第97話 意地を見せろ
ウィンディは、まるでドラゴンを前にしたような恐怖を感じていた。
それも、ただのドラゴンではない。地竜、ワイバーンのような下級はありえない。ファイアードラゴンのような中級でも足りない。異次元の魔を行使する、神代の古龍のような。
「まさか、ね」
森の奥深く。そこで、ウィンディはウェイドと睨み合っていた。
他の面々はもういない。サンドラが、全員抱えて逃げてしまった。それを阻止しようかとも思ったが、出来なかった。
「……」
ウェイドは、ブレない瞳でじっとウィンディを見つめている。ウィンディはそれに、背筋に寒いものが下りるような感覚を抱きながら見返している。
それでも、ウィンディには実力者の自負がある。この街で有数の冒険者であると、天才であると、そういう自覚のもと、ここに立っている。
直感的に危険を感じたとしても、尻尾を撒いて逃げ出すのだけはあり得なかった。
「来ないんですか? なら、ボクから行きますよ。フォロイングウィンド」
小手調べのナイフを放つ。三つ。回避では決して打ち消せない追尾の風。
ウェイドは言った。
「オブジェクトチェンジポイント」
ぴた、とナイフが止まる。そしてくるりと方向を変え、ウィンディに戻ってきた。
「ッ! ウィンドシールドッ」
ナイフを僅かに減速させて、腕の一振りで回収する。これは危険だ。投擲は、ウェイドには効かない。
「なるほど、やるじゃないですか。この手際、銅とはとても思えません」
「……」
ウェイドは答えない。ただ黙して、ウィンディを凝視している。
不気味だ、とウィンディは思う。以前軽く会話を交わしたウェイドの様子と、今の彼の様子が一致しない。別人めいて、恐ろしいと思う。
そこでウェイドが、不意に口を開いた。
「組み終わった」
「……はい?」
ウィンディは怪訝な顔でウェイドを見る。ウェイドは、ウィンディをバカにするように、口端をゆがめた。
「じゃ、やるか」
ウェイドの姿が掻き消え、ウィンディは瞠目した。ノロマ魔法という遅くて使い物にならない魔法で、ここまでの速度が出ることを知らなかったためだ。
だが、この手の冒険者と戦った経験がないでもない。そもそも、ウィンディ自身がスピードタイプの冒険者だ。何をされたら困るかなんてことは良く知っている。
「背後狙いですよね!」
振り返る。だがいない。ならば上か。見上げる。いったん離れて様子をうかがおうとしている? なら―――
そう思った時、眼前から拳が迫ってきた。
「ッ!?」
辛うじて避ける。正面だった。なのに見えなかった。視界に捉えていても目視できないほどに速かった? そんな馬鹿な。
考えようにも、そこから続くウェイドの怒涛の攻撃に、ウィンディは必死になって応対するしかなかった。避ける。避ける。避ける。だが、防戦一方で銀の暗器は名乗れない。
「ストームアーム!」
腕が嵐を纏う。クレイの岩の大槌を素手で砕いた魔法だ。こうなったウィンディに、徒手空拳で勝てる冒険者はそう居ない。会ったこともない。
拳を叩きつける。ウェイドは避け、その背後にあった木が幹から砕けてへし折れた。
「ハハハッ! どうですか、ボクの嵐の腕は! このボクと近接戦でやり合えますか!?」
ウィンディは連続で攻撃を仕掛ける。右拳を突き出して木に穴をあけ、左拳を振り上げ太い枝がへし折れ、最後に右拳を振り下ろして岩を砕く。
「回避ばかりですね! 流石のルーキーも、この魔法は恐ろしいですか!」
何度か間一髪での回避を繰り返して、ウェイドは少し離れた場所まで後退した。先ほどの防戦一方が逆転して、こちらが攻めるばかりだ。
しかし、ウェイドは無表情につまらなさそうな色をにじませている。
「威力が高そうだから少し様子を見たが、問題なさそうだな」
