第164話 勝つために:振り返り

 燕の動きは俊敏だった。


 そもそも、ウェイドパーティにおいて、ウェイドはかなり素早い方だ。電光石火のサンドラに僅差というような速度を誇る。


 そんなウェイドが避けられない攻撃を、並みの速度のトキシィには避けられる訳がなかった。


「はっや……!?」


 言いながら、トキシィの身体がまず袈裟切りにされる。回避行動は取っているが焼け石に水で、返す刃がさらに深くトキシィの身体を斬り込んでいく。


「何だ、この程度か」


 トキシィは体を両断されて、その場に崩れ落ちた。燕はつまらなさそうに鼻を鳴らし、踵を返す。


 その油断に、トキシィは嗤った。


 ヒュドラがぬっと首を伸ばす。トキシィの傷がじわじわと塞がっていく。ウェイドの不死身に比べればささやかなものだが、それでも古龍ヒュドラは蛇の神性。不死身程度の性質は持ち合わせている。


 そして、静かに、極めて静かにヒュドラは口を開いた。牙に毒液がにじむ。だが、男たちを苦しめたような雑な毒のバラマキはしない。射抜くように、貫くように、狙いを定める。


 そして、毒液が放たれた。


 それに、燕は身を翻した。


「だから、奇襲は金等級には意味がないと言っただろう」


 燕返し。妖刀ムラマサの二度の剣閃が、トキシィの不意打ちを簡単に打ち破った。「ちぇっ。そうだね、癪だからもう二度とやんないよ」とトキシィは飛び上がって距離を取る。


 燕は、そこにさらに切り込んできた。大きく踏み込み、肉薄してくる。煌めくは切っ先。このままなら貫かれる。


 だが、トキシィは笑った。


「奇襲に意味がないなら、出し惜しみも意味はないよね」


 トキシィは腕を振るう。横殴りに、野太く伸びたヒュドラの頭が燕を襲う。


「ふっ、豪快な攻撃だッ!」


 燕はヒュドラの幻影を斬り払い、鋭いバックステップで体勢を整える。そこからさらに距離を詰め直してくる燕を、正面からヒュドラの毒液で出迎えた。


 燕返しが炸裂する。毒液はまるで破られた膜のように広がって、ちょうど燕が潜り抜けられるだけの隙間を作り出した。


 だが、そこには人間を飲み込むほどの大きさになったヒュドラが、大口を開けて待ち伏せている。


『人間風情が、我をよくも斬ってくれたな』


 ヒュドラが燕を丸呑みする。その直後に、ムラマサがヒュドラの脳天を貫いた。


 ヒュドラが兜割りされて、燕が這い出てくる。幻影とはいええげつない光景に、トキシィはドン引きだ。それから、「ヒュドラ、ごめんね。この頭は諦めて」と燕を拘束する頭を切り離して階上へと走り出す。


『ぐぅう、我が頭が……。まぁ生えるからいいのだが。それより、何故逃げる、小娘よ。中々に度し難い敵であることは分かったが、ならば以前の廃墟の時のように周囲を猛毒に沈めてしまえばいいではないか』


