第397話 団長キエロのその最期

 キリエは、ギュルヴィと共に飛び出していくウェイドを見送ってから、腕の中の父を見下ろしていた。


 ウェイドの魔法で滅茶苦茶にされ、瀕死の父。父は、キリエを見上げて言う。


「それで、父を食らうのかい? キリエ……」


 父は、微笑みと共に問う。キリエは、じっと父を見下ろして、言った。


「その、ね? パパ……」


「ああ」


「……キリエは、さ? パパが、毎日つまらなさそうで、楽しくなさそうで……辛そうだったから、パパを、食べようと思ったんだ」


「そうか……優しい子だな、キリエ。お前は、とても家族思いの優しい子だ」


「あはは……そう、かな。キリエは、結構ひどいことしてきたよ? 普通の魔人並みにさ。だから、優しいなんて、そんな……」


 そこまで言って、キリエは口ごもる。じっと父を見下ろして、それから、絞り出すような声で言った。


「……ね、やっぱりさ……やめってことには、できない、かな?」


「……キリエ」


「だ、だってさ? パパ、今日はとっても楽しそうだったし! ね☆ 魔王軍引っ掻き回して、派手な戦いがたくさん起こって! だから、さ」


 キリエは、満面の笑みで父に言う。


「この城下街を、毎日こんな風にすればいいんだよ! そうすればパパはずっと楽しくて、なら、キリエはパパを食べる必要なんかないもん☆」


 ね? とキリエは父に言う。父は、穏やかな表情でキリエをずっと見守っている。


「そうだ! そうしよう☆ ウェイドたちの目的はパパそのものじゃないし、時計塔さえ明け渡せば、変なことにはならないから! ちょっと怒られちゃうかもだけど……」


 キリエは、意思を固め始める。元々、大好きな父だ。辛そうでなければ、食べて―――二度と会えないなんてことにする必要はない。


 父を食い殺そう、己がモノとして取り込もうと考えたのは、あくまでそれが、父にとって最善に思えたから。


 そして、その前提は崩れた。今日の父は楽しそうだった。父の望むサーカスの姿が分かったのだ。


 なら、キリエがすべきは、父を食らうことではなく、父の望むサーカスを維持すること。


 だが、父は言った。


「キリエ……同じだ。同じだとも。どんな刺激でも、いずれ飽きが来る。終わりが来る」


「……パパ」


「ここで、このキエロをお食べなさい。そして、お前の望むサーカスを作るんだ。それでいい。そうして欲しい」


「……ヤダ」


 キリエは、首を振る。


「ヤダ、ヤダよ。キリエは、だって、パパが大好きなんだもん。もう会えないのは嫌。キリエの中で生きてても、それでも、元気なパパを食べるだなんてヤダ……!」


 涙さえにじませて、キリエは首を振る。父は、そんなキリエの姿を「仕方ない子だ」と言いながら、困り顔で見つめている。


 そこで、二人に声がかかった。


「なら~、ローロが食べちゃって、いい~?」


「―――――ッ」


 キリエは、とっさに声の方向を向いた。


 そこに立っているのは、小さな少女の魔人だった。ローロ。ウェイドの仲間で、到底強くは見えない、矮小な魔人。


 だが、不思議な存在感が、彼女にはあった。言葉一つで、事態をかき回すような、そんな。


「にひひっ♡」


 ローロは、不気味な笑みを浮かべて、父を、キエロを見つめている。


 キリエは、父を隠すように体勢を変えて、睨んだ。


「ローロ、だったよね。ウェイドの仲間の。どこから入ってきたの。何でパパを食べたいの?」


「え~♡ だって、キリエお姉さん、団長さんのこと食べないんでしょ~? だったら~、ローロが代わりに食べてあげようかな~って♡」


 言って、ローロは蠱惑的に笑う。その姿に、キリエは何故だかゾッとするような気持にさせられる。


「……ダメだよ。パパは、キリエの大事なパパなんだから」


「え~、いいでしょ~? 何でダメなの~?」


「なんでっ、て……! そんなの決まってるでしょ! パパは、キリエの大切な家族で」


「ただの分け身なのに?」


 ローロの言葉で、キリエは冷や水を浴びせられたような気持になる。


「ただ、の……」


「そうだよ~。魔人の間では、分け身を家族扱いすることは少なくないけどさ~? 所詮はただの分け身で、家族ごっこじゃ~ん」


