第399話 『久しぶり』

 翌朝、俺は色々なものを放置してギュルヴィと飲んだくれてしまった、という罪悪感と共に起き上がった。


「やらかした」


 ギリギリ記憶にあるのは、ギュルヴィと一緒に宿に戻ってきて、嫁さんたちに介抱され、アイスの氷兵に部屋に運ばれたところまで。


 その先は全然覚えてない、と俺は二日酔いの頭痛に悩まされながら、部屋を出る。


「おっはよ~♡ ご主人様♡」


「ん? ああ、おはよう、ローロ……」


 挨拶をしながら、俺はローロを見て、続く言葉を失ってしまった。


「ん~? ど~したの~? 何だか、見違えた、みたいな目で見てくれちゃってさ~」


 ローロは、にひひっ♡ と笑って、俺をいたずらっぽく見上げた。


 何というか、ローロの指摘は完全に合っていた。ローロを一目見て、見違えたというか―――別人なのでは、とすら疑った。


 外見は、何も変わっていない。だが、中身が、違う。


 今にも弾けだしそうな密度の何かが詰まっていて、それを懸命に抑え込んでいる。そんな風に見えるくらい、昨日と今日で、ローロは変わって見えた。


「……昨日、何かあったか?」


「ん~? 大したことはなかったよ♡ しいて言うなら、ちょっと取り逃がしたっていうか、あえて見逃したっていうか?」


「? 何の話だ?」


「ひっみつ~♡」


 ローロは言って、てとてとと一階へと降りていく。俺は口をへの字に曲げて、「やっぱ変わらない、か?」とローロの後に続いた。


 一階では、みんなが揃って朝飯を食べているようだった。俺はバツの悪い顔で「その、おはようございます。昨日は大変ご迷惑を……」と言いながら顔を出す。


「おはよう……っ、ウェイドくん。あの後、大丈夫だった……?」


「あの後って?」


「お水をね、持って行ったんだけど……、ウェイドくん、もう寝ちゃってた、から」


「ああ、大丈夫だよ。優しいな、アイスは」


「う、ううん……っ。えへへ……」


 細やかな気遣いをしてくれる、と俺はアイスに頬を軽く撫でた。すると、トキシィが俺に言う。


「団長キエロを倒した立役者に、あの程度で文句は言わないって。ギュルヴィさん……くん? もね」


「おう、そうだぞウェイド。先に朝飯をいただいてる」


「お前馴染み過ぎだろギュルヴィ」


 すでにモサモサと朝食を取るギュルヴィである。傍から見るとガキなので、トキシィあたりから甘やかされているらしい。


 俺は席に座りながら、メンツを確認する。


 俺のパーティメンバーは勢ぞろい。師匠二人は居ないが、まぁ二人の勝手なので問題なし。魔人連中も大体揃っていて、ローロ、レンニル、ムングと……。


「トキシィ、スールは?」


「あー……気になるよね。ちょっとね、寝込んでる。朝ごはん終わったら、声かけてくれる? その……」


 トキシィは、気まずそうな顔で言う。


「昨日から、まともに動いてなくて」






 朝食を終えて俺がスールの部屋に向かうと、ローロがついてきた。


「ローロ、あんまり邪魔するなよ?」


「しないって~!」


 最近はローロもまともなので、ひとまず信じることにした。俺はローロと二人で、スールの部屋を訪ねる。


「スール? 入るぞ」


「入るよ~」


 俺がゆっくりと扉を開けると、真っ暗な部屋が俺たちを出迎えた。


 魔法具に触れて、明かりをともす。日の光を入れるために、カーテンを開ける。


 それから見下ろしたスールの姿は、酷いものだった。


「……」


 目を大きく開けて、じっと天井を見つめている。あるいは、何も見ていない。


 褐色で健康的だった肌はどこかくすみ、ゆるくウェーブする黒髪は乱れたまま放置されていた。


「……スール」


 家族を殺したのだ、とは聞いていた。だが、ここまで酷い精神状態になるのか、と驚いてしまう。


 俺は、俺の場合は、父親とぶつかったことはあったが、殺しもしなかったし、ある種心のわだかまりを解消することができた。


 その意味で、スールは出来なかったのか、と思う。ただ、無残に、家族を殺した。後悔と選択肢のなさでやむなく家族を殺したものにしか、出せない表情をしていた。


「……」


「ご主人様~? もっと、強めに何かしないと、スールおじさん、反応しないと思うよ~?」


「……俺には、出来ない」


「え~?」


 俺は、下唇を噛んで、スールを見た。それから、改めて思う。


 俺が多少声を掛けた程度で、スールがどうにかなるとは思えない。スールの心に響くようなことは言えない。対話すら成り立つか……。


