった。侵入者など想定されていない造りなのか、あるいは保護塔を破ってくる者には、何しても無駄と考えたか。
奥へと、進む。
俺たちは揃って正面の大階段を上がり、道なりに進んで最奥の扉に辿り着いた。一度振り返り、みんなと目配せしあってから、俺は扉を開く。
キシ……、と古びた扉の音。
開いた先は、謁見の間のようだった。
変わらず氷で出来ているのかと錯覚しそうな、白銀の意匠。ひどく広く、調度品に溢れ、たくさんの窓で光を取り入れた部屋。
そこは謁見の間らしく、中央に絨毯が敷かれ、最奥には玉座に座った女性がいた。
「魔王ヘルだな」
呼びかけながら、俺は前に歩き出す。みんなも、ぞろぞろと俺についてくる。
「俺たちは、お前がラグナロクを起こし、世界を破滅させると聞き、お前を排除するためにやってきた」
距離を詰める。長い絨毯を進み、いざとなれば切り結べる程度まで近づく。
ヘルは、玉座につきながら俯いていた。大きさは通常の人間大で、真っ白な髪はアイスを思わせる。
特徴的なのは、下半身だ。
長いスカートを履いてはいたものの、僅かにはみ出た素足が青ざめたような色になっている。これだけ寒い部屋にあってなお、この距離だと鼻につく腐敗臭が香った。
半死半生の死の女王ヘル。上半身は生き、下半身は死んでいる。それが神話に伝わるヘルの姿だ。そして、目の前の、魔王に出したヘルも。
そう思いながら見つめていると、ヘルはそこで、やっと顔を上げた。
俺は、俺たちはハッとする。
ヘルの顔は、想像を絶するほどに、アイスにそっくりだった。だからとっさに、ほとんど全員がアイスを見た。
泰然としていたのは、アイスだけだった。アイスだけが、この状況を知っていたかのように、じっとヘルを見つめていた。
魔王ヘルが、口を開く。
「ああ……この日を、この日をずっと、お待ちしておりました」
言って、ポロポロと涙を流し出す。状況が読めないのは俺たちだ。ヘルが泣く理由、待っていたという理由。そのすべてが分からない。
いや―――あるいは。
分からない、振りをしようとしていたのか。
「ヘル、大げさすぎ~! でも、気持ちは同じだよ。また会えて嬉しいな。久しぶり、ヘル」
俺たちの間からすり抜けるように、前に歩み出るものが四人。
レンニル、ムング、スール。
そして、ローロ。
ローロを先頭にした四人が、ヘルに集まって、そっとヘルとハグを交わす。
「ああ……! 本当に、本当に皆様なのですね……! お父様、フェンリルお兄様、ヨルムンガンドお兄様、それに、スルト様まで……!」
「久しぶりだな、ヘル。この姿でも、すぐに分かってくれたか」
「はい……! フェンリルお兄様。皆様お姿は変わられましたけれど、それでも、この魂が家族と認めています……!」
「あーっと、悪いな。まだその、記憶がよ。でも、何となくは分かるぜ。アンタ自分の妹なんだろ」
「はい、ヨルムンガンドお兄様。ああ、なるほど。まだ揃ってないのですね。ヨルムンガンドお兄様だけじゃなく、皆さま全員……」
「お久しぶりです、ヘル様。ワタシとは、さして接したことはないでしょうが」
「いいえ、スルト様。よくよく覚えております。まだ家族が分かたれる前のこと。わたしたちをあやしてくれた、優しいおじさまのことを」
まるで、ずっと離れ離れだった家族が、再会したような光景だった。俺たちは全員取り残されたようにポカンとそれを見つめているばかり。
「っていうか~、ヘル~? この姿見て、お父様はないでしょ~!」
「え、だ、だってお父様はお父様ですし……」
「今のローロは女の子だも~ん。好きな人もいるも~ん!」
「身内のこういう話結構きついよな」
「自分はまぁ、まだ実感ないんで可愛いもんだなと思いますがね」
「お兄ちゃん聞こえてるんですけど~!」
和気あいあいと身内話を繰り広げるローロたち。
しばらくそうしてから、くるりと魔人たちが振り返る。
