第400話 最後のピースは揃わない
その夜、キリエは泣きはらしていた。
「リーダー、そろそろ話してよ。何があったの?」
獣人少女のリィルに言われて、しかしキリエは首を横に振った。それに、リィルは「困ったなぁ……」と嘆息する。
「そういうな、リィル。リーダーがこんなに落ち込む姿を見たことがあるか? 相当深刻なんだろう」
「って言うけどさ~」
二人揃って、どうやら懊悩しているらしい。だが、キリエの心には響かない。
――――あの後、キリエは命からがら逃げだしていた。
大蛇に拘束されながらも、どうにか体をじりじりと動かし、やっとのことで魔術を起動して……といった具合だ。
キリエの魔術は強い。
父の支配領域と、対になる魔術なのだ。だから、上手く発動させできれば、あんな窮地でも逃げ出すだけならばできた。
だが、それ以上は無理だった。荒れた心で扱うには向かない魔術だ。キリエは、逃げるので精いっぱいだった。
「うぅ……パパ……! パパぁ……!」
それ以来ずっと、ずっとキリエの脳内には、父キエロを貪り食ったローロの姿ばかりが繰り返されている。
殺してやりたい。食い殺してやりたい。だが、キリエは父には敵わない。ローロは父を食い殺した以上、父と同等以上の力を持っている。
となれば、キリエにできることは泣き寝入りしかないのだった。それでキリエは、一日中ベッドの中で泣きはらしている。
「……だが、このまま放っておくわけにもいかんか」
頬に鱗の巨人、ガンドはそんなことを言った。それから、キリエの部屋に入ってくる。
「リーダー、失礼する」
「……? わっ、やっ」
ガンドは何を思ったか、キリエを肩に担ぎあげた。キリエは暴れるが、泣き続けていて力が入らない。
「なっ、なにすんのー! はーなーしーてー!」
「よし、リィル。金貨袋は持ったか。このままリーダー共々飲み屋に行って、このうじうじリーダーに酒をぶち込む。
「ガンドはお酒好きだねぇ。いいよ! いっくら慰めても機嫌直さないリーダーが悪い!」
「やーめーてーよー!」
ガンドに担がれて、キリエは家を出た。
クライナーツィルクスは三人でサーカスの一角に住んでいる。家族のように仲のいい三人なのだ。
しばらく暴れたがどうにもならず、キリエはもう、されるがままにガンドに担がれていた。ガンドはのっしのっしと歩きながら、リィルと雑談を交わしている。
「もー……好きにして……」
キリエは脱力して、ぼーっと前方を眺めた。どうにもならないので、もはや諦めたのだ。
サーカスは団長を失って、再び歓楽街という言葉が似つかわしい、ほどほどの街並みに戻ろうとしている。キリエが父を食らえていれば、きっとサーカスは続いていたはずなのに。
「……うぐっ、ひぐっ……」
「あーあー、またリーダー泣き始めたぁ」
「本当に深刻なことがあったのだな。まぁ今日は飲め。奢りだ。たくさん食べて飲んで、辛いことを吐き出してくれ、リーダー」
仲間の二人が優しくて、キリエはさらに泣けてくる。「うぅ……!」とこぼれる涙に目をこすりながら、夜道を三人で進む。
そこで、ガンドが何者かとぶつかった。その人物は、ガンドの巨躯に弾かれ、派手に地面に転んでしまう。
「おっと」
「んー……」
リィル、ガンドの二人が、担がれたキリエを窺った。
クライナーツィルクスが何かトラブルがあった時、どのように振舞うかは、その場その場でキリエが判断する。
「……優しくしてあげよ」
キリエの言葉で、二人は迷わず動き出す。
「悪かったな、そこの人。立てるか?」
「ガンド、前見て歩かなきゃダメでしょ!」
「面目ない……」
キリエはガンドから降り、沈鬱な気持ちを抱えたまま、成り行きを見守った。
ガンドがその人物を抱え起こす。その人はどうやら漆黒の肌を持つ女性のようで、全身をローブに包んで、細い体を震わせていた。