「ここは人がかなり住んでる市街地でしょ! それやったら流石にウェイドに嫌われるからダメ!」


『やりづらい……。だが、人命ごときではなく、ただ己の愛ゆえに行動を縛る姿勢は好ましいぞ、小娘よ』


 話し合いながら、トキシィは上階へ。そこは燕のためだけに用意された部屋なのか、異様にこざっぱりといた空間だった。


『して、どうする。我が小娘に貸し与えた権能は、広き空間でこそ輝くものばかりぞ。相手に合わせていて、実力を出し切れず負けかねぬ』


「分かってる。だから考える時間の確保のために逃げるの」


『戦略的撤退、という奴か。クククッ、人間というものは、小賢しい限りよな』


 トキシィはヒュドラの太くした幻影で階段を塞ぎ、そして切り離した。それから一番奥まで歩き、壁を背にもたれる。


 そして考えるのだ。金に至った自らの力を、ヒュドラとはどんな存在かを。











 ピリアによるトキシィへの施術は、慈悲もへったくれもないものだった。


「うんうん! やっぱりだ! 君は毒魔法の使い手だけあって、普通の人に比べて毒耐性が高い! けどには少し足りないから、まずその耐性をつけるよ!」


 毒漬けの日々だった。繰り返し繰り返し毒を投与され、死ぬような苦痛に悶えた。それが数週間。寝る間もなかった。悪夢のような日々だった。


 そしてある日、トキシィは何も感じなくなった。


「……あの、ピリア? 今日、毒盛ってる?」


「盛ってるよ? あと二時間耐えてね」


「耐えるも何も……」


 痛みも、吐き気も、倦怠感も、痺れも、その他苦痛と表現されるあらゆる感覚を、その時の投与でトキシィは感じなかった。


 施術完了後に、ピリアは「うんうん!」と満足げに頷いた。


「素晴らしい! トキシィちゃん、君はとうとう、に耐えうるだけの毒への耐性を身に着けた! だから、今日は肝心のを行うよ」


「あの、その同化って何?」


「トキシィちゃん、初日に、『召喚魔法』についての話をしたの、覚えているかな?」


 ピリアに問われ、「うん」とトキシィは頷いた。


「『神や伝説上の生き物と同じ食べ物を食べることで、疑似的に同化し彼らを召喚する魔法』……だっけ?」


「そうだね! ルーン魔法のように神にメッセージを飛ばす『奏上魔法』とは違い、神を真似て神の力を借りる『憑依魔法』の一種だ。変身魔法の仲間で、分類としては舌の魔法とされるよ!」


 とはいえ、細かい理屈はどうでもいい。ピリアはにっこりと笑っていた。


「君が覚えておくべきは、『指定の種類の食べ物を食み、彼の名前を呼べば、彼は応じてくれる』ということだけだ。そして君は毒魔法使い。だから、君にふさわしい召喚対象を用意したよ」


 ピリアは、何か、干からびた抜け殻のようなものをトキシィの前に差し出した。トキシィは、首を傾げた。


「これは?」


「邪龍ヒュドラの抜け殻だよ。君が最後の施術として、飲み下すものだ」


 トキシィは嫌な顔をしてピリアを見た。


「これを食べるの~?」


「嫌かな?」


「嫌でしょ。やるけど」


「キャハハ! そういう、トキシィちゃんの包み隠さないところ、ウチ好きだなぁ。クレイちゃんの悲壮な覚悟みたいなのも格好いいけどね」


 受け取って、トキシィはまじまじと眺めた。そこら辺の蛇のミイラと言われた方が納得できる外見だった。


「疑ってる? でも、侮るなかれ、だよ」


 ピリアはそういって、深みのある笑みを浮かべた。


「召喚魔法は食べ物を真似るのが基本だ。けれど最終的な発展形として、神の残骸そのものを食むことで、ほとんど同一と化すことができる。君は神話に出てくる邪龍ヒュドラそのものと邂逅し、そして人間ではなくなるんだ」


「……ヒュドラになるってこと? つまり、呑まれるっていうか」


「君が弱ければそうなる。が、そうならないとウチは信じてるよ♪」


 トキシィはため息をつき、そしてパクリとヒュドラの抜け殻を口にした。


「わぉ! そんなに躊躇いなく行っちゃう!?」


「こんなの、ん、いつ食べても同じ、んく、でしょ」


 噛み、そして無理やりに飲み下した。すると、ドクンと心臓が脈打つのが分かった。


「トキシィちゃん、よく覚えておいて」


 トキシィは全身から力が抜ける感覚に身を任せ、施術台の上で再び横になった。ピリアはそんなトキシィに語り掛けてきた。


「どんなに恐ろしい相手でも、その相手は力を貸し与えてくれる相手。怯えちゃダメだし、威嚇してもダメ。けれどへりくだれば、きっと矮小な人間ごとき食べられてしまう」


 だからね、とピリアは続けた。


。トキシィちゃんは体を貸し、相手は力を貸す。そんな対等な関係を結ぶという事を、理解してね。じゃあお休み。君が、力を得て戻ってくることを祈っているよ」


 そして、トキシィは目を閉じた。

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