第342話 ある日のニブルヘイム・上

 スラムに乗り込む前に、一度休日にしよう、という話になった。


 先日は大暴れしたし、その後数日間もピリピリしていたからだ。みんなにも一日気の抜ける日が必要だろう、という話になった。


 そんなわけで、俺は今日、起きたら昼過ぎだった。


「……気を抜くと俺はすぐに寝坊するな……」


 前にもこんなことがあった気がする。シグとの戦争直後とかだっけアレ。丸一日ボーっとしてた奴。


 意外に疲れてたのかもなぁ、と思いながら、俺はのそりと寝床から出て……。


「……」


 出られない。何かが腰のあたりにしがみついている。


 一体何が、と思い、俺は布団をまくった。


 全裸のサンドラが俺の腰辺りにしがみついていた。


「……」


 アレ? おかしいな。昨日サンドラとは別々に寝たはず……。


 いや、でもアレか。最近構えてなかったし、ちょいちょい寂しいアピールはされていた気がする。それで潜り込んできたのかもしれない。


「可愛い嫁さんめ」


 俺はサンドラの頭をなでて、しがみついてくる腕を外す。にしても何で全裸なんだろうこいつ。


「……まぁサンドラだし、考えても無駄か」


 起きてきたら後で聞こう。そう思いながら、俺は部屋を出る。


 酒場に降りると、クレイ、トキシィ、ピリア、レンニル、スールの五人でトランプをしていた。


「あ! おはようウェイド! 私たちポーカーやってるの。やる?」


「おはようトキシィ、それにみんな。寝起きでポーカーやらせられんの俺?」


 元気に呼びかけてくれるトキシィに苦笑しつつ、俺はあくびを一つ。にしても珍しいメンツだな。ポーカーか、楽しそうだ。


「あ、そっか寝起きだ。アイスちゃん呼ぶ? 朝ごはん作ってくれると思うよ」


「いいや、まだ腹減ってないからいい。アイスは厨房か?」


「うん。あ、でもさっき買い出し行くって言ってたから、もういないかも」


 軽く厨房を除く。誰もいない。トキシィの言う通り、既に出たのだろう。


「いなかった。俺も散歩してくるかな」


「その前に一回やってこ? 一回!」


「はははっ、分かったよ。一回だけな」


「ちなみにチップは金貨一枚からね」


「嘘だろ何だこのブルジョア集団」


 一試合に日本円換算で数百万円規模の賭け事してんの? 身内の気軽なポーカーじゃないのかよこれ。


 ということで、ポーカーに飛び入り参加する。ちょうど一回終わったところらしく、みんな同様に俺に手札を配られる。


 ポーカー。俺もあまり経験がないが、基本的には手札の役の揃い具合で、強い弱いを比較して、一番強い人が総取り、というゲームだ。


 手札や周りの反応で、降りたり掛け金を吊り上げたりを決める。周りが強そうなら、「フォールド」と宣言して勝負を降りて損切り、というのも手の一つなのが戦略性だ。


 そんな風にルールを思い出しながら、俺は自分の手札を確認する。


「おっ。これすげーな」


 俺が口を滑らせると、みんなの視線が俺に向いたのが分かった。やべっ、と俺はとっさに口を閉ざす。


「なるほどね。僕はフォールドだ」とクレイ。


「あー、ごめん。せっかく一回きりの勝負だけど、今のは流石にね。フォールド」とトキシィ。


「ウェイドちゃん口滑らせちゃったねー。ウチもフォールド」とピリア。


「ご主人様には悪いですが、俺にはとてつもない金額の賭け事なので……! フォールド」とレンニル。何でこいつ参加してるんだろう。巻き込まれたのかな。


「ワタシも降りることとしましょう。ウェイド様にはそういう轟運がありますから。フォールド」とスール。


 ということで、俺以外の全員が勝負から降りてしまったので、俺は手札を公開する。


「ということで、俺の役はブタだ。みんな、お小遣いありがとな」


「「「「「!?」」」」」


 ブタ。つまりは役なしだ。最弱の手である。


 俺はみんながテーブルに投げ出した金貨を一枚ずつ回収して、「散歩行ってくる」と歩き出す。


 背後から「はははっ。見事にやられたね」「もう一回! もう一回やろウェイド!」「勝ち逃げは許さないよウェイドちゃん!」「あああ借金が! 強盗で稼いだ遊ぶ金が!」「寝起きというので油断させられましたね……」と聞こえるが無視だ。


