第99話 貴族と利益

 領主から『雇われないか』という質問を受けて、クレイはずいと前のめりになった。


「業務内容は何ですか?」


「リージュの護衛兼、教育係だ。護衛はウィンディが継続で務めるから、概ね教育係が主な役割となる。是非ともリージュをこの家に住み込みで学ばせて欲しい」


「ほう、そこまで。なら……」


「お父様!?」


 クレイが僅かな驚きを示し、リージュが顔を真っ青にするのを、領主は底知れない笑みで諫めた。


「リージュ、お前には心底がっかりしたよ。と教えなかったかい? そしてその相手を見誤るな、とも」


「う……」


 リージュは口ごもる。だが、俺としては戦慄だ。貴族のお叱りポイントそこかよ。


「ウェイド殿が寛大でなければ、お前もウィンディも、そのまま殺され、誰にも知られず森にでも葬られていたところだろう。クレイ殿が貴族流の交渉術を理解していなければ、さらなる戦争すらありえたところだ」


「お褒めに預かり光栄です」


「あの場面で口を出してくれて助かったよ。これで私も、既定路線で進められる」


「それは良かったです。僕らも、ウィンディさん以上と噂される、領主様の『暗器』と戦うのは御免ですから」


 クレイの言葉に、領主付きのメイドが、声もなく微笑んだ。……あ、そうですか。あなたですか。


 そして、やり手貴族の二人が静かな微笑みを向け合う。こわ……。


「と、いうことで、だ。リージュ。お前は、一度市井を学びなさい。貴族としての根幹は出来ていても、世間を見る目はまだまだだ」


「はい……」


 俺の目の前で、俺の了承を取らないままに話がどんどん進んでいく。「あの……」と俺が渋面で言うと、「ウェイド殿」と領主はずいと顔を寄せてきた。


「不出来な娘だが、素直な子だ。今回の件で、君には従順に振舞うだろう。こんな辺境の地だから、貴族同士の面倒な政略結婚なんてものもない。良ければ娶ってくれてもいい」


「はい!? え、いや、こんな小さな子ですよ!?」


「リージュは10歳だ。少し早いが結婚適齢期だし、君とそう年が離れているわけでもあるまい。このくらい普通のことだ」


 真顔でいう領主に、俺は異世界を実感する。っていうかそうか。みんなが積極的なのって、この年で全然結婚が普通だからって言うのもあるのか。


 そこで、ボソッとリージュが言った。


「政略結婚はないって言っておいて、それを勧めること自体が政略結婚ですわ……」


「何か言ったかい? リージュ」


「いいえ、何も言っておりませんわ」


 ニコニコと笑みを交わす領主親子。俺は段々マジで怖くなってくる。


「い、いや、結婚とかは話が違うので置いておきましょう。そもそも、教育係を受けるとは」


「領主様、月当たり金貨一枚でいかがですか」


「……クレイ?」


「月当たり、半金貨ではダメだろうか。一回限りならともかく、継続的には辛い」


 領主の提案に、クレイが答える。


「では、半金貨と大銀貨四枚」とクレイ。


「半金貨と大銀貨二枚」と領主。


「半金貨と大銀貨三枚」とクレイ。


 領主は、深く頷いた。


「それで手打ちとしてもらおう。判例から見ても相場に近……ごほん。月当たり半金貨と大銀貨三枚で、リージュの教育係をお願いしたい」


「お、おい。クレイ、俺はまだ受けるなんて」


「ウェイド君、そうは言うけれど、半金貨と大銀貨三枚なら、モルルちゃんの食費は丸々浮くし、何なら僕ら全員を養って貯金も出来るよ」


「……マジ?」


「大マジさ」


 モルルの養育費で困っていたことは知っていたので、俺はだいぶ悩み始める。


 クレイはさらに、俺に耳打ちしてきた。


「さらに言えば、教育係なんて名目は非常に曖昧だ。何の科目を教えるという訳でもなく、ただ市井を学べというだけ。要するに、僕らのこの家で暮らさせるだけで、それだけの金額が入ってくるって言うことになる」


「……それ、ヤバいな」


「破格だよ。安物の食事なんかは流石に与えられないけれど、そもそも僕ら全員がいいものを食べられるようになるから問題はない。まぁ、名目が代わっただけだけど、間違いなく賠償金込みさ。むしろ、追加で払うから縁を持ちたい、と言う感じだね」


「けど」


 俺がそれでも渋ると、クレイが難しい顔になって、ひどく小さな声で言った。


「ウェイド君。この際だからもう裏の意味まで教えてしまうけれど、これはリージュ様の全面降伏を、領主様がお膳立てしているようなものだ。賠償金を払い、身柄そのものを明け渡す、という流れを名目上穏やかに構築しているんだよ」


 俺はそれを言われ、確かに状況はそれそのものだと気付き戦慄する。


「……え、それは流石にリージュに厳しすぎないか?」


「疑似的にだけれど、僕らはリージュ様に戦争を吹っかけられ、勝利したんだ。領主様はそれを汲み取って、親ではなく貴族の立場で娘を裁いている。内心忸怩たる想いのはずさ。けれど、同じく貴族の僕がここに居る以上、それ以外の手はない」


