後章2・スラムと神
第344話 ニブルヘイムのスラム
アイスはその日も夢を見ていた。
そこに映されるのは、狼だった。愛しい家族である狼。他の家族たちと違って、彼には最初異常がなかった。
だから、しばらくは安寧の中にいたのだ。家族と離れ離れにされた恨み辛みはあれど、通常のオオカミと変わらない無力な姿。勇敢な軍神が狼を育てた。
しかし、狼の成長は、通常の比ではなかった。
日に日に大きくなる狼を、軍神は拘束することを決めた。鉄鎖で雁字搦めにして、これで動けまいとした。
しかし狼は、容易くそれを噛み千切った。
軍神は、ならば、とさらに大きく強い鉄鎖を用意した。しかしこれも簡単に噛み千切られた。これではいつか狼は解き放たれる。軍神は思案した。
そこで、グレイプニールという紐が用意された。ドワーフの作った特殊な紐。狼は疑ったが、軍神の覚悟と言いくるめにより拘束された。
狼はそれから、悠久の時を拘束されて過ごすこととなる。
いつの日か来る終焉。ラグナロクの起こるその日まで―――
スラムで大暴れするにも、まずはスラムがどういう場所なのか分かっておく必要がある。
だから俺は、一度スラムを見て回ることにした。
「ということで、案内してくれる人」
俺が言うと、サンドラとムティーがそっぽを向いた。レンニルは端っこでキョトンとしている。
「……何で誰も手を上げないんだスラム組」
俺はしかめっ面で問う。
宿屋の酒場エリア。そこでのやり取りだった。
ひとまず下見で動けるメンバー選定のため、俺たちは集まっていた。俺、アイス、ローロの三人に、スラム活動組のサンドラ、ムティー、レンニルだ。
クレイやトキシィチームは、仕事があるので忙しいらしく、本番の大暴れはともかく下見は不参加となった。
それでこの六人で集まったわけだが……。
サンドラは言う。
「道、覚えてない」
「あんだけ通い詰めてたのにか?」
「あたしは感覚で歩いてる。目的地には何か辿り着いてる」
こいつ猫かよ。
「ムティーは」
「ガキの引率なんてしち面倒くさいこと、何でオレがしなきゃならねぇんだよ」
「そうだった。こいつはそういう奴だった」
シンプルにカスなので、頼られるのが嫌いなのだろう。カスだなぁこいつ。
「で、レンニルは」
「あ、えと。お二方のどちらかがすると思ったのですが、しないのなら、俺がやりましょうか?」
「レンニル、お前魔人の癖に、何で人間より常識あるんだよ」
「常識があって怒られることってあります?」
俺は無言でローロを見る。ローロは俺の視線に「きゃっ♡ ご主人様のえっち~♡」と言いながら脱ぎだそうとして、アイスに無言で軽く凍らされる。
「な?」
「ローロは壊れてるので……」
「兄から『壊れてるので』って言われるローロは何なんだよ」
不憫すぎて不憫に見えない化け物ポジションを、ローロは固く保持している。
「俺が常識的に見えるのは、人間から見た常識的って何かが、多少分かってるってだけですよ。その方が、この祭りで美味しい立場が取れるでしょう?」
レンニルの言葉に、俺は強かさを感じ取る。
なるほど、ただ常識的なのではなく、そう振舞っているのだと。確かに、そう見える内はつい重用してしまうかもしれない。
「分かった。じゃあ今回の道案内は、レンニルに任せよう」
俺が言うと、「分かりました」と少し嬉しそうにレンニルは頷いた。
一方、それに寂しそうに俺の服をサンドラが引っ張る。
「……あたしは?」
「サンドラは案内される側」
「分かった。除け者じゃないならいい」
寂しがり屋か。ああでも、昨日とか俺のベッドに潜り込んでたから寂しがりなんだろうな。けどあれ何で裸だったんだ。
「ムティーはどうする」
「適当にぶらついてっからよ。スラムの中にいるとき、手が足りないなら呼べ」
「ま、ムティーはそのくらいの距離感で良いか」
無理に協力を迫ってへそを曲げられても困るしな。
そんなわけで、俺たちはレンニルの案内でスラムに赴くこととなるのだった。
さて、ここで俺たちがスラムに向かう上で、スタンスを明確にしておこうと思う。
俺たちの行動指針は、
・大目標・魔王を倒す。
・中間目標・魔王城の保護塔を制圧し保持し続ける。
・小目標・各地域の有力魔人を巻き込んで隠れ蓑とする、だ。
スラムで言うなら、保護塔をどうにかする隠れ蓑として、エーデ・ヴォルフを巻き込む気でいた。そこに、ヨルの手紙があったから乗っかった、という形になる。
エーデ・ヴォルフをどう絡めるかは、今のところまだあまり目途が立っていない。今回も派手に楽しくやれればいいなぁと思うばかりだ。