 上着を固く締めて外に出る。ニブルヘイムには今日も雪が降っている。


 バザールはこの数日でずいぶんと勢いを失ったが、それでも商売というものは城下街に必要だ。必要な買い物を求めて、みんなが苦労して物を買える店を探している。


「クレイの店、再開したら反動でかなり稼ぎそうだ」


 みんなが疲弊したところに、唯一疲弊していない大商店が開く。クレイの店に客足は集中するだろう。この数日の売り上げ減など、一気に取り返せる。


 となると、アイスはどこに何を買いに行ったのだろう。そんな風に、歩きながら何となくアイスを探す。


 すると、アイスではなく、路地裏でカツアゲするムティーを見つけた。


「何やってんだムティー」


「おうバカ弟子。こいつがカツアゲしてきたからやり返してやってんだ」


「ああ、なんだ。じゃあ好きにしろ」


「待て待て待て! たっ、助けてくれよ!」


「お前自分からカツアゲしたんだろ?」


「しっ、したけどさ!」


「じゃあやり返されて文句言うなよ」


「そういうこった。ゴミクズは大人しく遊ぶ金を出しやがれ!」


 ムティーにボコされる魔人を尻目に、俺は再び大通りを歩き始める。


 ムティー、心底地獄に向いてんな。地上でヨーガ教えてる時より生き生きしてるぞあいつ。


 俺は半ば呆れながら、あてどもなく歩き続ける。


 すると、道先で何やら騒動があることに気付いた。


「何だ?」


 近づいてみる。聞こえてくるのは、聞き覚えのある声だ。


「だーかーらー! ブラックマーケット通いなんて普通でしょって言ってんのー! みんな素通りしてるじゃん! 何でキリエたちだけなの!」


「何だ? 貴様魔王令に背くのか? もしやお前、先日の連続強盗犯の一人か?」


「……そんなわけないじゃん☆ やだなーもー兵士さんったら♪」


 魔王軍に囲まれて声を上げる三人組。俺はその赤髪を見つけて、ポツリと名を呼んだ。


「キリエ? それにお供の二人」


「ウェイド!」


「お供の二人とは中々な評価だな……」


「そろそろ名前覚えってば! アタシはリィル! こっちのデカいのはガンド!」


 ということで、三人合わせてクライナーツィルクスである。赤髪のキリエ、頬に鱗の巨人ガンド、獣人少女のリィルだ。


 俺は「どうしたんですか」と一般市民面で兵士に問いかける。魔王軍兵士は面倒くさそうに俺を見つつ、こう答える。


「こいつらはブラックマーケットを出入りしていたのだ。魔王令によって、ブラックマーケットの出入りは禁じられている」


「ブラックマーケット?」


 俺が首をかしげると、キリエが教えてくれる。


「ほら、前の連続強盗で、ほとんどの店が閉まっちゃったでしょ? 商人ギルドと魔王軍の仲も悪くなったし。でも何も買わずには生きていけないじゃん?」


「死んでも生き返るだろ魔人なんだし」


「でも飢えで死ぬのは苦しいからヤでしょ」


 まぁ金があるのに飢えるのも馬鹿らしい話か、と俺は納得する。金は強盗で稼いだはずだし、こいつら。


「で、商人ギルド通さずに運営してるのがブラックマーケットって訳。出回ってる品物全部高いし、魔王軍にもこうして睨まれるから普通は行かないんだけど、こういう状況だとねぇ」


「クレイの店は……ああ、今日休みだ」


「そーなんだよ! ここ数日は商人ギルドの店はみんな魔王軍に睨まれて行きづらいし、限界だって行こうとしたら休みだし!」


 ちなみに休みにするなら今日がいい、と言い出したのはクレイである。明日から店も再開予定ということだそうだ。


 ……まさかとは思うが、クレイ、需要が限界ギリギリまで高まるのを見越している……?


 客を半ば飢えさせるほどの需要のつり上げを、ポーカーをしながら優雅に行っている可能性に、俺は少し恐ろしくなる。


 クレイ、そこまで地獄に馴染まなくてもいいんだぞ……。


 それはともかく、俺は「事情は分かった」と頷いて、懐から先ほど勝った分の金貨を取り出した。


「それはそうと兵士さん。これ、さっき落とし物で拾ったんだ。もしかしたらアンタのじゃないか?」


「ん? ……きっ、金貨!? 銀貨じゃなく、金貨……!?」


「アレ、違ったか? 違ったんなら俺の方で持ち主を探しておくよ」


 俺が金貨を懐にしまおうとすると、兵士は慌てて俺の手を掴む。


「い、いや! ありがとう善良な市民よ。それは俺の落とし物だ。拾ってくれて大変助かった」


「それは良かった。ところで、こいつらは俺の友達なんだ。いい奴だから見逃してくれるか?」


「もちろんだ。君のような善良な市民の友人が、魔王令に背くわけがない。行っていいぞ。では、良い日を。……ひゃっほう! 金貨だ金貨!」


 兵士は小躍りしていなくなる。改めてみると、キリエたち三人は、俺のことを目を丸くして見つめている。


「わ、賄賂に金貨……!? ウェイドやばぁー☆ すっご! めちゃくちゃいいよそれ!」


「ついさっきポーカーで勝ったんだよ。だからアレしか金がなくてな」


 目を輝かせて言うキリエに、俺は肩を竦める。キリエの後ろで、「やっぱリーダーが推すだけあるな……」「豪胆過ぎだってすっごぉ……」とお付き二人が言っている。


「ありがとね! 助かったよウェイド♪ ……金貨一枚分の貸しとは中々つけてくれたねって感じだけど☆」


「別に恩が売りたかったわけじゃないって。困ってるときはお互い様だろ? 前の店の時も犯人の店のこと、教えてくれたしさ」


 結局店主はどこぞに消えてしまったが。今では一期一会だと認識している。


「そっか。ホント、魔人とは思えない人の良さだね♪ 新参は可愛くていいや。じゃあ―――あ、そうだ。恩返しじゃないんだけど」


 キリエはふと思い出したように、俺に言う。


「ブラックマーケットで、前にウェイドたちと一緒にいた、あの小さな女の子」


「ローロか?」


「うん、多分。そのローロ、何か奴隷オークションの奴に捕まってたよ」


 ウェイドに教えなきゃなーって思ってたんだ、とキリエは言う。


「……マジ?」


「うん。裸にされて他の奴隷たちと一緒に連行されてた」


「そういや見ないなぁって思ってたんだよ……」


 前にも奴隷として買われて吊るされていたところを助けたな、と思いだす。


「どこでだ?」


「ブラックマーケットの違法オークションだよ」


「分かった。ありがとな」


 俺は三人に手を振って、道を曲がり、裏路地の賑わった地域へと駆けだした。

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