「っ。リーダー」
そこで、何かに勘付いたリィルが、キリエに駆け寄ってきて、囁く。
「この人、魔王軍左大将シリーナだよ。噂では、魔王軍大幹部の中の、唯一の生き残り」
「……それは」
ガンドは、気付かないふりをしながら「大丈夫か?」と優しい素振りをつづけている。
その人物―――左大将シリーナは、元気なさそうに頷いてから、「ありがとう」と一言告げて、歩き去っていった。
「どうする、リーダー」
その姿を目で追いながら、ガンドはキリエに聞いてくる。
キリエは少し考えて、答えた。
「……唯一の生き残りってことは、家族を失ったばっかりってことでしょ。見逃してあげよ」
ここに、さらなる悲劇をもたらすほど、キリエとて非情ではない。
弱っている権力者は、拉致して金に変えろ、というのは魔人にとって当たり前だが、今回くらいは、そうならなくてもいいはずだ。
……少なくとも、今のキリエには、そんなことは出来ない。
だから、キリエは自分から遠ざかるように、足早に歩き出す。リィル、ガンドが「待ってよリーダー!」「急にどうしたんだ」と言いながら、慌ててついてくる。
そんな風に感傷に浸っていたから、キリエは、その時の違和感に気付くのに遅れてしまった。
正面に、魔術街灯の明かりに照らされた、奇妙な四人が夜闇の中から現れたことに。
「……?」
一歩二歩大きく踏み込めば手が届く。そのくらいの距離でやっと気づいて、キリエは足を止める。
「やっと止まったか、リーダー。……あいつらは、何だ?」
「ただの追いはぎでしょ? 珍しくもない。叩き潰して飲み屋に行くよ」
言って、前に出るリィル。その闘志に当てられて、「そうだな」とガンドもキリエの前に進み出た。
一方キリエは、きょとんとして前を見つめる。
その四人が、どんな人物であるのか理解するのに、キリエは少しの時間を要した。
中肉中背が二人。高身長の男が一人。そして小さな小さな少女が、三人の間で立っている。
その正体に気が付いて、キリエは息を止めた。
「っ、ぁっ、めっ……」
「ん? リーダー、どうかしたか?」
「リーダーも混ざるぅ? 適当なカスボコボコにするのが、何だかんだ一番スカッとするし!」
二人はのんきにそんなことを言う。それに、キリエは息を吸い、叫んだ。
「だめッ! 逃げて!」
次の瞬間。
リィルとガンドは、それぞれ紐と蛇に無力化されていた。
「ガァッ」「うぐ……っ?」
リィルは、どこからともなく迫った紐でくくられた。ガンドは、手を変化させて巨大化した蛇に叩きつけて潰された。
だが、どちらも死なないギリギリの威力。二人にそれぞれ一人ずつ近寄ってきて、その体に触れる。
「これが最後の一人か。うまそうだな。分け身がこういう風に見えるなんて、ドン・フェンを見るまで知らなかった」
「へへっ、こっちは中々食いでがありそうだ。にしても、分け身を取り戻すってのは実に興味深いぜ」
青年と思しき魔人がリィルを、猫背の激しい蛇っぽい魔人がガンドを、それぞれその場で抑え込む。
それを、キリエは絶望の目で見ていた。暗がりから、奴が―――ローロが歩み出てくる。
「やっほ~♡ キリエお姉さん。また会ったね。元気してた?」
「あ、ああ、お前、お前は、何で、どうして……!」
「そりゃあ、三人が最後のピースだからだよ~!」
ローロは笑って、そんなことを言う。最後のピース。何の。―――まさか。
ローロは、邪悪な笑みと共に話し出す。
「お姉さんが強くって助かっちゃった~♡ お蔭で~、逃がしたのも疑われずに、こうして三人そろえられたんだし~」
泳がされた。キリエは、震えだす。恐怖に。だが、恐怖だけではない。
憎悪。すべてを奪われた憎悪が、激しくキリエを奮い立たせる。キリエは立ち上がり、自らの全身全霊でもって、この憎き幼子を食い殺すと決める。
