第112話 金の領域
扉は、触れるだけで勝手に開き始めた。
鈍い、臼ですりこぐような重い音を響かせて、ひとりでに開いていく。俺は手を離して、僅かな緊張と共に見守った。
開いた先には、想像通りの玉座の間が広がっていた。そして奥には一人、何者かが座っている。
「……」
奴は、青い肌をしていた。
全身を結晶の鎧で包み込み、肌よりも色素の濃い青い髪を、オールバックに流している。
奴は片腕で頬杖をつき、片目を瞑って、俺たちを不機嫌そうに睨みつけていた。
「貴公らは、奴の尖兵か?」
「奴……?」
というか、ナチュラルに言葉が通じていることに驚く。マンティコアの模倣とは全く違った、意思の疎通がなされている。
「ふん、まぁいい」
奴は言う。立ち上がる。
「貴公らが何者かは関係ない。我が結晶城に侵入し、我が前に立ったのなら、すなわち我が敵に相違あるまい」
奴は閉じていた片目を開いた。そこには、体や鎧と同じ、真っ青な結晶が埋め込まれている。
瞳の結晶が怪しく煌めいた。
「我は冥府魔王軍中将にして、結晶城を統治する者。結晶の主、イオスナイト」
空中に結晶が現れ出でる。五つの青い結晶。その中に、俺たちの姿が―――右腕が映りこむ。
「我が使命」
イオスナイトは、手を振るう。
「貴公ら人間を、輝きの中に打ち砕くことと知れ」
途端五つの結晶が砕けた。同時、俺たちは魔法を失った。
『―――――ッ!?』
それは皮膚感覚の狂いという形で生じた。だから一瞬にして、自らが一時的に魔法を失ったという事実を理解せざるを得なかった。
「ぐっ、あぁっ!」
俺は咄嗟に鉄塊剣を解き放つ。重力魔法を失って、鉄塊剣は文字通りただの鉄塊と化していたがため。
そして同時に、身軽になってせめてもの俊敏さを守るためだった
閃光が、俺たちに襲い来る。
それに俺は、辛うじて受け流しに成功した。モルルとの日頃のお遊びが俺にそれを成功させた。飛んでくる光の正体は結晶で、それを手で受け止めそのまま後ろにそらす形でいなした。
サンドラも辛うじて回避に成功した。アイスは握るメイスが幸運にも結晶を弾いた。
だが、クレイとトキシィはそうもいかなかった。
「―――っぐ!?」
「―――あァッ!」
クレイは右足の膝先、トキシィは左腕が肩から飛ばされていた。
「クレイッ! トキシィッ!」
「こちらを気にするな! 君とて油断すれば死ぬ相手だ!」
クレイが叫ぶ。俺は咄嗟にイオスナイトに振り返ると、奴はかなりの開いていた距離をすでに詰め、俺に結晶の剣を振りかぶっている。
「ウェイトアッ、―――クソッ!」
俺は魔法を使えないことを思い出して、さらに前に踏み込んでイオスナイトの懐にもぐりこんだ。剣は懐にも届かない。その内側から首へと手を伸ばし、後ろ首に引っ掛ける。
「ぬっ」
「一発食らえッ!」
顔に向けての飛び膝蹴り。それをイオスナイトは正面から受けた。硬すぎる手応え。俺は舌を打って飛び退く。
「……」
イオスナイトは、無傷でそこに立っていた。俺はまるで鉄にでも蹴りを入れたかのように、膝が痛んでいる。
基礎の身体からして、人間のそれとはまったく異なるらしい。一撃は入れたが、有効打になっていない。魔法は望むべくもないが、せめて武器がなければ成り立たない。
「ウェイドくんッ!」
そこで、アイスが自らのレイピアを俺に投げ渡してくる。キャッチして、鞘を払った。クレイやトキシィが心配だが、奴から意識を逸らせば一瞬で殺されてしまう。
「アイス、二人を任せる。ウェイド、あたしが一緒に戦う」
サンドラが俺に並ぶ。魔法がなくとも、油断しなければサンドラはかなり強い。最近は、俺の他に唯一モルルとの遊びを再開させたメンバーでもある。魔法抜きでも、十分な地力があった。
「アイスッ、俺からも頼む」
「分かった、よ……っ! 任、せてッ」
そして俺は、サンドラと並んで魔人イオスナイトと向き合う。魔人。魔王の下に動く冥府の者。結晶の主はある程度の距離を保ったうえで、俺たちを吟味するように見つめている。
「弱い」
口を開くと、奴は言った。
