第345話 スラムの社会構造
それを聞いて、俺は握手に手を差し出した。握手しながら、俺は名乗る。
「俺はウェイドだ。ちょっとスラムに興味があって見学にきた」
「見学? ガハハハハッ。お前ほどの実力者が、わざわざ暗殺ギルドに見学か」
俺は目を細める。俺の実力を見て分かる魔人など、これまで一人もいなかった。
「俺が強いと? 俺は魔術なんてろくに使えないぜ」
「バカ言え。魔術の匂いで強さを確かめる連中は二流よ。本当の、本来の強さは態度に出る。どんな状況でも臆さない奴は、いざというときに恐ろしいぞ」
ウチにも、どんな状況でも臆さないローロとかいうガキがいるが、いざというとき恐ろしいとは毛ほども思えない。
「お前はそうだな……。若いから、分けられたか? しかし俺を前にしても、いつでも殺せるという自負がある。それが事実かは知らないが、さて」
フェンはそう言って、握手する手に少し力を込めた。俺はアナハタチャクラで強化した肉体で、それに応える。
「……」
「……」
ピリ、と空気に緊張が走る。呼吸が、意識が、戦闘のそれに変わり始める。
アジナーチャクラで底を見透かそうとしたが、嘘の魔王ヘルメースの気配を感じたからやめた。
しかしそれでも分かる。魔力の充実した流れ、逞しい肉体、そして―――支配領域の匂い。
強敵だ。間違いない。
「ここでやめておこう」
パッとそこで、フェンが両手を上げた。俺はハッとする。そうだこれ下見だ。危ない。
「ウェイド。お前、殺し合いが好きだな?」
フェンの問いに、俺はくっくと笑う。
「お前こそ、俺を見る目が獲物を見る目だったぜ。ザコになんか興味のない、骨太の獲物を求める目だ」
「フフ……」
「はは……」
俺たちは静かに笑い合う。それから、そっと距離を取った。
「ウェイド。お前はすぐに暗殺ギルドで成り上がるぜ。お前と組んで仕事をするのが楽しみだ」
「そうだな。仕事かどうかは知らないが、お前とは縁がありそうだ、フェン」
少なくとも、俺はこいつに殺す以上の何かを仕掛けることになっている。縁があるのには間違いない。
「じゃあな。スラムを楽しんでくれ」
フェンはそう言って、のしのしと去っていった。途中でサンドラを見つけ「ん? ああ、そういう繋がりか」と呟き、奥へと消える。
それを見送って、俺はテーブルに戻った。
戻ると、サンドラを除く三人がどっと疲れた顔で、俺を出迎える。
「どしたよみんな」
俺が聞くと、レンニルが冷や汗だらだらの顔で答える。
「どうした、じゃないですよ……。まさかこんなところで、ドン・フェンと話して一触即発とか。気が気じゃなかったです……」
「ご主人様って~、思ったより向こう見ず~? 見ててハラハラしたんですけど~!」
「……ウェイドくん。わたしはウェイドくんが幸せそうならそれでいい、けど、もっと楽しめるタイミングが、あると思うんだ……っ」
レンニル、ローロ、アイスの順に物申され、俺は「悪い悪い。ついな」と片手謝り。するとサンドラが俺の肩をたたき、こう言った。
「ウェイド、あたしが仲間」
「みんなごめん。俺が悪かった」
「何で」
俺の身の翻し方に、サンドラは釈然としない顔だ。
「あともう一つ聞きたいんだが、たまに聞く『分ける』って何だ?」
俺の問いに、レンニルは怪訝そうな顔をする。
「『分ける』? 何をですか?」
「いや、何か、魔人を? 俺も良く分かってないんだが」
「ローロ、知ってるか」
「ローロも知らな~い」
レンニルとローロは、お互いによく分からないという顔をしている。当たり前のように書かれている用語だったが、魔人みんなが知っている言葉というわけではないのか。
俺は首をかしげる。一体全体何なんだ、『分ける』って。依頼の書き方だと体の一部を納品しろ的な読み方になるが、フェンが俺に聞く以上違う気がする。
「よーう、今日も仕事を漁りに来たぜーっ?」「ギャハハハハハ! ここに来る奴は全員そうだっての!」
そこで、他にもぞろぞろと、強者の雰囲気を纏った魔人たちが暗殺ギルドの中に入ってきた。一気に賑わうギルドの様子に、俺はレンニルに尋ねる。