 見なよ。とクレイに促され、領主とリージュのやり取りを見る。二人も俺たち同様、小声で言葉を交わしていた。


「ほら、これでリージュが望んだメタモルドラゴンが、リージュのすぐそこに居るという環境が手に入っただろう? 話と言うのは、こういう風に進めるのだよ」


「なるほど……! 勉強になりますわ、お父様」


「ああ。欲求を持つのはいい。だが、我がままを言うだけでは芸がないということだ」


 にこやかにリージュを送り出す、ちょっと悪戯っぽい父親の顔で領主は語る。しかし、その下で手が震えていた。


「領主様はやり手だね。そして誠実だ。事実のみで利益という虚像を生み出す。全員に得をしたと思わせる。恐らく僕の解説も込みで、領主様は状況を構築している」


「……何でそこまでするんだ?」


「正直と誠実こそが、交渉におけるもっとも強い武器だからさ」


 クレイが告げたのと同時、領主は厳しい顔でリージュに言った。


「あと、ウェイド殿だが、必ず落としなさい」


「えぇっ? あの、こんなことがあったばかりですのよ? それに、怖い思いもしましたし……」


「違う。だ。まずは献身で贖罪を示しなさい。敗北とはそういうものだ。心の奥底から自分を作り替え、身も心も捧げ、尽くしなさい。その結果として落とせ、と命じているんだ」


「……はい」


「何、ただ辛いばかりではないだろう。この年でウィンディを倒す銅の冒険者なんてものは、英雄の卵のようなものだ。貴族どころではなく、国レベルの話になる。お前の頑張り次第で、いずれ夫に英雄を迎えうると考えれば、悪くはないだろう?」


「……は、はい。お父様……!」


 リージュは、父親にまんまと騙され、潤んだ瞳で俺を見た。それから俺が領主を見ると、ただ穏やかに微笑み返してきた。


 その瞳の色は、深すぎて、俺には見透かせない。二人はまたコソコソ話し始めた。


「海千山千の貴族だね」


 クレイが言う。


「まだ領主様自身の暗器の冒険者―――ウィンディさん以上の手札を残しているのに、僕らを誠実外交の対象として認識して、リージュ様の全面降伏を暗に示した」


「何でそこまで……」


「正しく領主をする貴族というものは、こういうものだよ。自分の気持ちをすべて踏みつけにしてでも、領地を背負う。そう言う覚悟を持った貴族は、最終的に利益になる選択肢を選ぶ」


 つまりだ。クレイは俺に小声で告げた。


「リージュ様の全てを明け渡して誠実さを示すべき相手。ウェイド君は、領主様にそう認識されたんだ。それが、領地の利益になると判断したから」


 俺はそれに表情をこわばらせる。何だよその過度な期待。リージュも使命感に帯びた目をするんじゃないよ。


「ちなみにウェイド君の無欲外交だと舐めるべき相手ということになって、領主様の『暗器』とも戦うことになったかもね。その方が良かったかな?」


 クレイがからかうように言ったので、俺は苦笑して「悪かったよ」と返す。


「では、交渉成立、ということでよいかな?」


 領主の確認に、クレイが俺を見る。俺は腕を組み、眉を顰めて考えて、結局了承した。


「わかり、ました……。お受けします」


「ありがとう、ウェイド殿。是非ともリージュを可愛がってやってくれ。ああ、あとウィンディも君の部下扱いで使ってくれていいが、どうするね?」


 俺は微妙な顔でウィンディを見る。ウィンディは俺に死ぬほどボコられたり、お嬢様のついでに合わせ売りされたりで虚無の顔をしている。


 ここまでの経緯を考えると厳しいが、その分は散々やった後だ。俺は判断しかねたので、本人に直接尋ねた。


「ウィンディはどう思う? ……一応部屋の空きはあるけど」


「そのような立場となる光栄を賜れるのであれば、ボクはウェイド様を絶対として動きます」


「は?」


 見ると、ウィンディは異常にキラキラした目で俺を見つめていた。え、さっきの虚無の顔どこ行ったんだよ。お前の中で何があったんだよ。


「ウィンディ。あなた、いつウェイド様にそんな傾倒するようになったんですの?」


 リージュの問いに、ウィンディはしっとりと答えた。


「お嬢様、ボクは恐怖の向こうに、信仰を見出したのです」


 何かヤバいこと言い始めたぞ。


「ボクを怒涛の勢いで攻め立てるウェイド様のお姿に、ボクは神性を見出しました。ウェイド様は神になりうるお方。そんなウェイド様に仕えられるのであれば、それ以上の幸せなどございません」


「ウェイド君、君どんな風にウィンディさんを倒したの?」


「え? ……ちょっと説明が難しい」


「何したのさ……」


 俺は『ウィンディをピンボールにしてじゃかじゃかシャッフルした』なんて説明をこの世界の語彙で説明することが出来ず、腕を組んで唸る。


「じゃあ、まぁ、いう事聞くならついでにウチに来る、か? ……他のメンバーとはしばらく険悪だろうが」


「ウェイド様のおそばにいられるなら!」


「ウィンディこわ……」


 目をキラッキラさせて言うウィンディに続き、リージュがソファの上で腰を折る。


「では、よろしくお頼みしますわ、ウェイド様、クレイ様。至らない身の上ではございますが、粉骨砕身、学ばせていただきます」


 お淑やかに微笑む姿は、まさに貴族令嬢という美しさだった。キレイどころの揃うこのパーティの中にあっても、その美しさは異質で目立つ。


 これで数年後、恐ろしいほどの美女になるんだろうな。そんなことを思いながら、俺は二人と握手したのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る