「貴公らは、本当に奴の尖兵ではないのか。変身魔法のかく乱で体術以外の戦法を失う。城を自らの都合に合わせて変形させない。結晶の礫にいとも容易く負傷する。とても奴の尖兵とは思えぬ」
「……だから、その奴ってのは誰なんだよ」
「奴は奴だ。中つ国と冥府をつなぐ迷宮の嘲弄者。死地を庭のように歩く者。理を支配する、魔法でも魔術でもなく、より本質的な魔の使い手」
「……?」
「……本当に知らぬようだな。ならば用はない」
イオスナイトはブレる。右。俺は避けきれないことを悟ってガードを固める。衝撃。イオスナイトの薙ぎ払いの方向に合わせて自分も飛ぶが、殺しきれなかった衝撃に吹き飛び地面を転がる。
「がっ、く、……!」
立ち上がる。イオスナイトが意外そうな顔をする。
「む。殺すつもりだったが、力が伝わり切らなかっ……」
そこで、俺の破れかぶれで突き刺したレイピアが胸に刺さっていることに気付き、「小癪な」と抜き取る。
その隙をサンドラは見逃さなかった。
「隙だらけ」
サンドラは跳躍し、人間の平均よりも遥かに上背のあるイオスナイトの頭にハイキックを入れた。鈍い音。サンドラは素早く距離を取る。
「びっくり。硬すぎ。体術で勝てる防御力じゃない」
「面倒な……。魔法も行使せぬ人間が、魔人に勝てる訳なかろうに。まぁいい。ちょこまかとしていてやりづらいなら、我が相手しなければよい」
イオスナイトが砕け散る。そして風化したと思った時には、最奥の玉座に座り直していた。
「結晶よ、育て、育て。そなたのたてがみは勇ましい。そなたの牙は大きく鋭い。そなたの体躯はしなやかで強靭だ」
手の上に出現させた結晶に、イオスナイトは語り掛ける。
「そなたは獅子によく似ている。だが獅子に比べ忠実で、魔術を行使するほど賢く、そして残忍だ。敵を容赦なく食い殺す。そなたの前に敵はない……」
小さな結晶は、イオスナイトの手の中に浮かび、クルクルと回った。そしてその結晶をイオスナイトは握る。砕く。そして前に撒いた。
粉々になった青い結晶が再構築されていき、ライオンの形をかたどり始める。
「さぁ行け、獅子よ。侵入者を撃ち砕け」
そして結晶のライオンが出現した。ライオンは咆哮を上げる。周囲にいくつもの輝きが現れ始める。五、十、二十、……それ以上。
「終わりだな」
イオスナイトはまた頬杖をついて、そして結晶の瞳を閉ざした。ライオンが吠え、その周囲の輝きが、一斉に俺たちに降り注ぐ。
その時だった。
天井が崩れ、ライオンごと結晶の礫を押しつぶしたのは。
「ッ!?」
俺は咄嗟にメンバーを確認する。サンドラは上を注視して、瓦礫を避けていた。アイスはどういう訳か魔法でみんなを守っていた。魔法かく乱を直したのか。
「あのさぁ! 階段下るのが面倒だからって、地面壊すのはバカじゃんか!」
そして、状況に似合わないのんきな怒声が響いた。若い女性のそれ。答えるのは、カラカラと笑うだらけた男の声だ。
「良いじゃねーかよ、めんどくせーことはやらないに限る。それに、ほら、ついたぞ」
瓦礫の山の中から立ち上がる男がいた。まるで街中を歩くような普段着。武器はなく、防具も持たない。その様は、とてもじゃないが冒険者とは思えない。
だが、その胸元には、真っ白に輝く松明の冒険者証が揺れていた。
「……銀? いや、違う。アレは……ッ」
クレイが、自身の大怪我に脂汗を流しながら言った。俺は口をパクパクとさせて、その人物が何者かを考える。
銀等級ではない。ここは金等級の領域だ。だが、ならば、あの人は。
「貴様、ようやく姿を現したな」
イオスナイトが、余裕ぶった不機嫌面を大きく歪めた。そこににじむのは深い憎悪。だが、男は「あん?」とにやけ面を崩さない。
「お、ほらもう新任くんが付いてんじゃん。んじゃ歴代同様、軽く縊り殺して地上戻るか」
俺は悟る。それは銀ではなく白金。世界でたった一人に与えられる、冒険者の頂点の証。
白金の松明の冒険者。
「楽しませてくれよ? 前の奴は血の主とか言ってたけど弱かったからよ」
『無手』は、根底から狂った瞳で、嗤っていた。
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