「こいつらも全員ギルドの魔人なのか?」
「はい。半分はエーデ・ヴォルフ、もう半分はそれに次ぐ暗殺クランやパーティの面々です。二番目に大きいクラン『ハウンズ』の飼い主なんかも見ました。どれも強者揃いかと」
ドン・フェン以外にもネームドがいるのか、と俺は層の厚さに感心する。
「そうだな。何というか、全員雰囲気がある」
最低でも銀の上位。最高はドン・フェンだろうが、それを除いても金の中位までは確認できる。
にしても、半分はフェンのとこのクランか。構成人数は相当に多いらしい。
「暗殺ギルドメンバーって、全員でどれだけいるんだ?」
「スラムのまともな魔人の大半ですから、相当な数になりますよ。ざっと二千人はいると思います」
「じゃあその半分のエーデ・ヴォルフは」
「そうですね。単純計算で千人程度ですか」
「……かなり居るな」
連れてきた村人奴隷の同数。いつぞやにキリエが警告するわけだ。これだけの強さの魔人たちが千人。そりゃあ魔王軍も手を焼くはずである。
とすると、ちょっと大暴れするのでは意味がない、と判断する。するのなら、徹底的に、スラムを地図から消すくらいの勢いでしないと意味がなさそうだ。
「これで暗殺ギルドと、あと偶然にもドン・フェンに会えましたから、二つ下見は終わりましたね。最後に調教師です」
レンニルの言葉に、俺は渋面になる。
「……会わなきゃダメか? 何かあんまり重要な感じしないんだが」
「いや、重要ですよ。スラムにおいての技術職で、ドン・フェンでも雑に扱えない特権階級ですから。少なくとも、ギルドに参加している魔人で調教師に頭が上がる者はいません」
「マジで?」
俺が驚くと、サンドラが補足する。
「ウェイド、これは本当。あたし一回ケンカして、それ以来ギルドの仕事干されてる」
「サンドラはどこに行ってもトラブルメーカーなのは分かった」
「愛しの夫が塩対応。くすん」
相変わらず無表情で泣きまねをするサンドラである。俺は苦笑しつつサンドラの頭をポンポンと叩いておく。
「悪かったよ。レンニル、案内を頼めるか?」
「はい。こっちです」
レンニルに続き、俺たちは歩き出す。
レンニルが向かった先は、ギルドの奥だった。
そこには、工房のような施設があった。表の暗殺者たちとは違って、腕っぷしはさほどそうな魔人たちが、忙しそうに走り回っている。
「商業奴隷用の調教道具どこ!? ああクソ、期限に対して納品予定数おかしいだろバカかよ!」
「仕方ないだろ! 表のバカどもが拉致に手間取って納期圧迫したんだから! こっちは上工程の尻拭いするしかねぇんだからちゃきちゃきやれ!」
「だとしても三日で百人調教は無理だって! 調教道具あった! おいこれ重いから運ぶの手伝ってくれ!」
わらわらと数人がかりで、重めの拷問器具のようなものを台車に載せ、魔人たちはダッシュでさらに奥へと向かっていく。
「これが調教師です」
「イメージと全然違う」
調教師の癖に納期とかいう言葉使わないでほしい。前世のブラックな記憶がよみがえってきて苦しくなるから。
っていうか三日で百人調教は本当に無理だろ。物理的に。無理だけど根性でやるしかない、のレベルをはるかに超えて無理な話じゃないのか。こわ。
とか思ってたら、こちらに気付いて近づいてくる調教師が一人。
「アンタら何! 何の用! 依頼!? あ! サンドラテメェ、お前からの依頼は受けねぇっつったろ失せろ!」
「きゅーん……」
サンドラは悲しげな猫のように鳴いている。ひとまず俺はサンドラを背中に隠しておく。
「ええと、依頼っていうか、見学っていうか」
「見学!? 受け付けてねぇよ帰れ! 見たら分かんだろ! こっちはもうカツカツのパンパンなんだよ! 数日間寝ずに調教してんだよ!」
見ると調教師の目は真っ赤に充血している。目の下にはひどい隈だ。
俺は、改めてその調教師を見つめた。