そんなことを考えながら歩いていると、道すがら、レンニルは俺たちに忠告した。
「スラムでは、話しかけられたら殺してください」
「やばすぎる」
初手頭おかしいのやめないか? 常識あるって褒めたばっかりなんだけど俺。
と思ったら、サンドラは「その通り」と頷いている。どうやら理屈があるらしく、レンニルはこう続けた。
「まず分かっておいてほしいのは、みなさんがいたバザールは、言ってしまうと城下街で最も治安のいいエリアだってことです。スラムはあの比ではないんで」
「アレでかぁ……」
俺が思い出すのは、裏道に入って五秒でバトルが始まるバザールの住環境だ。大通り以外は、常に危険なアングラの臭いがしていた。
しかしレンニルはこう続ける。
「スラムは話しかけて答えると、会話が通じるカモであると認識されます。それがどういうことかというと、騙されるのはもちろん、奴隷としても攫われやすくなります」
「……あ、そうか。話せない奴は心が壊れてるから奴隷の価値がないのか」
「そうです。心が壊れてたら、どう転んでも労働力にならないので。逆に言えば、会話が成立するなら、少なくとも奴隷の価値はあるんです」
こっわ、とスラムを思う。何もかもが換金可能な世界観があるのか。しかも強奪前提で。
バエル領とはまたちょっと違った治安の悪さがあるな、と思う。何というか、金と欲望が絡まりあっている、都市らしさというか。
「ですから、話しかけられたら場合、可能ならその場で殺してください。話しかけてくる程度の魔人は大半がザコですから、殺せば怖がって近づいて来ないんで」
強くて無慈悲であることを示すのがいい、という話らしい。確かに無力なふりをするのは疲れるし、ある程度運によるところも出てくる。実力で回避できるなら一番か。
そんなことを考えながら進む。区画を分ける川に辿り着き、橋を渡る。
すると不意に、周囲の雰囲気が変わったのが分かった。
バザールよりも陰気で、ボロっちく、しかし狙われているような、油断できない気配。
俺はレンニルに目を向ける。
レンニルは俺たちをチラと横目で見て、こう言った。
「ということで、皆さん。ここからが、スラムです」
―――そこにあったのは、寂れた建物群と荒れ果てた地面、そして活力を失った魔人たちの姿だった。
バザールの地面は多くが石畳になっているのに対し、こちらはほとんどがむき出しの土ばかり。それが雪でべちゃべちゃになっていたり、霜柱になっていたりする。
建物も、石造りではあるものの、欠けたり穴が開いたり大幅に崩れていたりと、ほとんどがこの極寒の中で満足に住めそうな造りではない。
最後に、そこに横たわる人々だ。建物を背に、地面に、魔人同士折り重なって、静かにけだるげに沈黙している。その目は胡乱で、どこを見ているのかも分からない。
「……スラムでも底辺のスラムだな、これは」
俺は渋面で言った。
カルディツァのスラムは、スラムとは言っても人の生活が息づいていた。貧しかったが子供は走り回っていたし、大人は忙しなく働いていた。
だが、それがここにはない。
ただ人の形をしたものが、折り重なって倒れているだけだ。
「レンニル、こんな集まりでぞろぞろ歩くのは問題ないのか?」
俺が尋ねると、レンニルは「はい」と答える。
「まともに動いている魔人は、集まって動きますので、さして目立たないと思います」
「何でまとまって動くんだ?」
「安全のためですね。少人数だと襲いやすいですから。狙いがある場合にしろ、彼らのようなのが突発的に暴れるにしろ」
なるほど、と俺は頷く。目立たないというのなら、それでいい。
「じゃあ案内を頼む」
「はい」
俺たちは固まってぞろぞろ進む。「雑談はいいのか?」と問うと「近づいてくる厄介者をちゃんと排除していれば問題ないです」とレンニルは答える。
なので俺は、サンドラに話しかけた。
「サンドラ。サンドラも集まって動いてたのか?」
「? あたしは孤高」
「だと思ったよ……」
案の定一人で動いていたらしい。ここまでの話はどういう気持ちで聞いていたのだろう。
「じゃあ襲われたりとか絡まれたりとか」
「した。全部魔法で吹き飛ばした。で、集まって動く集団にもそうしたら、それがドン・フェンだった」
「ああ、そういう」
それで一瞬ガチバトルになって、ギリギリで矛を収めた、という流れなのか。
よく無事に収まったな、と思うが、その辺りのバランスはサンドラ上手いからな。トキシィの金貸しの件でも上手く逃げたし、その後仲間、今では家族になったし。