「……へぇ? 随分言うじゃないですか。全銅のルーキーごときが」
睨み合う。そして奇しくも、同時に踏み込んだ。
「行くぞ」
「舐め過ぎですよッ!」
肉薄。お互いがお互いの懐に飛び込んで、振りかぶる。ウィンディは勝ち誇って笑い、ウェイドの拳に合わせるように拳を放つ。
衝撃。
弾き飛ばされたのは、ウィンディだった。
「……は?」
とてつもない衝撃があって、僅かな時間、ウィンディは失神していた。気付けばウィンディは先ほどまで経っていた場所よりも遥かに離れたところで倒れていた。
「な、何が……いっ!?」
右手を見る。嵐を纏っていたはずの右手を。そして、絶句する。血。ウィンディの拳は、ぐちゃぐちゃに砕かれていた。
「……え」
ウィンディは左手で上体を起こし、そして視界の先に立つウェイドを見る。
彼は無表情で、ウィンディを見すらせず、自らの返り血まみれの手甲を確認して「ふーん」と言った。
「今ので腕一本か。まだ威力出せるな。次は二倍で行こう」
そこで、ウィンディは気づく。
ウェイドはもう、ウィンディと対話をする気すらないのだと。
「っ……」
思わず、息をのむ。今まで戦ってきた相手は、少なからずウィンディを敵として意識していた。憎しみ、敵意、嫉妬。そのすべてをウィンディは実力で飲み込んできた。
だが、ウェイドは違う。ウィンディに何の感情も向けていない。
ただ、抵抗する練習台を、どう破壊するかという事のみに意識が向けられている。
「―――」
ウィンディが次に取った行動。
それは、逃亡だった。
「――――――っ!」
風のバネを足場に、ウィンディは可能な限りの全速力でもって逃げ出した。
「せ、戦略的撤退です! 今のコンディションでは、僅かにリスクがあります!」
自らに言い訳をしながら、ウィンディは駆ける。
こうなれば、速度で優れる風魔法に直接追いつける冒険者などほぼいない。しいて言えば雷魔法や、存在そのものが怪しまれるが光魔法くらいのもの。
そうやって我武者羅に走る。木々の合間を縫うように。あるいは、ウィンディがウェイドパーティを追ったように。
だが。
ウェイドパーティは、ウィンディから逃げ延びられたか?
「おい、お前は戦闘を楽しむんだろ?」
足に何か引っかかった。そう思った瞬間、ウィンディは体を激しく地面に投げだした。
「ウィンドシールド!」
咄嗟に魔法を唱えながら、ウィンディは地面を跳ねる。腹部、頭、背中、様々な部位を地面にこすらせながら、かなりの距離をウィンディは風の防御に守られながら転がる。
やっと速度が落ちてきて、視界の回転が収まったと思ったタイミングで、上から強烈にウィンディを踏みつける存在がいた。
ハッとして、ウィンディは這いつくばりながら見上げる。
そこには、軽蔑の目をしたウェイドが、ウィンディを踏みつけにしていた。
「何、逃げてんだよ。お前は俺との戦闘を楽しむんだろ? 大型ルーキーの戦闘スタイルを、上から目線で評価してくれるんだろ? 逃げてんじゃねぇ」
風の守りの上から、強烈な力がウィンディにのしかかっていた。風の盾が破られたら死ぬ。そのくらいの強度で、ウェイドはウィンディを踏みつけにしている。
ウィンディは叫んだ。
「サモントルネード!」
起点は自分。すなわちこの周辺全てを竜巻で飲み込んで荒らすという、破れかぶれの大魔法。だがウィンディは魔法の主が故に無事で、ウェイドは巻き込まれて瀕死になる。
そして竜巻が起こる。強烈な風が渦を巻き始める。ウェイドは風に引っ張られウィンディから足を浮かす。その隙にウィンディは素早く這って脱出だ。
「ハハハッ! 迂闊でしたね! ボクくらいの魔法使いになれば、これほどの魔法だって即時に発動できるのですよ。もう少し楽しみかったところですが、もう終わりに―――」