「お! お姉さんやる気だ! 惜しかったね~♡ お父さんの瀕死の時に、その覚悟の決め方をしておけば良かったのに」
「殺す……食い殺す……! 自業自得だって、何だっていい。キリエは、お前を殺さなきゃ、前に進めない!」
キリエが叫ぶと、前に出る者がいた。褐色の魔人。一目見るだけで、尋常でない力を持っていると分かる。
「あれ? スールおじさん、守ってくれるの?」
「……まだ、体に力が馴染んでいないでしょう。ワタシには一日の長があります。ここは、お任せを」
「うん。じゃあ任せようかな。よろしく~」
ローロは手を振り、褐色魔人が前に出る。
キリエは、敵を前に深呼吸した。それからゆっくりと、胸元を撫でる。
キリエの魔術が起動する。父キエロの魔術が、周囲を惑わす巨大な幻想ならば。キリエのそれは、自らの体に幻想を付与するもの。
大事なのはイメージ。どんな強者が相手でも、勝利するイメージ。幻想を体現する個。それこそがキリエなのだから。
キリエは拳を構える。褐色魔人は火の剣を手にする。奴を破り、そしてローロを食らう。それから仲間を食い殺す二人も殺す。
キリエは、走った。
一瞬の内に、キリエは褐色魔人の懐に入り込んでいた。「速いッ」と褐色魔人が驚くのに合わせて、その胴体に掌底を入れる。
口から漏れ出るは血、内臓。キリエの一撃は、それだけで死に至る。
「ぐ、は……!?」
「次ぃッ!」
褐色魔人を乗り越えて、キリエはローロへと拳を叩き込む。父は戦闘時に自らの場所を隠していたからどうにもならなかったが、キリエの拳は当たれば倒せる。
「え、やば。キリエお姉さ、がばっ」
「次ッ!」
ローロを突破し、残る二人も叩き潰す。奴らは拘束で手が埋まっていて、敵ですらなかった。
そして、キリエは振り返り、ローロを持ち上げる。首を掴み、その小さな体を腕力で砕く。
「ねぇ、何か言い残すことはある? キリエのすべてを、簡単に奪ってくれて」
「う、ぐ、ぐ、そ、う、だなぁ~……」
ローロはこの期に及んで余裕ぶりながら、こう言った。
「悪いとは、思わないよ。だってこれが、魔人だから」
ローロが指を鳴らす。同時にキリエは、現実を直視した。
「え……?」
キリエは、褐色魔人の持つ火の剣で、背中から地面に縫い付けられていた。両手は手首から先がなく、断面が焼け焦がされている。
「どう? スールおじさん」
「強かったです。分け身一つ、支配領域も持たないでこの強さは、正直驚異的でした」
「だよね~。やっぱりキリエお姉さんが最後のピースだった! よかったよ~。食べ漏らしなんかあったら興ざめもいいところだもん」
「え、え、え」
キリエは、混乱に声を漏らす。何で。今、勝ったはずじゃ。だって、手ごたえがあって、何で。
父の、幻想の魔術。
「ローロ……ローロぉぉぉおおお……!」
「にひひっ♡ そうだよ。スールおじさんに任せるってところからブラフだったんだ~。あそこでキリエお姉さんに幻覚みせて、この通り~♡」
ローロは、楽しそうにキリエの頭に触れる。そうしながら、こう語る。
「キリエお姉さんの能力、強いね~♡ 思った通りの力を得る、かな? シンプルだけどとっても強い。スールおじさんってメチャクチャ速くて強いのに、キリエお姉さん、一瞬それより速かった」
「ええ。ローロ様の魔術がなければ、もしかすれば危うかったかと。支配領域を展開していなければ、勝負しようとは思いません」
負けた。ここだけは負けてはならないという戦いで。
キリエは、同じく拘束された二人を見る。
リィルは、この期に及んでも、キリエに縋るような目を向けていた。キリエを信じ切った瞳。昔から変わらない、キリエに絶対的な信頼を置いた眼差し。
ガンドは、キリエに『仕方ない』とでも言いたげな目を向けていた。キリエとほとんど対等であろうとしたガンド。キリエが勝てないのなら、仕方ないと。