「まぁ、だから、そういうことなんだよね~」
ローロが、悪戯っぽい目で、俺に言う。俺は渋い顔で、ローロを睨む。
「……ロキ、か」
「そ~そ~! ローロは実は、ラグナロクの首魁、ロキなのでした~! にひひっ♡ びっくりした? ご主人様~♡」
「……びっくりしたよ。一度言われたからって、この光景を見るまでは、信じられなかった」
強さの欠片も持ち合わせない、徹底的に地獄で弄ばれるだけの少女魔人。それが俺の知るローロだ。それが変わったのは、つい昨日の夜から。
俺は、警戒と共にローロを睨む。魔王ヘルが、ローロに問う。
「それで、お父様……こうして揃って集まったのは、やはり、そうなのですか?」
言葉に滲むのは、躊躇いと悲しみ。ヘルは続ける。
「まだ、お父様は、神々への復讐を求めておいでですか? 私たち家族を引き裂いた神々に、今度こそ、この運命から解き放たれた世界で、復讐を」
俺たちの視線がローロに集まる。ローロは、言った。
「えっ!? しないよ今更~! 復讐したいだなんてそんな根暗なこと誰が言ったの~? も~! ヘルったら人聞き悪いって~!」
「えっ」
ヘルがキョトンと声を上げる。俺たちもポカンとローロを見つめる。
えっ、絶対そういう流れだと思ったのに。神々への復讐でラグナロクを起こしてやる! 何おうさせるか! って戦闘が始まる流れだと思ったのに。
「えっ、だ、だってお父様。前回のラグナロクでの別れ際、復讐をって」
「あ~……? 言った、かも……? でも~、ほら、だってさ~? ローロ、この地獄で、無力な超絶美少女で何百年もさ迷ってたんだよ~?」
皮肉っぽく、あるいは諦観もこめて、ローロは自嘲する。
「復讐だなんて言ったら、ローロはこの世界を完膚なきまでに滅ぼさなきゃならなくなっちゃうでしょ? ここまできたら、もう全部許しちゃうしかないって~」
沈黙。ローロはあくまでも優しく、「でしょ? ラブ&ピース♡ って奴~?」とふざけている。
俺は仲間内で目配せする。クレイは肩を竦め、トキシィは微妙な顔で首を傾げ、サンドラは何か停止している。
「ええと、じゃあ、何だ」
俺はローロに問う。
「ラグナロクが起きないってことか? ローロは復讐せず、再会できた家族で仲良くやっていく……みたいな」
俺が渋い顔で頭を掻きながら聞くと、ローロは明るく言った。
「ううん♡ ラグナロクは起こすよ、ご主人様~♡」
「は?」
場に緊張が戻ってくる。ローロから、鋭い殺意のようなものが感じられるようになる。
「……そりゃ、何で」
「だって~♡ ローロね~♡ ご主人様のこと、大好きになっちゃったんだも~ん♡」
答えになっていない。俺が不可解さに睨みつけると、「にひひっ♡」とローロは悪戯っぽく笑う。
「このまま家族再会できてめでたしめでたし、だったら~、ご主人様たち、地上に帰っちゃうでしょ~? だからダメ~♡ そうさせな~い!」
「は……?」
「もちろん、ご主人様だけじゃないよ~? アイス様のことも好きだし、他のみんなのことも好き♡ お兄ちゃんたちもそうでしょ? だから~」
ローロは、笑いながら目を細めて、僅かに首を傾げる。
「ご主人様は殺す。アイス様も、みんなみんな殺す。逃げられたら嫌だからラグナロクも起こす。ご主人様たちは、ローロたちをどうにかしないと地上には帰れない」
ゾク、と俺の背筋に怖気が走る。ローロの口は止まらない。
「死んだらみんな魔人だもんね♡ 地上に帰る理由はなくなって~このニブルヘイムで楽しく生きることになる」
そうしたら。ローロは、満面の笑みで言った。
「そうしたら、みんなで一緒に、家族になろ~♡ 残酷な運命をぶっ壊して。ね~♡」
「……ローロ、お前……」
俺は、目を剥いて臨戦態勢になる。
ローロはただ、静かに不敵に、微笑んでいた。
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