「ところで、お兄ちゃんに質問があるんだけど~」
ローロが歩きながら、兄レンニルに質問する。
「これからどこに向かうの~?」
「ああ。これから向かうのは、暗殺ギルド、調教師、そして目標となる『エーデ・ヴォルフ』だ」
レンニルの返答に、アイスは尋ねる。
「スラムにも、商人ギルドみたいなのがあるん、だね……っ」
「そうですね、アイス様。暗殺ギルドで依頼はほとんどまとめられてますんで」
「何だか、剣の冒険者専門の、冒険者ギルドみたい……っ」
アイスの例えに、俺は何となく納得する。確かに役割だけ考えたらそうだな。拉致とかが入るみたいだけど。
「クレイからちょっと聞いた気もするが、調教師ってのは何なんだ?」
「そちらはですね、ご主人様。奴隷はただ拉致してきても、言うことを聞かないでしょう? ですから、言うことを聞くようにする役割が必要なのです」
「ああ……うん。そうだな」
深くは聞くまい。俺たちにはあまり関係のない要素だ。
「で、エーデ・ヴォルフ」
「はい、サンドラ様。彼らが我々の敵となりますから、一度全員で見ておくのがいいでしょう」
そんなことを言っていると、もう到着したらしく「ここです」とレンニルは立ち止った。
その建物は、商人ギルドなどに比べるとみすぼらしいが、しかし確かに建物として機能している気配があった。
中からは声が聞こえてくる。俺たちは互いに頷きあい、揃って中に入った。
扉を開けると、一斉に中の魔人たちからの視線が俺たちに集まった。とはいえ、今更その程度でたじろぐほどウブではない。俺たちは平然と進む。
ひとまず俺たちは周りの魔人たちも使っている小さな高めの丸机に集まる。魔人たちは俺たちに目を向けていたが、しばらくすると視線を外した。
「……雰囲気、確かに冒険者ギルドに似てるな」
「請け負う仕事はだいぶ犯罪寄り。それを除けばほとんど冒険者ギルド」
サンドラは言って指さす。見れば、冒険者ギルドのようにクエストボードが掲示されている。
俺は一人歩き出し、ボードにどんな依頼が書かれているかを読み始めた。
『殺人依頼:サーカスの新参チームが調子に乗ってるから、痛めつけて殺してほしい。殺す回数はそれぞれ一回で可。少し脅かすくらいで。詳細は直接話して説明する』
『奴隷募集:バザールで暇してるまともそうな魔人を五人程度拉致して奴隷に卸してほしい。現在バザールの事件で人手が余っているはずなので、商業奴隷として活用したい』
『拉致依頼:魔王軍の身内で守られてる奴を拉致して消してほしい。分けた一部は奴隷として納品希望。予算は―――』
俺は顔をしかめ、その辺りで見るのをやめた。
何というか、文字面で人間と魔人の倫理観の違いを見せつけられるの、思ったよりキツイなこれ……。
痛めつけて殺すのが軽く脅かす程度の認識で、バイト募集感覚で奴隷を募集し、もっとも暗殺ギルドらしい依頼としての拉致は、何かおぞましいことが書かれている。
何だこれは……という目で見ていると「お?」と隣に立った魔人に言われる。目を向けると、そこには巨大な狼の獣人が立っている。
威圧感のある獣人だった。強者としての泰然さを全身に湛えた、巨大で、しなやかな体を持った狼の獣人。
「……何か用か?」
「おぉ。俺を見ても眉一つ動かさねぇとは、中々肝が据わってやがるな。新参の癖に、有望だ」
犬歯をむき出しにして、ゲラゲラと狼の獣人は笑った。俺はキョトンとしてその魔人を見上げる。
デカイ。かなりデカイ魔人だった。二メートルは優に越し、三メートルに近いほどの巨躯。俺が子供に見えるようなデカさだ。
獣人は問うてくる。
「お前、名前は何てんだ」
「……あ、悪い。話しかけられたらそいつのこと殺さなきゃならんって聞いててな」
俺はそう答えてレンニルを見る。しかしレンニルは、大慌てで首を横に振っている。ん? 何?
「ガハハハハッ。俺を殺すか。以前俺に挑んできた、サンドラみたいな気性の荒さだ。その癖落ち着いていると来た。面白い」
「……」
もしや、と俺は狼獣人を見る。それから、こう言った。
「気が変わった。殺す殺さないは置いておこう。まずはそっちから名乗れよ。名を名乗るなら自分からって言うだろ?」
「フ、確かにな。ならば、俺から名乗ろう」
狼獣人は胸に手を当て、ギラリと笑う。
「俺はフェン。このスラムの王、ドン・フェン。大規模暗殺クラン、エーデ・ヴォルフのクラン長だ」
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