「オブジェクトウェイトアップ」
発動しかけていた風の渦が、動きを緩め、次第に沈み、最後に止まった。ウェイドは浮きかけていた足を地面に戻す。
「……え?」
ウィンディが呆けた声を漏らす。この手の大魔法は、対抗しえないもののはずだ。逃げる事さえ至難の技。潰してしまうなど、聞いたこともない。
しかし、ウェイドは言った。
「へぇ、ちょっと厳しいかと思ったけど、竜巻を対象にできるんだな。科学的に出来るのかどうかっていうより、この世界のイメージ的に可能かどうかなのか?」
分析するように呟く。それからまた、視線がまだ四つん這いのウィンディに向いた。
「まぁ、いいか」
嘲るような、もてあそぶような、半笑いで。
「続きと、しよう」
「――――ッ!」
ウィンディの表情が引きつる。
「そんなッ、そんなはずがありません! だってこれは、風魔法における大魔法で」
「……」
ウェイドは答えない。ただ、歩みをこちらに進めてくる。
「ッ、サモントルネード!」
「まだやるのか。オブジェクトウェイトアップ」
ウィンディが竜巻を召喚する。即座に発生した竜巻が、一瞬にして押しつぶされて霧散する。
「サモントルネードッ!」
「オブジェクトウェイトアップ」
竜巻になる前のつむじ風の時点で、潰され竜巻が破壊される。ウィンディの表情がさらに歪む。
「サモントルネードォッ!」
「オブジェクトウェイトアップ」
淡々と、淡々と、ウェイドはウィンディの大魔法を潰していく。
そして、とうとう、ウェイドがウィンディの眼前に立った。
「ぁ……あ……っ」
「……どうする。まだ、竜巻を呼ぶか」
冷酷に見下ろされる。慈悲のない瞳で問いかけられる。
それを聞いて。
「――――ひ」
とうとうウィンディは、限界に達した。
「ひぃぃいいいいいいい!」
恐怖が、ウィンディの頭の中に溢れかえった。こんな魔法使いなんて知らない。こんな敵なんて知らない。こんな異常な状況なんて知らない。
ウィンディは天才だった。天才すぎた。だから自分に勝ち得るような存在とはほとんどであったことはなかったし、会ったとしても時間を掛ければ超えられるビジョンが見えた。
だが、ウェイドはそうではなかった。付け入る隙と判断した全てを、力でねじ伏せられる。それは繰り返されるうちに、一種の絶望と化していた。
「勝てるわけない! 勝てるわけありません! こんな化け物に!」
「誰が化け物だ、人聞きの悪い」
追いつかれる。どころか追い抜かされる。咄嗟に「ウィンドシールド!」と叫んだ正面から、恐ろしいほどの威力を持った拳が向かってくる。
爆ぜた。
風の盾が衝撃によって弾け、ウィンディは地面を何の防御もなしに転がった。執事服が土に汚れる。口の中に土が入って、気付いて「ぺっ、ぺっ!」と吐き出す。
けれどウェイドは、そんな隙すらも見逃しはしない。
「捕らえたぞ」
ウェイドがウィンディに手を伸ばす。遠く離れた場所から。なのに、何故ウィンディの身体は妙な力に引っ張られるように持ち上がる。
「さぁ」
ウェイドは、口端を持ち上げる。
「ピンボールの時間だ。精一杯耐えろ」
ウェイドの腕が上がる。その瞬間、ウィンディの身体は上空十メートルほどの高さにまで上昇していた。
「へ……」
一瞬の浮遊感。見下ろす先には手を挙げて凶悪に笑うウェイド。ウィンディの視線は、持ち上げられたウェイドの腕に引き寄せられる。
もし、あの腕がウィンディの引き寄せられる方向を定めているなら。
きっと、ここからが地獄の始まりだ。
「ウィンドシールド! ウィンドシールド! ウィンドシールド!」
ウィンディは、人生で初めて、自らに風の盾の魔法を重ね掛けした。
そしてその直後、それが正解であったと知る。
「跳ねろやオラァアアアアアア!」
ウィンディは地面に強烈な勢いでもって叩き落される。風の盾はまだ耐える。