「あ、ああ、あああぁ、あぁぁあああぁぁぁああ……!」
キリエはもがく。だが、火の剣が胴体を貫通していて、どうにもならなかった。痛いだけ、苦しいだけ。
ローロが、近づいてくる。
「キリエお姉さん泣いてる~! でも、今回は気持ちが分かるよ♡ 家族を失うのは悲しいもんね。ローロもね、こういうことあったよ~。神々相手にブチギレて、結局幽閉されたけど」
ローロのお茶目さ~ん、とローロはおちゃらける。それが許せなくて、キリエは吠える。
「殺す! 殺してやる! お前の全部を奪って、殺してやる! ローロ!」
「そんなこと言わないでよ~。そう言うの、意味ないし~。だって元々は一人の魔人……一柱の魔王だよ? 自分を恨んだって仕方なくな~い?」
「……は……? 一人の、魔王……?」
「ぶっぶ~。一柱の、で~す。だって元々は神だし~」
ね~、とローロは三人に同意を求める。しかし三人は、一様に首を振った。
「ローロ、生憎と俺たちは全員怪物だ。魔王ではあるかもしれんが」
「そうだぜ嬢ちゃん。自分の子供のことくらい分かっといてくれや。アンタの子供で神なのは、それこそ魔王ヘル様くらいのもんだろ」
「ええ。ワタシも元は巨人。神ではありませんから」
「アレ~? ま、ほとんど同じだよね~。ってことで、キリエお姉さん♡」
ローロは、キリエの頭を掴む。キリエは、「い、いや、いやだ、やめて」と首を振る。
「最後のピース、いただきま~す」
ローロが、キリエの頭にかじりつく。ローロの小さな歯が、不思議なくらい簡単にキリエの肌を破る。
だからキリエは、ここで終わると、本気でそう思ったのだ。
「支配領域『ソード・オブ・スルト』」
だから周囲が完全な闇に包まれて、キリエも、ローロたちも、全員がどよめいた。
「―――この支配領域は、まさか」
スールと呼ばれた褐色魔人が、声を上げる。その直後、キリエは縫い付ける剣を抜かれ、何者かに抱えあげられる。
「あっ! キリエお姉さん盗られた!」
「ッ! こっちも獣人を奪われた」
「自分もだ。こいつは一本取られたな」
ローロに続き、その仲間たちが声を上げる。かと思えば、すぐ近くから「な、何……?」「何が起きた」とリィル、ガンドの声が聞こえてくる。
「なっ、何? 君は誰? 何でキリエ達を、助けてくれるの?」
キリエの疑問に声に、その人物は答えた。
「……助けたんじゃない。スール達あの四人が、完成するのを阻止しただけ」
声で、キリエは気づく。先ほど助け起こした、左大将シリーナ。彼女が、自分たち三人を担ぎ上げて、逃げ出したのだと。
「ひとまず、隠れるわ。逃げ延びてから、その後のことを考えましょう」
シリーナは、闇の中を走り抜ける。ローロたちの声が遠ざかるのを聞いて、キリエは危機から脱出したことを実感していた。
闇が晴れた時、レンニル、ムング、スールの三人が、ローロを見つめていた。
ローロは頬をぷくっと膨らませて、むくれた声で言う。
「あちゃ~。やられちゃったね。ここでスールおじさんのお姉さんが噛んでくるとはな~」
「……どうされますか? これでは、明日の攻城戦に、我々の完成が間に合いませんが」
「ん~、まぁでも、いいんじゃない? 最初っから揃ってたらさ、ほら、結構一方的になりそうだし~」
にひひっ♡ とローロは笑う。
「大事なのは、楽しいこと。幸せにつながること。そこにいたる過程やひと悶着が、きっといい結果につながるはずだよ♡」
「ローロはいつも行き当たりばったりだからな」
「お兄ちゃんはまたいつもそういうこと言う~」
レンニルのツッコミに、ローロは唇を尖らせた。それから、「ふぁ~あ。今日はご主人様たちと遊び疲れちゃった。もう帰って寝よ~?」と歩き出す。
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