後章4・ラグナロク

第401話 魔王城へ

 アイスはその日も夢を見ていた。


 それは、世界の終わりだった。アイスは―――ヘルは死者の爪で出来た空飛ぶ船、ナグルファルに乗り込んで、滅びゆくすべてを眺めていた。


 死者の国ニブルヘイムから旅立ち、人間の国ミッドガルドを燃え上がらせ、神々の国アースガルズを焼き落とす。


 そんな目論見と共に出立した船は、今、最終決戦に臨もうとしていた。


『ほら、見てみるんだ、ヘル。彼方に立ち上がる、あの巨大な姿を』


 共に船に乗り込んだ父、ロキは語る。


『彼がスルトだ。小さな頃に会ったのを覚えているかな? 彼が、このラグナロクの最後を担う者。我らが復讐をなしえた後、世界を焼き滅ぼす者』


 父ロキが指さす先。そこには、山と並ぶような真っ黒な巨人が立ち上がっていた。


 スルト。世界を亡ぼす火の巨人。恐ろしくも頼もしい味方。いつかどこかで、ヘルに温かく接してくれた人。


 ヘルは、ほろりと涙をこぼしながら問う。


『お父様……、どうして、このような結末になってしまったのでしょう。何故わたしたちは、世界を滅ぼさなければならないのでしょう。わたしたちは、ただ、幸せに……』


 そう言いかけたヘルの口を、父ロキはそっと人差し指で塞ぐ。


 そして、言うのだ。


『……避けられえぬ運命、といえば簡単だけれど、結局はみな、恨みを忘れられないモノさ』


 ロキは優しくあやすように、ヘルを撫でながら続ける。


『予言で、我ら家族が世界を滅ぼすとされたとき、すべての神々が我ら家族を引き裂いた。だから、思い知らさねばならないんだよ。お前らこそが、この破滅を招いたのだと』


 ―――でなければ、復讐を終えた先でなければ、到底幸せにはなれないだろう?


 ロキの語りに、ヘルは首を横に振って縋り付く。


『でも、だって、それでフェンリルお兄様も、ヨルムンガンドお兄様も……』


『ああ。愛しい我が子らは、すでにたおれた。そして次はこのロキの番だ。ヘイムダルとぶつかり、そして相打ちとなって斃れることだろう』


 それを聞き、ヘルは泣き崩れる。ロキはそんなヘルを支えて、言う。


『そこからだ。そこからのすべてを、ヘルに託したい。きっとすべては滅びゆく運命にある。だが、滅んだ先にも、魂はきっと不滅だ』


『どういう、ことなのですか……?』


『お前には、治めるべき国があるじゃないか。すべての祝福されぬ魂が辿り着く、ニブルヘイムという国が』


『……!』


 理解が追い付き、ヘルは顔を上げた。ロキは、ヘルにそっと微笑んで告げる。


『我らは滅びる。滅び、魂すら砕かれ、ニブルヘイムに散り散りになることだろう。だがきっと、いつか、本当の姿を取り戻す。その時、ヘルの下に集まろう』


 言って、ロキはヘルを抱きしめる。


『だからその時まで、我らを待っていてくれるかい?』


 ヘルは、頷く。


『はい……! お父様。いつか、その時まで、わたしはずっと、ずっと、お父様を、お兄様方も、スルト様も、他のあらゆる巨人の皆様をも、お待ちしております……!』


『……ありがとう。では、行ってくるよ』


 ロキは、船ナグルファルから、外を見下ろした。


 そこには、チャリオットに乗り込んだ神、ヘイムダルが空を飛び迫り来ていた。『ロキぃぃぃいいいいいいい!』と叫びながら、一心不乱にこちらに迫っている。


『運命は、避けられない。そこまでが、創造主によって描かれた物語だから』


 でも。そう言いながら、ロキは船のへりに足を掛ける。


『そこから先に、創造主の脚本はない。創造主の居た世界の神話とやらは、この滅びと共に完結する。そこから先は、運命の鎖なき、自由な世界だ』


 ロキは、飛び降りる。最期に、ヘルにこう告げて。


『自由な世界で、また会おう。今度こそ、我らの真の復讐のために』


 ロキが落ちていく。眼下で、宙を駆けるヘイムダルと激突する。


 船ナグルファルは、方向を変える。ロキを戦場に運ぶという役割を終え、最後の役目、ヘルを無事ニブルヘイムへと送り届けるために。


 ヘルは、手を合わせただ祈る。どうかいつの日か、また家族が相まみえんことを。


 そうしてから、不意に気付いて、自嘲した。


『……何に、祈るというのでしょう。神は、わたしであるというのに』











 その日の目覚めは、実に晴れやかだった。


 前準備のすべて済ませた、魔王城侵攻の日。俺は予定通りに起床し、予定通りみんなと朝食を取った。


 朝食の雰囲気はとても良かった。パーティメンバーも活力に満ちていて、師匠二人も大詰めにやる気を出し、魔人たちも祭りのような雰囲気で。


 それから俺たちは、それぞれ荷物を背負って宿を出た。そこには、十数名の魔人たちが、俺たちのことを出待ちしていた。


「ご主人様、昨日は解放どうもっした」


 好戦的、あるいは挑戦的に、戦闘の魔人が俺に言う。


「今日で、すべてが終わるんでしょ? だから昨日、俺たち魔人奴隷全員を解放した。後は好きにしろ、と。だから、好きにさせてもらいますわ」


 その言葉と同時、出待ち魔人全員が、武器を構える。


「最後なんで、思いっきり反逆させてもらいます。――――野郎どもッ! 行くぞぉぁぁあああ!」


 魔人たちが、こぞって武器を振りかぶり、魔術を発動しながら挑みかかってくる。


 それに、俺たちは眉一つ動かさない。ただ俺ばかりが、微笑みと共にこう言った。


「オブジェクトウェイトアップ」


 魔人たちの全員が、正面に沈む。


「がぁぁあっ」「げぇっ」「ぐが」「あでぇええっ」


 俺はつぶれた魔人に近づき、しゃがんで問いかける。


「ま、こんなもんだ。満足できたか?」


「は、はは……! いや、相手にならないとは思って、ましたがね……! ここまで、手も足も出ない、とは……!」


 潰れ、苦しそうにしながら、魔人は笑う。


「ええ、満足、ですわ……! 魔王殺し、楽しんできてくださいよ……!」


「ああ、お前らも楽しめよ」


 加重を解除し、魔人たちを開放する。奴らは脇にはけ、腰を折った。


「ご武運を!」『ご武運を!』


「おう。お前らも武運がありますように、ってな」


 俺たちは歩き出す。魔王城へ向けて、まっすぐに。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る