 クスクス……、とローロは笑う。嘲るように、侮辱するように。


「家族って言うのは、そういう嘘のものじゃないんだよ~? 分け身は自分。自分と自分で好き合ってるって、ただのナルシストじゃ~ん♡ はっずかし~!」


「……、……。……!」


 キリエは、目の前が真っ赤に染まるような怒気に駆られた。


 確かに、そうかもしれない。分け身は己。だが、分け身という性質上、ほとんどの物を共有していない。自分に持ちえないモノだけで構成されるのが分け身だからだ。


 だが、それでも何か同じものを持っていて、近くにいると心地よさを覚える。そうして、家族になるのだ。他者を食い物としか思えないこの地獄で。それでも家族になれるのだ。


 だからキリエは、吠えた。


「何も知らない部外者が、そんなことを言」「ムングおじさん、だよ~♡」


「おじさんじゃねぇ」


 突如聞こえた聞き覚えのない声に横を向くと、キリエ目がけて巨大な蛇の口が迫っていた。


 キリエは、それに反応できない。怒りで視野狭窄になっていて、意識外からの攻撃に対応できない。


 だから、キリエはその巨大な蛇の口に捕らえられ、そのまま壁に叩き付けられた。キリエは壁に縫い付けられ、まったく動けなくなる。


「なっ、何、何これ……ッ! パパ、パパ! 無事なの、パパぁっ!」


「にひひっ♡ だ~いせ~いこ~! キリエお姉さん、結構強いってご主人様言ってたからさ~? ちゃんと隙を突かずに挑んだら危ないかな~って思ってたんだ~!」


 ローロは、喜びに飛び上がってキリエを見つめている。キリエはもがくが、蛇の拘束は強固で、動けそうにない。


 見れば、見たことのない、強烈な猫背の男が、腕を巨大な蛇に変えて、キリエを壁に押さえつけているようだった。


 キリエは感じ取る。高位の魔人。支配領域さえ使えそうな、強者であると。


 だから叫ぶ。


「パパッ! 逃げて! キリエじゃパパを守れない!」


「ぐ……、このキエロも、流石にキリエ以外に食されるのは御免被るのでな。ここは、失礼させてもら―――」


 そこで、周囲の景色が岩場に変わる。キリエも、父も、目を剥いて周囲を見る。


「ローロ、支配領域を閉じたぞ」


「お兄ちゃんさっすが~! あ、あの偉そうなオジサマが~、ローロの狙いね♡」


「グレイプニール」


 父が、どこからともなく現れた紐でくくられ、吊るされる。父は首吊り死体のように持ち上げられ、瀕死の体で必死にもがいている。


「パパぁっ!」


「お兄ちゃん、な~いすっ! これで、団長さんは逃げられないね~!」


「そうだな。……ところで、支配領域解いてもいいか? これ結構魔力消費えぐいぞ」


「え~? ドンファンさんは自由自在に戦ってたってご主人様に聞いたけど~?」


「ドン・フェンだ。あの人のことは食べたが、こう、経験値が違うんだ。支配領域なしでも拘束は残せるし、いいだろ?」


「仕方ないな~。いいよ」


 周囲の景色が変わる。岩場が幻影となって消え、簡素な板張りの歯車部屋に戻ってくる。


 だが、状況は何も変わらない。キリエは大蛇に壁に縫い付けられ、父は紐で首つり状態だ。


「パパを……! 放して……ッ!」


「や~だ~♡ お姉さん、ご主人様を裏切ろうとしてたし? このくらいの報いは笑って受けなよ~!」


 明るく笑って、ローロは言う。それから、首を吊るされて今にも死のうとしている父に触れる。


「お兄ちゃん、もういいよ。下ろしちゃって~」


 どしゃっ、と音を立てて、父は地面に落ちた。首吊りで消耗したのか、父は指一本、まともに動かせないでいる。


 その体を、まるで食べ物に触れるように、丁寧な手つきでローロは触れた。


「じゃ、手と手を合わせて~」


「やめ、やめて。やめてッ! パパを、パパを食べないでッ!」


「食材に感謝して~」


「やめてッ! やめろッ! 食べるなぁっ! パパを、食べるなぁぁぁああ!」


「いただきま~す♡」


「やめろぉぉおおおお! やめろぉぉおおおおおおおおお!」


 ローロの口が、父の首筋に食らいつく。歯を立て、みじぃ、と肉が食い千切られた。

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