しかしそれで決して終わりではない。そのまま横方向に引き寄せられ、ウィンディは強かに木に打ち付けられる。
「ぐ、う」
「まだまだァ!」
引き寄せられる方向が変わる。また別の木にぶつかる。違う方向。空中に投げ出される。そして地面にたたきつけられ、木へと。
それが、ドンドンと速度を増していく。止まるどころか、最初にあった僅かな余韻の時間すらなくなっていく。
空中、木、木、空中、地面、木、地面、木、木、空中、地面、木、木、地面、木、木、木、空中、地面、木木空中地面木木木地面空中地面空中木木地面木地面地面地面木木木木木。
風の盾が弾ける。その度にウィンディは「ウィンドシールドぉっ!」と悲鳴を上げる。恐怖に顔が引きつり、体が丸まり、ボロボロに泣いている。
「ハハハハハハハハハハハハ!」
ウェイドの哄笑が恐怖を掻き立てる。本当に、ウィンディはボールか何かのようにぶつけられて遊ばれている。
聞いてない。こんなひどい目に会うなんて知っていれば、お嬢様の命令に唯々諾々と従わなかった。だがそんな後悔は先に立たずというもの。己自身でもう遅いと理解してしまう。
そんな中で、不意に空中へと投げ出される時間が長いことに気が付く。それは不穏の象徴。ウィンディは直感に従って、固く閉じていた瞼を開き、そして息をのむ。
上空。高く空へ上がっていくウィンディよりもさらに高く、ウェイドが太陽の影になるように飛び上がっている。
「なぁ、お前、強いんだろ。俺のパーティ、壊滅させるくらい強いんだろ」
ウェイドの言葉に、ウィンディは死を予感する。その手には、あの意味の分からない巨大サイズの剣が振りかぶられている。
「なら、意地見せてくれよ。俺が、お前を殺さずにいられるくらいの、意地をよ」
ウィンディは叫んだ。
「ウィンドシールドウィンドシールドウィンドシールドウィンドシールドウィンドシールド!」
魔力が尽きるまで、ウィンディは自分に盾を重ね掛けしまくる。直後降ってくるウェイドと剣。
人間に使ってはならない大きさの剣が、ウィンディに振り下ろされる。
「砕けろォオオオオオオオ!」
「ひぃいいいいいいいいい!」
絶大な威力の剣が、ウィンディの、ドラゴンにさえ破れない風の盾を次々に破壊していく。破壊されるたびに蓄積される衝撃は、一瞬の内に凝縮され。そして暴風を巻き起こした。
ウィンディの身体が、隕石のように地面へと撃ち落される。
地面に激突した時、最後の風の盾までもが破壊されたのが分かった。巻き起こった風が円状に、木々を易々となぎ倒していく。
ウィンディは地面を砕くようにめり込み、辛うじて破壊された風の盾に守られて地面を跳ねた。
そこに、ウェイドの拳が降ってくる。
「全員の受けた痛みと屈辱、一撃に込めてやる」
ウェイドは続けた。
「死にたくなきゃ、耐えろ」
ウェイドの拳は、まるでウィンディに吸い込まれるように振り下ろされる。とっさに魔力の切れたウィンディは、両腕をクロスに構えて防御の構えを取る。
だが、ウェイドの拳は全てを貫いた。両腕が易々と砕かれ、筋肉はほとんど千切れ、その下の肋骨を砕くにまで至った。
左腕が、肘先の半ばからねじれ落ち、千切れる。右腕の、骨の断面が見えている。こぱっ、とウィンディの口が血を噴水を吐きだした。
「が……は……」
ウィンディは地面と拳にサンドイッチにされ、しかし辛うじて生きていた。血を吐き、呼吸も出来ないほど苦しいが、それでも、死んではいなかった。
「は」
ウェイドは、嗤う。
「意地、見せたな」
仕方ないから、許してやるよ。ウェイドの許しを聞いて、ウィンディはとうとう気絶した。
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