 そう迷った時、ローロは言った。


「仕方ないな~。じゃあ~、代わりにローロがやってあげるね~!」


「はっ? おいちょっと待っ」


「え~い!」


 バチーン! と強めの力で、ローロはスールの顔面を、正面から手のひらで叩き潰した。俺は「ああ……」と言いながら、片手で顔を覆う。


「ローロ、こんな力業で、どうにかな」


 俺が、そう言いかけた瞬間だった。


「――――ッ!」


 バッ、とものすごい勢いで、毛布まで跳ねのけて、スールは上体を起こした。その顔には、鬼気迫る表情が宿っている。


「す、スール……?」


「いっ、いま、今のは、ウェイド様、今のは!」


 スールは俺に、瞳孔の開いた目で詰め寄る。俺は何が何だか分からず、両手を上げて降参のポーズで硬直する。


 平然としていたのは、ローロだけだった。


「こっちだよ、こっち」


 ローロの言葉に、スールはゆっくりとローロを見る。ローロは手近な椅子に座って、落ち着いた面持ちで、スールにこう言った。


だね。元気してた?」


「……?」


 昨日会ったばかりなのに、久しぶり……?


 そんな俺の困惑を置いて、スールは、ローロに対して姿勢を正す。


「……はい。紆余曲折ございましたが、健在でございます」


「それは良かった。自我はスールおじさんのまま?」


「は、はい。その、通りです。知識や能力は、その」


「ある程度揃った。けど、完璧じゃない。でしょ?」


「……はい。その通り、です」


「うんうん♡ じゃあ、ローロたちと同じ感じだね」


 ローロは、鷹揚に頷く。それに、スールは「そのっ」と顔を上げた。


「あ、あなた様は、ロ」


 そこで、ローロが遮る。


「シー……」


 ローロは悪戯っぽく、人差し指を当ててスールの口を塞いでいた。それに、スールは段々と落ち着きを取り戻し、深呼吸をした。


「……この後は、どうなさるおつもりですか」


「ん~。まぁ、みんなが幸せになれるようにするよ」


「と、言いますと」


「みんなは、みんなだよ。お兄ちゃんも、ムングおじさんも、スールおじさんも、それに―――」


 ローロは、ぎゅっと俺の腕に抱き着いてくる。


「ご主人様たちも、み~んなっ♡」


「ろ、ローロ……?」


「だから、スールおじさんには、最後のピース集めのお手伝いからしてくれたらなって感じ?」


「……左様でございますか。承知いたしました。すべてが揃うように、助力差し上げます」


「ありがと~♡ って言っても、多分大したことにはならないけどね~」


 二人の間で、よく分からない約束が交わされる。俺は戸惑いと共に、二人の様子を見つめる。


「あの、二人とも、どうしたんだ……? いつもと様子が違うというか」


「ん~♡ べっつに~♡ にひひっ♡」


 ローロは、嬉しそうに俺の腕に顔を擦り付けている。


 その様子を見つつ、スールは俺に言ってきた。


「ウェイド様。此度の計画で、図らずしも魔王城へと攻め入るための、すべての下準備が整いました。懸念点は残れど、もはや待つ必要はございません」


「……そうだな。その通りだ。バザール、スラム、サーカスは落ちた。魔王軍もトップを失って麻痺状態にある」


 今しかない。魔王城に攻め入って、魔王を倒すのは、まさに今だ。


「とはいえ、皆さんに置かれましても、疲労がたまっていることと存じます。今日は休みとしまして、明日か明後日にでも、魔王城への侵攻とするのが良いと進言いたします」


「ああ。俺もそのつもりだった。というか、朝飯の席で明日にするって話はしててな」


「そうでしたか。余計な進言を、失礼いたしました」


 俺の苦笑に、スールは慇懃に微笑んだ。一見回復したかのように、いつも通りに振舞っている。


 だが、何かが、違っていた。何かが壊れたまま、表面だけ繕って動いている。そういう雰囲気が、まだスールから漂っている。


「……」


 だが、俺はそこに踏み込めなかった。スールが、平気ですという顔をしている以上は。


「じゃあ~、今日はみんなでゆっくりすごそ~♡ ご主人様っ」


 そんな中、ローロはいつも通り、いつも以上に元気に、俺に言う。


「二人でイチャイチャしたり~、アイス様をからかったり~、みんなでカードしたり~。楽しく最終決戦前夜を過ごそ~!」


 いぇーい! と勝手に盛り上がるローロ。俺はスールを気にしつつも「そうだな」とローロにテンションを合わせるのだった。

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