けだるげで刺々しい雰囲気を纏った、蛇に似た魔人だった。返り血に汚れたエプロンを付け、強烈な猫背から先、腰のあたりから鱗の付いた長い尻尾が揺れている。
武力的に敵にはならないからこそ、あんまり刺激するのも良くないな、と俺は苦笑して、怒りをおさめにかかる。
「悪かったって。サンドラのことも俺から謝る。俺はウェイドって言うんだ。いずれ縁があるかもしれないから、その時はよろしくな」
言いながら、以前巻き上げた金貨の余りを手に握らせる。「何だよ」と自らの手の内を除いた調教師は、金貨に気付いて目を丸くした。
「……! ……、……?」
「ええと、一応俺も名乗ったからさ。そっちの名前も知っておきたいんだが」
「あ、ああ! そうだな。これは失礼した。ンンッ、自分はムング。暗殺ギルド付きの調教師長だ。つまりまぁ、このスラムじゃ一番の調教師ってことになる」
照れと自尊の交じり合った、絶妙な物言いでムングは言った。俺は「よろしくムング」と握手した。
「ああ、よろしくお頼みしたいもんだね、ウェイドさんよ。ウチはこの通り激務だが、金払いの良いお客さんの言うことなら何でも聞くぜ。どんな跳ねっ返りも従順に変えてやる」
言ってることやってることが調教なのに、物言いがカラッとしてて面白い。俺は少し笑ってしまう。
「何というか、イメージと全然違ったけどな。嫌らしさが思ったより無いというか、職人っぽいというか」
「昔の個人調教師ならそう言うのも多かったらしいがね。少なくともウチじゃ、そんなねっとり調教、なんてやってらんねぇのよ。とにかく質と早さ! これに勝るもんはない」
返答がイチイチ職人なの本当に面白い。調教師なのに。
「早さは分かるけど、質?」
「虐め抜きすぎてぶっ壊して、外で寝そべってる連中みたいになったら良くねぇだろ? それに手加減を誤って殺しちまうのも良くねぇ。肝心なのは心を折ることってな」
ケケケ、とムングは笑う。そこで背後から、ムングを呼ぶ声が響く。
「ムングさん何油売ってんすか! ほら! 商業奴隷百人の他にも性奴隷五十人、剣闘士奴隷二十人の予約も入ってんですから! さっさと取り掛かってくださいって!」
「わぁってるよ! ってことで、すまんがウェイドさん、自分はこの辺りでお暇させていただきますよ。今後ご依頼がありましたら、どうぞごひいきに!」
言い捨てて、ムングは「よっしゃ切り上げたぞ! 準備は整ってんな!?」「はいっす! あっちあっち!」と部下と共に奥へと駆けていく。
俺はレンニルに振り返り言った。
「アレが調教師?」
「はい。都市部だと需要が高すぎるみたいで、常にあんな感じで駆け回ってます。仕事は常に溢れてるので、顰蹙を買うとサンドラ様みたいに断られちゃうんですよ」
「へぇー」
地獄特有の光景に、俺は感心してしまう。やってることは最悪なのに、形は人の営みっぽくなるのは、実にニブルヘイムらしいというか。
俺たちは歩き、ギルドを出ながら話し合う。
「なるほど、これがレンニルが見せたかったスラムの姿か」
「はい。どうでしたか?」
「思ったより壁は高そうだな。特に千人単位の暗殺者集団をどうするか」
実際はエーデ・ヴォルフだけが目標になるのだが、個別に分けてどうこう、というのは数的に難しい。やるなら暗殺ギルドまとめて一掃になるだろう。
そして肝心の方法だが、今のところ思いつかない。しばらく考える必要がありそうだ。他のみんなも、いい打開策は持っていない様子。
そんな風に思っていると、唯一、一人だけ深く考え込んでいるのを見つける。
「アイス?」
「……ウェイド、くん」
アイスは、考えがまとまったような、真剣な表情で俺を見つめてくる。
「前から少し練ってた作戦が、今回ハマリそう、なの……! 帰ったらお話、聞いてくれ、る?」
「そりゃもちろんいいけど、前から練ってた作戦って?」
俺が聞き返すと、アイスは柔らかく微笑んだ。
「―――神殺し作戦。ここでやっちゃうのがいいかなって、思ったんだ……っ」
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