第143話 訪問

 流石に続けるわけにもいかなかったので、二人揃って立ち上がり、汚れを払っていた。


 お互い泡だらけの風呂場で横になったのもあって、全身泡だらけだ。それを無言で払い終えてから、トキシィは言った。


「……私、出てくるね」


 にっこりとほほ笑む瞳の奥には、隠しきれない怒りが見え隠れしていた。


「……どうぞ」


「行ってくる」


 つかつかと出ていくトキシィは、脱衣所に出て、テキパキと服を着て玄関に向かった。俺は、「タイミング悪すぎる……」とボヤきながら、地面を見つめ眉根を寄せる。


 するとそこで、怒鳴り声が聞こえてきた。


「おい! ここに居るのは分かってんだぞ! 早く出てこい!」


 俺は目を剥いて顔を上げた。それから、風呂場、脱衣所を出て玄関付近に近寄る。


 すると、トキシィが戻ってきた。困惑した様子で、俺を見つけて教えてくれる。


「あ、えっとね、その。……ウェイドの、お父さんを名乗る、人が、来てて」


「……」


 俺の顔から表情が消えたのが、自分でも分かった。それにトキシィが、怯んだように一歩下がる。


「……怖がらせてゴメン。俺が出る」


 トキシィの横をすり抜けるようにして、俺は玄関に出た。


 玄関口に立っていたのは、忘れもしない、忌まわしい顔だった。いかにもスラムにいそうな下卑た顔。無駄な贅肉の付いた、怠惰な体つき。それを安っぽい服で全身覆った小男。


 正真正銘、俺の父親。存在を忘れていたかったクソ親父が、そこに立っていた。


「……何の用だ」


 俺が問うと、クソ親父は怒鳴り返してくる。


「あぁ!? テメェがここの主か。おら、早くウェイドを出すんだよ! 早くしやがれ!」


「えぇ……?」


 俺は、片手で顔を覆う。マジかよ、自分の息子の顔も分かんないのかこいつ?


「……だから、何の用だよ」


「お前にゃ関係ないだろうが! 親子関係に土足で踏み入ってくんじゃねぇ!」


 俺の呆れかえった問い返しに、クソ親父は口角泡を飛ばして噛みついてくる。俺はうんざりしながら言った。


「だから言ってんだろ、クソ親父。俺に、何の用で来たんだよ」


「はぁ? だか、ら……は?」


 クソ親父はやっと事情を理解したようで、キョトンとした様子で俺のことを見上げる。


「……ウェイド、か?」


「ああ、アンタの一人息子のウェイドだよ。で? 何で来たんだよ」


 俺が睨みつけると、クソ親父は戸惑いながらも俺を頭のてっぺんから足の先までまじまじと見た。


「デカく、なったな……俺よりも」


「訓練所ではたらふく飯が食えたからな」


「訓練所は、まぁ、そうだろうが……今は飯、ちゃんと食えてるのか?」


「ああ、食ってる。……そろそろ質問に答えてくんねーかな。何の用で来たんだよ」


「あ、ああ、……いや」


 困惑した様子で、クソ親父は言葉を探しているようだった。そんな様子に俺はイライラしながら待つ。


 親父は、質問してきた。


「あれから、冒険者になったのか?」


「そうだ」


「冒険者、大変じゃねぇのか。鉄等級なんか、まともに稼げないだろ。こんなデカい家に住んで、借金とか」


「……」


 俺は渋面を作りながら、金の松明の冒険者証を取り出した。


「十分稼いでる。要らん心配すんな」


「……お前」


 クソ親父は瞠目して、それから強い口調で言った。


「ウェイド、ギルドを敵に回すのはやめとけ。俺だってまっとうな生き方をしてきたわけじゃねぇが、奴らは全世界に拠点を構える大組織だ。その場その場の犯罪とは訳がちげぇぞ?」


「は?」


「とくに、冒険者証の偽造は一番ギルドを敵に回す。悪いことは言わねぇから、それだけはやめとけ」


 真剣な目で俺に忠告するクソ親父。俺は長い長いため息をついてから、言った。


「もういい。用とかねぇんだろ? 帰ってくれ。話になんねぇ」


「お、おい。そんなこと言うなよ。俺だってやっと職に戻れたから、こうして迎えに来たんだぞ」


 職に就いたのか。―――いや、そんなこと、関係ない。


「……そうかよ。おめでとう。迎えは要らないから帰ってくれ。俺はここでの生活がある」


「そんな勝手通るか! そんな無理した生活、長続きしねぇぞ? いつかひどい目に遭う。父ちゃんがどうにかしてやるから、言うことを」


 俺はクソ親父の襟首を掴んで、強く引き寄せた。


「要らないって、言ったよな? 聞こえなかったか? なら何度でも言うぞ、クソ親父。お前の迎えなんて、要らない。早いところ帰ってくれ」


 至近距離、正面から俺はクソ親父の目を睨みつけ、そう言い放った。それに親父は、言葉を詰まらせる。


「う……わ、分かった。―――な、なぁ、ウェイド。その、たまにでいいから、顔を見せちゃ」


「か、え、れ!」


「……そうか。邪魔、したな」


 クソ親父は、かつて見たことがないくらい殊勝な態度で、この場を離れていった。俺はそれが釈然としなくて、もやもやとして、舌打ちして扉を閉めた。


 リビングに戻ると、心配そうな顔をしたトキシィが、俺を待っていてくれた。俺はトキシィの隣に腰を下ろし、そして下唇をかむ。


「あの、お父さんだったん、だよね?」


「……ああ」


「仲、……悪かったの?」


「聞いた通りだよ、トキシィ」


「そっか……」


 俺はたった一分程度のやり取りで抱え込んだわだかまりに、トキシィを巻き込まないので必死だった。苛立って仕方がない。行き場のない怒りが胸中にうずまいている。


 だが、その怒りは、俺のものだ。俺だけのものだ。


 誰かにぶつけた瞬間、俺はあのクソ親父と同じところまで成り下がる。


「ふー……」


 大きく、息を吐きだす。そうして、無理やりにでも頭に冷静さを取り戻す。


「……ね。その、良ければだけど、話、聞こうか……?」


 眉尻を垂れさせて、トキシィはそんなことを言う。俺は冷静に奴のことを話せる気がしなくて、苦笑気味に「参ったな」と言った。


「あ、全然大丈夫だからね! その、言いたくないなら、言わなくても」


「……あのクソ親父のことを愚痴れってなったら、一日じゃ足りないからさ。長い話に付き合わせることになるかもしれないけど、いいか?」


「―――うんっ」


 トキシィが頷くのを見て、俺はとつとつと話し始める。

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